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糸し糸しと言う心。
「嬉しいからとメソメソ泣く奴があるか!笑え、市は笑う方がいい」 不器用な人なのだ。 長政とはそういう人なんだ。 「長政さま。ずっと市と一緒にいてね・・・」 「あぁ。勿論だ」 得られたと思った幸せ。 きっと初めてだった。 だけど、それをくれた相手はもういない。 自分の所為で死なせてしまった。 半ば自棄のようなまま、兄の命令で浅井家に嫁いだ。 けど、嫁ぎ先は悪くない。 不器用ながらに長政は市を大事にしてくれようとする。 「市・・・・ここに居ても・・・・長政さまのそばに居てもいいんだ・・・・」 ここが市にとっての終生の地であればいい。 だから誰も邪魔はしないで。 市はずっとあなたのそばにいるから。 【6】 幸せとはなんだろうか? 現状に満足していること。 人によって幸せとは様々だろう。 今の市にとって幸せは何かと問われれば、長政のそばに居られることなのかもしれない。 一度大事な人を失って、もう二度とそんな想いは抱かないだろうと思っていたのに。 欠けた想いを長政が補ってくれる。 何が市にあったのか知らないのに、大事にしてくれる。 優しい人。 。 彼のことは忘れない。 絶対に、絶対に忘れない。 忘れられるはずがない。 幸せだ、と今思っても素直に思えない部分は彼への想いがあるから。 のことは好きだ。 もう二度と会えなくても、伝えられなくても。 そう秘めているものがあっても、長政は市を大事にしてくれる。 今度、話そう。 市には大事な人が居たと。 彼が居たから、彼と出会えたから、市は笑えたのだ。 今も笑えるのは、それは長政のおかげ。 二人の大事な人が市には居たからかもしれない。 だが・・・・。 「あなたは信長公の命令に背くおつもりですか?」 兄信長の使者としてやってきた明智光秀。 誠実そうな青年に見えるのに、彼には誰にも理解できないような闇を抱えているように思える。 戦に出れば好戦的になり、多くの人を虐殺することも厭わない。 何がそんなに楽しいのかと思えるくらい、恍惚な笑みを浮かべている。 そして、その手でを斬った男。 憎んでも憎みきれない。 いや、これに関しては市はずっと自分自身を責めている。 市が素直に戻れば、は助かったかもしれないから・・・・。 「信長公の性格はあなたが一番ご存知でしょう?」 「!!」 市の肩がびくりと跳ねる。 一瞬で全身の血が引いていくような感覚に襲われる。 『長政が信長の命に従わぬのならば、その首をとれ』 嫁ぐ前に言われたことだ。 そう、信長は市を、長政を見定める為に嫁がせたのだ。 信長が危惧しているのは、浅井が長年同盟を結んでいる朝倉家の存在。 信長にとって、この朝倉が邪魔なのだ。 長政が市を迎えたことで、織田とも同盟関係が築かれる。 だが、信長は朝倉を排除する考えのままだ。 浅井が織田につくなら良し、そうでなければ長政の首を取れ。 それが市に与えられた命令だった。 「市には、できない・・・・長政さまを・・・・なんて・・・・」 ここで光秀が牙を向くかもしれない。 けれど兄の命令など従う気はなくなっていたので、市はそう答える。 光秀の反応が怖い。 どう動くのかが。 の時みたいに、彼自身がいきなり長政に襲い掛かるのだろうか? だが、光秀は 「そうですか・・・・後悔なさいませんように・・・・ふふ」 それだけで。 長政に会うこともせずに帰っていった。 後悔。 きっと信長は烈火の如く怒るだろう。 いや、あの兄のことだ、端から市の行動など想定内かもしれない。 このまま何事もなく過ぎればいい。 市はそう願うも。 市の願いとは裏腹に、信長は戦を起こした。 先ずは朝倉を攻めた。 長政はこれを「悪」とみなし、信長に抗議をする。 織田軍の強さは尋常ではない。 朝倉の次は浅井を敵とみなし、陣を敷いた。 「義兄上は何を考えておられるのだ!」 「・・・・長政さま・・・・」 「直接刃を交えねばならぬか」 ただ攻撃を受けるなど長政にできるはずもなく、浅井も挙兵する。 それには市も動向を申し出た。 「市!何を馬鹿なことを!」 「兄さまに、市が話をするから・・・・だから、市も・・・・」 「・・・・勝手にしろ」 本当ならば城で大人しく待っていて欲しい。 それが長政の願いだろう。 実の妹を手にかける真似は信長でもしないだろうと。 *** 織田軍の勢いは凄まじかった。 これでは埒が明かないと長政は単身信長へと向かっていく。 長政ひとりで行かせられぬと市も同行する。 久しぶりに会う、兄の覇気に市は震えた。 「市・・・・」 「兄、さま・・・・」 目が見られない。 悪いことなど何一つしていないのに。 信長から向けられる視線に耐えられない。 「義兄上!いったい、なぜ、このようなことを!!」 市を庇うように前で出る長政。 そんな長政を一瞥するも、信長は答えず市に言葉を投げる。 「・・・・・市。我は長政の首をとれと。と申したはずだが?」 本人を目の前にして言う事か! 市の双眸が揺らぐ。 「・・・市・・・?」 自分の首? 市が? 長政は信じられないことを聞いたと瞠目する。 「違う!違うの、長政さま!市は、市は!」 市はちょうど長政と信長の間へと入り込むように、長政の前で懇願する。 「市は、兄さまに、そう命じられたけど・・・・長政さまを手にかけるなんて、市には、できない・・・・」 出会ってまだ短くもあるも、長政に惹かれている自分が居た。 目の前で大事な人を奪われたあの日から、闇しか見えないような日々だった。 けど、そこへ差し込んだ光。 長政は市を見てくれる。 この人ならばと、思えるようになったのに。 また兄によって壊される。奪われようとしてる。 「市は、長政さまのこと」 「市・・・・」 「ふん・・・・役に立たぬものよ・・・・」 信長は銃口を市に向け、躊躇することなく引き金を引いた。 「市ぃ!!」 何が起こった? 一瞬、全ての感覚が失われる。 ゆっくりと市の目の前で崩れ落ちた男の姿。 『俺・・・・・・え・・・・』 『な、ん、で・・・・うぐっ!』 あの時と同じ? あの時と同じ様な光景が、また市の目の前で起きた。 「ながまさ、さま・・・・」 長政が信長の銃弾から市を庇ったのだ。 長政は何も言わずにそのまま倒れた。 「ながまささま、ながまささま」 ゆっくりと倒れた長政に近づく市。 長政は何も言わない。 ぴくりとも動かない。 撃たれた場所から鮮血が流れ、見る見るうちにその場が赤く広がっていく。 あの時と同じ。 まただ。 また目の前で・・・。 「長政さまっ!!!」 市は長政を抱き起こし、天に向かって叫んだ。 また、大事な人が、市の所為で死んだ。 *** 浅井家に輿入れしたと言っても、織田に滅ぼされ帰る場所がなくなった市。 自分の命令ひとつ成し遂げない妹など、手駒としても信長には不必要と感じるだろう。 だけど、信長はそのまま市を尾張へ連れ帰った。 輿入れの祭に沢山のものを持って出たけど、それらもそのまま浅井家の小谷城にそのまま残された。 物に執着はないが、たったひとつだけ。 の形見となった携帯電話だけが手元にあれば、市にはそれだけでよかった。 戦の時も、それだけは肌身離さず持っていた。 尾張へ戻ってきた市は極端に無口になった。 誰とも会話せず、誰とも視線を合わすことなく。 織田軍はあっという間に周辺諸国を落としていき支配下に治めた。 信長の勢いが増せば増すほど市は人としての感覚を失わせていく。 それもそのはず。 信長に人形のように従う日々が続いていたのだ。 戦になれば借り出され、多くの人の命を奪う。 そんな日々が。 「なんで、信長様は・・・・あいつを連れ戻したんだろう・・・」 蘭丸は人形に成り果てた市を見て呟く。 と駆け落ちをして、帰るのは嫌だと反抗した市。 その時、蘭丸は「あぁこいつもちゃんと言えるじゃんか」少しだけ感心したのに。 駆け落ちをしただけもその意思表示にはなったのかとは思うが。 だが結果はいなくなり、市は長政へ嫁いだ。 そこで新たに幸せでいるかと思えば、それも信長の策の内で。 蘭丸は信長を非難するつもりなど、少しもないので。 そこに関してはどうでもいい。 けど、長政を失った市は織田へ連れ戻された。 なぜ、そこまでこいつを使おうとするのだろうか? 一兵士としてならば、蘭丸は市よりも十も百以上に役に立って見せるのに・・・。 「やっぱり。ダメだったんだな・・・・」 雨の中、見下ろしたあの青年。 一向に噂を聞かない。 だけど、あの場所へ行くのも躊躇われた。 生命の強さに賭けた。とでも言うのだろうか? もしかしたら、あいつが生き延びていて、市の前にまた姿を現すかもしれないと思ったから。 逃げることをなんとも思わない。 戦うよりもいいと言っていたあの青年。 市の為に生き延びて戦うかもしれないと思ったから。 けど、あの場所へ見に行って白骨でも見つけたらと思うと嫌で。 蘭丸はその青年のことなんかどうでもいい。 いいに決まっている。 信長様の役に立とうとしない奴なんか居ても居なくても同じだ。 けど。 『市の笑顔。ちゃんと見たことあるか?本当、綺麗で、可愛いぞ』 ちっとも笑顔なんか見せないぞ。 別に見たいとも思わないが、お前が居なくなってからあいつはずっと無表情で。 今ここにいるあいつは更にぴくりとも動かないような人形みたいで。 「お前じゃなきゃ、あいつ・・・笑わねぇよ・・・・」 日に増すごとに、戦に出るたびに。 市の心が壊れていくように蘭丸には思えた。 濃姫は市の室へ様子を見に行った。 信長の命令でしたくもないことをして、精神的に参っているだろうと思って。 濃姫も戦場には出る。 出るが、それはすでに自分が信長の為にと覚悟はしているから。 だからあの場でも耐えられる。 でも、市は違う。 (違うと思っても、時折感じるものがあるけど・・・・) 高揚感にも見えるそれ。 戦場の市を見て、ゾクッと背筋が凍ることが何度かあった。 魔王の妹。 そう言われても確かにおかしくないと思える存在。 もう一人の魔王でも信長は作ろうとしているのだろうか? だがそれでは信長が喰われてしまうだろうに。 信長は人であるが、あの姿の市は人ではないように思えるから。 人でなくなったものを相手にした場合、人は勝てるだろうか? 「市?」 障子を開ければ、室の中心でぼんやりと正座をしている市がいる。 声をかけても市は無反応。 「市?」 何度目かに呼ばれて、ようやく市は振り向いた。 だが目は虚ろだ。 二度も目の前で大事な人を奪われたのだから、悲しみのどん底に落とされても仕方ないだろう。 だが、市は嘆く暇も与えられなかった。 濃姫は市の向かいに同じ様に腰を下ろした。 「市。ちゃんと食事はとっている?」 「・・・・」 食べているのかいないのかもまったくわからない。 倒れる気配はないので、大丈夫だとは思うが。 「何かあったらちゃんと言いなさい」 「・・・・・」 心配をしている人間など存在しないと思っているのだろうか。 だが実の兄があれではそう思われても仕方あるまい。 ふと濃姫は市がずっと握っている物に目が行く。 「市、それは何?」 濃姫が手を伸ばし、触れようとすると。 「触らないで!」 濃姫の手を弾く。 「・・・・市・・・・・」 一瞬だけ、感情が出た。 けど、すぐさま元に戻る。 それでも、濃姫には悪いことをしたと感じたのか、小声で「ごめんなさい」と謝った。 「市・・・・」 見たこともない代物。 市が大事そうに持っているそれ。 誰にも触れて欲しくないもの。 あぁ、そうか。 あの青年の物か・・・・。 濃姫はそっとしておこうと室を出る。 出る際に市の背中を見つめる。 (きっと・・・・私のことも恨んでいるでしょうね・・・・・最初にあなたの大事な人を奪ったのだから) 市を連れ戻す為に、あの青年を見殺しにした。 本当は濃姫も駆け寄りたかった。 すぐにでも手当てをして連れ帰りたかった。 けど、できなかった。 理由がどうあれ、そんな自分を市は許さないだろう・・・。 「・・・・・憎いわね。この青空が・・・・」 廊下を歩く濃姫の目の前には青く清々しいそらが広がっている。 気持ちよく感じるものも、こっちの気も知らないものとして忌々しく思えた。 勝手な話なのだが・・・・。 「暑ぃ・・・・今日もいい天気だな・・・・」 小高い丘の上で額に吹き出た汗を拭う。 燦々と頭上で輝く太陽の所為で汗が出たわけではなく、ずっと走っていたから。 「おぉーい・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・・」 「遅いぞ!」 「そ、そうは言っても・・・・お主が・・・・はぁ・・・・」 ようやく追いついた連れに苦笑する。 「帰りも走って帰るんだぜ?体力ありあまってそうなのに、そんなんで大丈夫か?」 「だ、大丈夫に決まっている!」 「じゃあ。少し休憩したら走るぞ。あ、休憩するのに座るなよ?座ると余計に疲れるから」 座ろうとしていた相手に注意する。 え?と中腰になった相手は慌てて立ち上がった。 「今日もいい天気だ」 は青空に向かって目一杯伸びをした。 19/12/31再UP |