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千波万波
変だと思った。 可笑しいと思ったのだ、急にあんな話をするから。 「………お館様…」 北条氏康逝去。 別れらしい別れなどなく去ってしまった。 突然の氏康の死に領内は悲しみに包まれた。 突然。 そうは言っても、病であったらしい事を周囲には黙っていたようだ。 氏康の跡を滞りなく氏政が継いだ。 大した混乱もなく。 もその死を黙って受け入れようとしていた。 「お前もようやく根を張ったようだな。少しは安心したぜ」 「遅かれ早かれ、秀吉と戦になりそうだからな。こうやってお前とゆっくり話せるのもあとどれくらいかと思ってな」 あんな事を急に言いだすから可笑しいとは思った。 遺言じみたことをつらつら口にして。 「まぁいいさ。俺は関東で手一杯だが。お前は外の世界を見て、お前のできることをしろ。俺はそんなお前をずっと見ていてやる。あの世からな」 あぁいやだ。 氏康と最後に交わした言葉になるとは思わなかった。 にはそう感じずとも、氏康にはわかっていたかのような。 これで最後だろうよ。 みたいな物言いで。 「何情けねぇ面していやがる。ド阿呆が」 情けなくもなる。 何も気づけなかった事に。 いや、気づかさないようにしていたのだろう。 「なんだよ、おちおち成仏もできねぇな。安心しろ。ずっと見ていてやるさ」 ホントに? 本当にずっと見ていてくれるのですか? どこかで迷ってしまっても、見つけてくれますか? あの時のように。 「」 「どした?…甲斐」 いつも元気いっぱいな彼女も、氏康の死は相当堪えているようだった。 葬儀が終わっても、お互い大した会話もなく、いや顔を合わせる事もなかった。 なんだか、久しぶりに会ったような気がする。 「これから、どうするの?あんたは」 「どうって…別に」 以前は氏康がいるから、北条家に、ここに居るのだと思っていた。 確かに、最初はそうだ。 自分の境遇など、氏康が知っていれば良いことで。 その先の事などどうでも良くて。 氏康がいないのであれば、ここに居残る理由などなくて。 だけど、いつの間にか。 氏康だけでなく、甲斐や、氏政、氏照など他の人達とも心許せるようになった。 「なんて顔してんだよ、甲斐は」 泣くのを必死に堪えている。 その中で何かに怯えているような感じもする。 「だ、だって…お館様がいなくなって…あんた…」 「お館様がいなくなっても、やる事は変わらないんだよ、俺は」 「え?」 は頭に手拭を巻いた。 「悪いけど、行くぞ。俺は北条家の料理番だからな。皆が落ち込んでいても、飯は食わないとダメだろ?」 「それって…」 「政兄や照兄も美味い飯食わせてくれって言うしさ。食わせてやりたいじゃん」 のその言葉に甲斐は口元を震わせた。 「本当?本当に?」 「なんだよ、変な奴だな」 笑うに甲斐はボロボロ泣き出した。 「お、おい。甲斐!?」 「ご、ごめん!け、けど…あたし、が…いなくなっちゃうんじゃないかって…」 「何言っているんだか」 は苦笑しつつ、泣いてしまった甲斐の頬を軽く抓る。 「泣くなって。甲斐が泣くなんて怖ぇって」 「あ、あんたね。あたしは」 「ありがとな…心配。かけたんだな…悪い。今は皆…お館様が居ない穴を埋めようと必死なのにさ」 自分だけここを離れてしまうのはどうかと思った。 「そ、それは」 「甲斐にも、美味い飯。食わせてやるから。食って元気出せ。な?」 は笑う。 「うん」 甲斐も涙を拭いながら笑った。 飯の支度があるから。とを見送った後。 泣いてしまった手前、恥ずかしいと思ったが、甲斐は軽く鼻を啜り目元を拭う。 「俺はな、あいつに根を張らせてあげてぇんだ」 いつか氏康が自分に言った事。 「………坊主。あいつは根なし草だ。今のうちになんとか根を張らせてやれ」 はいつかここを出て行ってしまうのだと知った。 氏康はそうさせないために、根を張らせろと。 氏康にしか根付かせられないだろうとも思ったけど。 甲斐は甲斐なりに、自分もいっぱい水を上げて根を張らすのだと決めた。 多少は根付いていると先日わかった。 氏康以外にも弱い部分を見せてくれるのかと。 でも、氏康が亡くなってしまったことで、心のどこかでやっぱりはどこかに行ってしまうのではないか?という不安があった。 (あたしだけじゃ…無理だったのだろうけど…) がここに残ってくれる理由は甲斐だけじゃない。 氏政や氏照がいたから。 二人がの事を弟の様に見てくれて、も二人を兄の様に見ていたから。 だから、まだ大丈夫なのだ。 でも、どこかで不安になる。 あの男だ。 天下をほぼ手中に治めた男。豊臣秀吉。 彼が関東に手を出そうとするのは時間の問題だろう。 氏康もそれを懸念していた。 氏康自身は天下なんぞどうでもいい。 だが、俺の領民に手を出そうものなら容赦はしない。 そう言っていた。 秀吉にしても、氏康がいるといないとでは大分違うだろう。 氏康の死を知れば。ここぞと攻めてくるかもしれない。 (絶対、絶対!守ってみせる。あたしの大事なものを!) 甲斐はそう誓うのだった。 「入れ」 ほとんどの者が寝静まっている頃。 は氏政の室へ来た。 「どうした?」 「どうしたもこうしたも…ちゃんと飯食っていますか?」 「ぬ…すっかり忘れておったわ」 用意しても手を付けていない御膳の存在があった。 それが氏政のもので。 氏康の跡を継いだばかりとあって、氏政は寝る間も惜しんで働いていた。 それが心配で、は氏照らに頼んで氏政の室へ向かったのだ。 「時間も時間ですから、軽めのものを用意しましたから」 そう言って、丼を氏政の前に出した。 「かきたまうどん。結構するっと食べれると思いますよ」 二ラも入っていて、食欲がそそるとは思うのだが。氏政は食べてくれるだろうか? 不安になるも、氏政はありがたい。と言って丼に手を伸ばした。 「おぉ。美味い。美味いぞ、」 「それは良かった」 「お主にも心配をかけてしまってすまんの」 「…いえ…けど、わかっているのならば、心配かけさせるような事はしないでくださいよ、政兄」 「ぬ…すまぬ」 素直に詫びる氏政には小さく笑う。 「以前からわかっておったのだがなぁ…父上が偉大な方だと言うのは」 うどんを啜りながら、氏政はしみじみ言った。 「政兄…」 「わしはな。父上の為にも、父上が成し遂げたかったことをしたいのだ」 「お館様が成し遂げたかったこと?…それって…」 氏政は目を細めて笑みを浮かべる。 「領民の為。ここを守ることだ」 「………」 「遅かれ早かれ、ここも秀吉に狙われる。秀吉に頭を下げ、臣従すれが良いだろうが…わしにはそれができぬ。秀吉に我らの領民を任せたいと思えないのじゃ」 秀吉の天下には興味がない。 そう言っているように思えた。 氏康がまさにそうだった。 「大変ですよ、政兄の進む道は」 「そうじゃな」 「けど、政兄には照兄も着いているし、甲斐や、他の方々も、何より領民が着いてきてくれますよ」 「そう言ってくれる。お主はどうなのじゃ?」 「おれ?」 氏政はうどんを汁まですべて平らげてくれた。 満足したと丼を置く。 「可笑しな事を聞くんだな、政兄は」 畏まった言葉遣いを消す。 「?」 「俺が見ていなきゃ、政兄は飯も食ってくれないじゃないか。政兄が心配だから、ちゃんと着いて行くさ」 一瞬、目を丸くした氏政だったが、呵々と笑いだす。 「わしが心配か。参った。だが、嬉しいぞ、」 氏康を思い出すような大きな手で、わしわしと頭を撫でられた。 「照兄も気になるなら、一緒にくれば良かったのに」 「ぬ…そ、それはだな…兄者の邪魔はできぬと思って」 氏政の室から下がったところ、廊下をウロウロとしていた氏照がいた。 は、彼もまた氏政が心配だったのだろうとすぐに気づく。 「まぁ…うどんは政兄の一杯しか用意していないけど」 「それはそれでズルいと思えるのだが」 氏照は苦笑する。 「それで、どうだった?兄者の様子は」 「飯の事自体忘れて、政に没頭していたよ」 「ふむ…」 「まぁ。これからは無理やりにでも政兄に、俺が食わすので大丈夫だから」 「む、無理やりにか…はは…」 は氏照に先ほどの氏政との会話を伝える。 氏政が考えている事は氏照も感じていたようだ。 「俺もしっかりと兄者を支えてみせる。兄者だけに苦しい思いはさせはしないさ」 「なんだかんだで、お館様にそっくりですよね、兄者たちは」 若干呆れてしまうも、それが北条家と言う人々なのだろうと思った。 だが、氏照に額を指で弾かれた。 「な!?照兄!?」 「何を言っておる。お主も父上にそっくりだ」 「はぁ?」 血の繋がりのある二人ならば、氏康に似ていると言うのはわかるが。 まったくの他人である自分のどこが?とは首を傾げる。 氏照はニッと歯を見せ笑い、力強くの頭を撫でまわした。 「他人に興味ないとか、関わるのが面倒くさいとか言いながらも、結局放っておけないって言う性格が。我らより、お前の方が父上そっくりだ」 「や、あの」 「可愛い弟だ。本当に」 「照兄、あのな」 単純に北条家は誰だろうと身内に甘い、家族のような扱いをする。 あくまで「ような」なはずで、実際は他人同士なのに。 だけど、彼らは他人扱いをしない。 家族だと認めてくれる。 「どっちがだよ…まったく…」 実際、自分を放っておくつもりがないのだろう、この兄弟は。 優しい兄者たちだとは苦笑した。 (どこにも行かないさ…俺みたいな捻くれ者でも受け入れてくれる人が居る限りはさ…) 19/12/31再UP |