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アイネクライネ。
「一度も…私の事を見てくれませんでした…」 まさかこの江戸であの時の青年に会えると思わなかった。 突然ではあったが、会えてとても嬉しくて、感激だったのに。 相手は自分の顔を見ず、あの時のような笑顔はまったくなかった。 姫様と呼ばれる人の世話をしているのだろうか? だけど、店を出しているとも言っていた。 すべてその姫様との会話からわかるものなのだが。 北条家に仕えていた青年。 小田原の戦で、北条家は滅亡した。 北条家に仕えていた武家はそのまま豊臣傘下に収まったと言うが、北条家の男子は切腹を命じられてしまった。 仕えていた主君がいなくなれば、世の中が平和になったとしても、気持ち的に収まらないだろう。 彼もそうなのだろうか? 「また…会えるといいなぁ…」 その時はゆっくり話をしたい。 改めて礼もしたい。 この江戸に住んでいるのならば、それも可能なのではないか? 「よし。頑張りましょう!」 直虎は青年との再会を誓うのだった。 【3】 「お。幸村からだ…」 珍しいなとは思った。 屋敷に戻ると、宛に文が届けられていた。 差出人は真田幸村。 の親友だ。 いつもならば、くのいちが直に届けに来るのだが。 「忙しいのだろうな、あいつも…」 秀吉は割と幸村を気に入っているようだし。 あと、幸村だけでなく、甲斐からの文も同封されていた。 これは、自分に宛てたものと、春に宛てたものとあった。 先に春に渡しておこうと、腰を上げる。 「姫様。甲斐から文が届いていますよ」 「本当!?」 春は目を輝かせ、から文を受け取った。 「あいつ、幸村の文と一緒に送り付けてきましたよ。郵送費ケチりましたね」 寧ろ、幸村が出したのだろうなと思うと笑える。 その幸村も普段はくのいちを使うので微妙なのだが。 「甲斐は元気なのかしら?元気じゃない甲斐なんて想像がつかないけど」 「あぁ。それは怖いですね」 大方くのいちと漫才のようなやり取りをして、幸村が困っているのだろうなと想像はつくが。 「それはそうと、。家康様への手土産は用意できるのかしら?」 「まぁ…一応。そんなに凝ったものはできませんけど」 「そう?お願いね。準備ができたら行きましょう」 本当に自分まで家康のところへ行くのか。 面倒くさいと思うも、今の自分は春の付き人、世話役のようなものだから仕方ないと台所へ向かった。 この屋敷は元々北条家所有の物だった。 なので、春が使っても問題ないとされた。 元々関東は北条家が治めていた場所。 春にしてみれば、京阪住まいの甲斐に比べて馴染はあるだろう。 敗者にしては優遇されているなとには思えた。 別に監視や見張りが立てられるわけでもなく、外での出歩きも自由に行えた。 春の性格からして、遊びまわることもないので、毎日静かなものだった。 (幸村達がいるとはいえ、甲斐は大丈夫だろうな…) てっきり、北条家の血筋である春の方を秀吉は関西へ連れて行くかと思ったのに。 甲斐はあくまで北条に仕える成田家の娘。 娘なのだが、戦場で暴れまわるじゃじゃ馬だ。 (史実だと、甲斐姫は秀吉の側室になったらしいが…あいつが側室に収まるのは想像つかん) 寧ろ、相手が天下人でも引くことなく断りそうだ。 いや、その性格だ。 (秀吉は勝気な女が好みだって説があったがな…) だとすれば、春よりも甲斐の方が好みなのかもしれない。 もし、側室になるのであれば、なんかの拍子に秀吉をブッ飛ばすことをしてくれないかな? などと考えてしまった。 そうなった場合、甲斐の命に関わる問題になるのだが。 甲斐ならば、その辺の男全員ブッ飛ばしそうだから大丈夫だろうとか思って。 (ま。そうなった場合、幸村にすべてお任せしよう) 台所で、家康への手土産を作っている最中、手が空くと幸村と甲斐からの文を読んだ。 二人とも、これと言って変わりなく過ごして居るようだ。 寧ろ、の方を心配している内容だった。 「心配性め。俺はなんでもねぇよ」 秀吉の顔を見ないで過ごせる分、精神的には問題ないのだから。 「。もう出かけられるかしら?」 そんな春の声が聞こえ。は慌てて手土産、菓子を包んだ。 「おぉ。春殿。呼び出してしまいすまなんだ」 「いいえ。御用があるならいつでもお呼びくだいませ」 春は家康を前に、三つ指をつき深々と頭を下げた。 勝者が敗者に従うってのは本当屈辱なものだなとは思った。 は家康と春が居る室の隣室にいた。 付き人であるが、家康が呼んだのは春だし、下っ端が同席する理由にはならないだろう。 そもそも自分は武士ではないのだから。 「家康様。先ほど春殿から手土産を頂きました」 彼の家臣の一人が家康にそう告げる。 「手土産?」 「家康様のお口にあいますか不安ですが。北条家の頃から仕えていた料理番のお手製の菓子でございます」 家康はそれを聞くと嬉しそうに喜んだ。 「それは今、町で噂のものですかな?一度味わってみたいと思っていたので嬉しいですぞ」 「あら。家康様のお耳に届いているのですか?」 「あぁ、中々の評判ではござらぬか。店が開いていると聞けば、家臣に買いにいかせるのだが、生憎すでに完売で」 二人して何の話をしてんだよ。と待っているは思った。 つか、家康の声でけぇよ。とかまでも。 「本人が気まぐれなものですから、あの店は不定期なので…」 「勿体ないですな。いや、だが、こうして頂けるのはありがたい」 包みを開けて泥団子でしたーってなったら、驚くだろうなとは思いながら(勿論普通に菓子を包んである)、室を出た。 隣で待っているのが飽きたので、庭にでも出ようと思って。 付き人としては失格だろうが、自分を連れてきた春が悪いと勝手に決めつけて。 「あーそういや、増改築中か…」 なんで江戸城じゃないのか?と呼ばれた先は城ではなく大きなお屋敷だったから。 家康が関東に着いた頃。後々政の中心となる江戸城は手入れも行き届いていない荒れていた城だった。 当然、家康が住めるはずもなく、現在改装中というわけだ。 北条の土地ではあったが、北条家は江戸城に関しては手を加えていなかったようだ。 「そら、そうだ。北条の本拠地は小田原だもんな…」 「おい。そこのお前。何をしている」 「庭を眺めているだけですよ。現在、主が家康様と謁見中なので」 声をかけられたので、振り返れば青年が一人。 かっちりとした格好でいかにも真面目そう、固そうな感じのする青年がいる。 「家康様と?では、お前の主は北条の姫か」 「元、姫でしょうね」 今の春の立場はなんだろうか? 割と自由に暮らしているが、直の上司は家康になるのだろうか? その辺にはわからない。 「ならば、そばで控えていないとダメではないか」 「…暇なんで。待つのに飽きたんですよね」 「はぁ?なんだ、それは。ダメだ、ダメすぎる」 「ま。普通はそういう反応でしょうけど。別に俺は武士でもないし」 「家僕か?」 「そんなところで。別になんだっていいですよ」 青年はの態度に眉を顰める。 「お前。何故そんな投げやりなんだ?」 「面倒くさいと感じるからじゃないですかね…」 はため息を吐いてその場にしゃがみ込んだ。 「今の生活。悪くはないけど、気持ち的にまだ受け入れるのが苦痛なんですよね」 「苦痛?」 「元々俺は根なし草で、お館様に拾われても根を張るつもりもなくて…お館様がいなくなれば北条家に用もないからどっか行くか。ぐらいだったけど…」 二度目のため息。 「結局放っておけなくて、政兄も照兄もお人好し過ぎ…姫様は姫様で割り切っているように見えて本当は寂しい癖に、一人で頑張るし… 甲斐がいなくて、静かでいいかと思えば、静かすぎるし…何が天下統一だ…そんな事の為だけに、攻めて来やがって…」 青年の立ち位置からはの表情は見えないだろう。 は久々に湧いた感情に歯を食いしばる。 「天下なんか一つにならなくても、こっちは十分幸せだったっての…何が皆が笑って暮らせる世だ。誰が笑えるってんだよ」 「お前。天下人の批判をよく口にできるな。誰が聞いているかわからぬぞ」 「………」 「それが、今の自分が面倒くさがる理由か…それで一人ふて腐れているのか。ガキだな」 「わかってますよ。それくらい…天下人にしてみれば些細な事なんだろうし」 は立ち上がる。 「なんで、見ず知らずの人に語っているんだか…」 「見ず知らず…だろうが。俺はお前の事を知っているぞ。一度小田原で見かけたのを、今思い出した」 「は?」 は振り返り青年を見た。 「お前は一度秀吉と会っているだろう?」 「あぁ、一度だけ」 青年は笑う。 「やはりそうだ。あの時の、お前の発言に周りが青くなったのを覚えている。中々面白かったな」 「あなた様は趣味が悪いですね、そんな風に言って…って、秀吉?そっちこそ、天下人を呼び捨てって…」 「天下人は秀吉ではあるが、俺は家康様の臣下だ。家康様以外に従う気はない」 だから、さっきのの発言も別に誰かに告げる気はないそうだ。 青年曰く。 「俺も秀吉は嫌いだ」 とはっきり口にした。 は思わず吹き出す。 「いや、家康様の臣下の発言にしちゃまずいって。そっちの方がヤバいよ。 俺の親友は豊臣に対して家族みたいで温かいとか文に書いちゃってくれたけど」 「なんだ、その能天気な発言は」 「やぁ、まあ幸村は能天気つーか、天然だから」 は腹を抱え笑い出す。 「あー可笑しい…あんた面白いね。あ、やべ。ついタメ口きいちゃった」 「別に構わん。俺もお前の言葉でここの民が十分に北条家を慕っていたのがよくわかった」 「俺の言葉で?そりゃ偏りすぎでしょ」 「いや。北条家が頑なに秀吉の下に着かずにいたのもどうなのかと思っていたが…」 は小さく笑みを浮かべる。 懐かしそうな顔をして。 「そりゃ、お館様が…天下なんて興味なくて、自分の民を守れるだけでいい。その代り、俺の民にちょっかい出して来たら叩き潰すって人だったからさ…」 「お前の言うお館様と言うのは…」 「北条氏康。皆の親父だよ。家臣だろうが、使用人だろうが、民だろうが。北条家の領地に居る奴は全員家族。お館様にとっては全員ガキだよ」 「北条氏康…相模の獅子か…」 「お館様がもう少し長生きしていたらって思うけど……あの数じゃなぁ」 秀吉の戦いは数の戦いだ。 四国でも、九州でも、数にモノを言わせた戦いだった。 難攻不落と言われた小田原城でも、落城まではせずとも、あの数相手では勝てなかった。 「もし。秀吉じゃなく、家康様が天下取りに名乗り出て統一を果たそうとしていたら、お前はどう思う?」 「………どうも思わないさ。小田原に攻めてくるのが、秀吉じゃなく家康様に変わっただけだろ?」 そこは誰でも同じだ。とは言う。 「関東だけ独立国家として認めてくれるならば話は別だろうけど」 「難しい話だな」 「!どこに行ったかと…もう!」 春が廊下から呼んだ。 家康との謁見は終わったようだ。 「姫様。すみません。あまりに暇だったんで」 は青年の横を通り過ぎ春の元へ行く。 「はっきり暇とか言わないの」 「それより終わりましたか?家康様とのお話は」 「えぇの作った手土産を楽しみだと喜んでくれたわ」 それ家康が呼んだ話とは違うでしょ。そうは呆れる。 「喜びますかねぇ、家康様は。包み開けたら泥団子でしたーって驚くんじゃ」 「!!?」 「なんだと!!?」 春だけでなく、青年までも声を上げた。 「いや、冗談だけど」 「もう…本当。の冗談は笑えないのよ…」 春は胸を撫で下ろす。 「とりあえず、帰りますか?姫様」 「えぇ。そうしましょう。あ、えと…そちらの方は」 春は自分と同じように驚きの声を上げた青年に目を向ける。 「俺の暇つぶしに付き合ってくださった方です」 「お願いだから、暇つぶしと何度も言わないでちょうだい…ごめんなさい、うちの者が失礼な事を」 「いえ。お気になさらず。中々面白い話も聞けましたので。では」 青年は春とに向かって礼儀正しく頭を下げてその場を立ち去った。 「じゃ、帰りますか。姫様」 「もう…あなたは本当に…」 自分だけが疲れたと春はぼやく。 にしてみれば、ただつまらないと思っていた時間も、見ず知らずの人に思わず話してしまったことで、少しは気持ちが晴れた。 (なんでもないような顔をして、俺が一番いじけていたのかもな…) そんな事を考えながら、春と共に家康の屋敷を出た。 (あ…結局、あの人誰なんだ?) 堅物のような印象だったが、案外話の分かる人だとは思ったが。 春が家康の下を訪れるならば、今後も会うのだろうか? (ま。そうそう会う事もねぇか) さて、帰宅したら夕食の仕込みでもするか。 19/12/31再UP |