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アイネクライネ。
「義母上。少しよろしいでしょうか?」 相変わらず、探し求めているものが中々見つからない直虎。 そんな義母に直政から話を聞いてほしいと言われる。 「どうしましたか?虎松。何か困りごとでも?」 井伊家の当主は直政に譲った。 静にのんびり故郷で暮らそうかと考えていた直虎に、直政は江戸へ一緒に来てほしいと言って来た。 別に断る理由も、まだ近くで息子の活躍を見られるならばこんなに嬉しいことはないと引き受けた。 それから毎日、慣れぬ土地で直政は頑張っているのだろう。 深く考える事もあるのだが、自分に相談するような事になっているとは思いたくない。 「いえ、そうではなく。これを」 向かい合って座る二人。 直政は包みを直虎の前に差し出す。 「えと…虎松?」 「以前、義母上が探していた菓子です。町で評判だと言う」 「え!?ほ、本当ですか!?そ、それで、お、お店はどこですか!?」 直政に詰め寄りそうになる直虎。 「み、店の場所はわかりませんが…頼んで用意してもらいました」 「そ、そうですかぁ。でも、ありがとうございます。虎松」 本当は菓子よりも、作った職人の方に用があるのだが、直政がわざわざ手配してくれたことを思えば、それはそれで嬉しい。 「今度、私自身でもお店の方に行ければ良いのですが」 「………」 「虎松?」 直政は少し困った顔をした。 「義母上がそこまでそこの菓子をお気に召していたとは…しかし、残念ながらしばらくは店は開かないそうです」 「え、ええ!!?本当ですか!!?」 少し腰を浮かせてしまう直虎。 「はい。その職人の気分が乗らないとかで…」 「はぅ…そうですかぁ…」 探しても無駄。そう言われたようで直虎はうなだれてしまう。 「義母上、そんなに…」 そこの菓子が食べたいのですか?と直政には思われてしまいそうだが、菓子からあの人に繋がると思っていただけに落胆が大きい。 彼とは普通に会う事ができないのかと。 直政が咳払いをする。 「義母上。店は休業中でありますが、職人に頼めば拵えてくれると思いますが」 「え?」 「その菓子も、俺が彼に頼んだものなので…その、義母上があまりにもその菓子にこだわっているようでしたので、その…」 息子の自分を思っての行動に直虎は感激してしまう。 「ど、どらまづ〜」 思わず息子を抱きしめてしまう直虎。 「は、義母上!?だ、ダメすぎます!!」 理由はどうあれ、彼に、にまた会える。 繋がりができた。 そう思えるだけで直虎は良かった。 【5】 「また姫様にお仕えすることができて嬉しいですよ、私は」 少し恰幅の良い中年女性が春の前で低頭する。 「そんな。私の方こそ、またみんなに会えるなんて…また一緒に暮らせるのね」 「はい。それはもう」 中年女性、多喜は涙を浮かべながらも笑顔を春に向ける。 多喜以外にも数名が、春の身の回りの支度や屋敷の仕事をしてくれることになっている。 ほとんどが、以前直政に頼み、連れてきてもらった人だが、その全員が元々北条家で働いていた者達だった。 直政は本当にの頼みを聞いてくれたようだ。 (菓子だけで、そこまでしてもらえるとはね…) その菓子も母親のためにと言うので用意したが、その母親のお気に召してもらえると良いが。 「も元気そうで。今まで姫様の事を見ていてくれてありがとう」 礼を言われるのもどうかと思うのだが。 多喜は自分よりも春の事を知っているのだ、親目線で感じてしまったのだろう。 「いや、俺は単に飯とお供しかできていないから」 「そんなことないよ。姫様のそばに誰かがいてくれるだけでも安心できるのよ」 「まぁ、とりあえず。今後もよろしくお願いします」 「こちらこそ」 これで少しは春も元気になれば良いだろうと。 ただ、食事の件に関しては、多喜でも無理だろうなと思う。 ですら、春と共に食事を囲むことはしない。 それ以前から北条家に仕えている多喜たちでも、同じ事はしないだろう。 まぁ、それも直政が適任者がいるような事を言っていたので、焦る事はないのかもしれない。 それからさらに数日経ったある日。 「姫様。今日のご予定は?」 朝餉を終えた春には問いかける。 「特にないわよ」 「そうっすか。じゃあ、昼前に、お客さんが来るので、一応頭に入れておいてくださいね」 「お客様?」 「堅苦しいものじゃないんで」 わかったわ。と春は優しく笑んだ。 それと、両手を軽く叩く。 「そうだわ。お客様がいらっしゃるなら、が作ったお菓子を出さなくちゃ」 「え…あぁ、そうっすね」 「まだ気分が乗らない?少し前に何か拵えていたようだけど」 直政の母親宛てのものか。 その後、直政に会う事ができたので、どうだったか聞いてみれば。 「あぁ。義母上は大層お喜びであった。本当に感謝する」 などと頭を下げられた。 さらには。 「義母上も、店が再開されるのを楽しみにしている」 とも言われた。 流石にそれには即答できなかったが。 直政たちが満足したのならば良いだろう。 とりあえずは、その客人の為に菓子を用意しよう。 は台所に向かった。 直虎が、直政に頼まれ同行した屋敷。 その門前にまでやって来た。 「では、私はそのお姫様のお相手をすれば良いのですね」 「はい。話し相手がいないそうで。義母上にも良い話かと思いまして、勝手に引き受けてしまいました。すみません」 「いえ。良いのですよ。そのお姫様のお力になれるのならば」 姫と聞いて、北条の姫かな? だとすればに会えるかもしれない。 そんな上手い話があるかと思うが、直虎自身、江戸での生活に慣れたというほどでもないし。 知り合いが増えるのは嬉しい。 ただ、その姫様の機嫌を損ねるようなことにならないように気をつけないと。 家康の顔に泥を塗る事にでもなったら大変だ。 「御免」 「お待ちしておりました。井伊直政様でございますね。話は伺っております」 女中らしき中年の女性が出迎え、屋敷内を案内してくれた。 通された室からは庭が良く見える。 ただ、これと言って何もない、少し寂しい庭だなと直虎は感じた。 「お待たせしました。わざわざありがとうございます」 凛とした涼やかな声がし、親子の前に女性が正座をした。 「お客様がいらっしゃると聞いたけど、どのようなことで?私は何も聞いていないのですが」 「は何も言っていないと?」 「えぇ。お客様が来るから。としか」 女性は、以前直虎がと再会できた時に彼を呼んだ女性だ。 姫様と呼ばれていた彼女。 直虎は、願っていた事に遭遇できて内心心が弾んでしまう。 「春様。私の義母です。義母上。こちらは北条家の姫君、春様です」 「あら。あなたは前に」 「は、はい!その節は失礼しました!虎ま、じゃなくて。直政の義母直虎です。えと、春姫様」 「春でいいわ。もう姫じゃないもの」 春は優しく笑む。 「けど、北条家の」 「北条家はもうないのだから。周りは私の事を姫と呼ぶけど、そう呼ばれる家はもうないのだから」 そう言う春の笑みはどこが寂し気だ。 直虎は思わず反論してしまった。 「そんな事ないです!春姫様がいます。だから、北条家がなくなったわけではないと思います!」 「……そう。ありがとう」 まだ。と言う言葉を使っていいかわからなかったが、そう口にしていた。 それでも春は耳をふさぐこともなくいてくれたので良かった。 「春様。これからは義母上が春様のお話相手を務めさせていただきます」 「直虎様が?」 「はい。義母もまだ江戸に来て日は浅い。春様さえ良ければ、義母と交流を深めて頂きたい」 春は両手を軽く合わせる。 「私の方こそ。お友達ができるのは嬉しいわ」 春はにっこり笑う。 「直虎様。よろしくお願いします」 「い、いえ!わ、私の方こそ。春姫様のお相手をしっかり務めさせていただきます!」 「うふふ。そんなに固くならないで」 「す、すみません!」 つい謝ってしまう。この口癖もなんとかしないと。 「姫様。失礼いたします」 多喜が入って来た。 「お客様にと。どうぞ」 「あら。はどうしたの?自分からお客様を呼んでおいて」 多喜は苦笑しながらも、春と親子の前にそれぞれ皿を置いた。 「昼餉の支度をしておりますよ」 「そうね。そんな時間だもね。お二人の分もあるのかしら?」 「のことですから。しっかり用意していると思いますよ」 昼前にと時間を指定したのだ。 きっと親子の分もは用意しているのだろうと春も納得した。 「ね。お二人も食べて行ってね。の作るものはお菓子以外も美味しいのよ」 親子は断ろうと思ったが、特に直政の方が、との会話を思い出した。 元々春の話し相手を探してほしいと言われたのだ。 指定された時間などから、食事をしながらとでも考えたのだろう。 「あ、あの。私達は」 「義母上。馳走になりましょう」 「え?で、ですが」 「菓子が評判の者が用意するのですから、どんなものか楽しみではないですか」 「良かったわ。多喜さん、に改めて伝えてね。お二人の分の食事も」 「はい。かしこまりました」 多喜も優しく頷き、室を出た。 それからしばらくして、御膳を持った多喜と共にが室に姿を見せた。 「お待たせしました。お二人のお口に会えば良いのですが」 いつぞやとは違って、の顔が晴れ晴れしていたので直虎も釣られて笑みを浮かべたのだった。 19/12/31再UP |