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糸し糸しと言う心。
なに・・・・しているのかな、俺って。 ここ、外だよ。 誰もが見ているかもしれない、外で。 今日はいつもみたいに自転車で市を乗せて出かけたんだ。 途中、休憩をしながら。 河原である程度休んで、じゃあまたどこかに行こうかと歩き出した時。 土手で転びそうになった市の頭を庇って、結局支えきれなくて一緒に倒れた。 市が頭を打ちつけることがなく、怪我が無くてよかったけどさ。 でも、この体勢って。 市を押し倒しているように見える。 すぐに身体を起こして離れようとしたんだけど、市が。 市が、俺のことをまっすぐ見ていた。 悲鳴をあげられ、突き飛ばされても可笑しくないのに。 そっと手を伸ばし、俺の頬に触れている。 「市・・・怪我ない?」 「・・・・うん。が庇ってくれたから・・・ありがとう」 「な、ならいいよ。う、うん・・・・あっと・・・・その・・・は、離れるからすぐ」 離れようと、市の上からどこうとしたのに、俺を見る市の視線から外せなくて。 「・・・・・・」 「い、市?」 市の指先が俺の目元、鼻先・・・そして唇に触れている。 心臓がバクバク言っている。 俺を見る市から目が離せなくて。 吸い込まれそうになって、見惚れている。 いいのか? いいのかな? 俺が、今しようとしていることが怖くて。 嫌われるかもしれない。 けど、欲しい。 酷く市のことが欲しいと思った。 普段は姫様だと感じられる清楚な姿なのに、目の前にいる市から不思議と妖艶という言葉が浮かんだ。 あぁ、これが欲情って奴なのか・・・。 顔を近づけ、目と鼻の先。 市は逃げない。 ただ俺のことを見ている。 「」 俺を呼ぶその声音に肩がびくつく。 でも、ごめん。 もう止められないよ・・・。 市にキスをした。 ガキの、触れるだけのキスではない。 自分でも初めての、貪るようなキスを。 最悪、嫌われるどころか、信長様の耳に入ったら、殺されるかもな・・・・。 それでも、市とのキスは止められなくて。 心臓が、腹の底が、市を感じる箇所が酷く疼く。 あぁ、俺、この子が好きなんだな。 好きな子に嫌われるようなやり方をしたんだ。 最低だ、酷い奴だ。 「市・・・・」 引っ叩かれても、罵られても、それは受け入れなきゃ駄目だよな。 「・・・・市をどこかに連れて行って・・・・」 「え?」 市から出たのは拒絶の言葉。ではなかった。 「・・・・市、が好き」 「ずっと、と一緒にいたい・・・」 「兄様の手が届かないところに連れて行って・・・・」 なんだろう。 嬉しいと感じるはずなのに。 酷く、切なく思えるのは。 【4】 市もが好きだと言うことなのだろう。 の口づけを拒むどころか受け入れて、自分の想いまでも告げていたのだから。 「連れて行ってって・・・・市?」 倒していた身体を起こし、向かい合って腰を下ろす二人。 はその意味がわからず、市に問い返すも、逆に市から問い返される。 「は、市のこと、嫌い?」 「き、嫌いなもんか!嫌いだったら、・・・・キ、キスなんてしないし、俺も、市が好きだ」 心外だと言わんばかりには断言する。 と言うものの、告白する前にキスをしてしまった手前、信じられていないのかな?と感じもする。 好きだというの言葉に市は破顔する。 嬉しいと、の手をとり、愛しそうにその手を包み自分の頬に当てる。 「市もが好き」 絵になる姿だなと見とれてしまう。 こんな子に好きだと言ってもらえるなんて思ってもみなかった。 人形みたいな綺麗な子。 白い肌にカラスの濡れ羽のような漆黒の髪。 表情が乏しいのかと最初は思ったが、一緒にいるうちに沢山笑ってくれるようになって。 蘭丸や他の者はそんな市の顔を知らないかと思うと、独り占めしているような妙な優越感に浸りそうになった。 確か、戦国一の美女だとか、そんな風に信長の妹市のことを聞いた。 悲劇の女性とも言われる。 信長の妹だったからなのかはわからないが。 「ずっと、ずっと・・・・と一緒にいたい・・・」 「市・・・・あ」 戦国一の美女お市が辿った運命。 もそれくらいは知っている。 知ってしまっているから、市の願う言葉が余計に切なく聴こえる。 市が急にそんな事を言い出したのも、もしかしたら「それ」が関係しているからではないか? 「市・・・急に・・・・どうして・・・」 声が掠れた。 先ほどとは違う緊張がする。 わかっている。 きっと「それ」だ。 だから、聞いてはいけない気がする。 聞けば、それは市との別れを意味するものだろうから。 けど、聞かずにはいられないから。 逃れられないような気がして。 だって、市の後ろにはあの信長がいるのだ。 「・・・・・それは・・・・」 市が手を下ろす。けど、の手はしっかりと握っている。 物悲しい顔をして、市も「それ」を口にするのを躊躇っている。 「聞かせてくれないと、俺は・・・どうもできないよ・・・・」 「・・・・・・」 市の双眸が揺らぐ。 ややあってから小さく頷く。 「兄様が・・・・・」 やはり信長か・・・。 「兄様が・・・・市に、浅井家に、嫁げって・・・・・」 「・・・・・・」 思ったとおりだ。 信長が天下統一の為に、避けて通れない近江の浅井家。 浅井長政と市の婚姻により、同盟を結ぶというものだ。 市のような美女を嫁にと言われれば、浅井も悪い気はしないだろう。 それに、信長の天下への勢いが増す一方の中、織田と同盟を結べば浅井は安泰でもある。 「きっと・・・・以前の市なら、黙って兄様の言うとおりにした・・・・けど」 の手を握る市の手が小刻みに震える。 「と出会って・・・・と一緒にいられる時間が楽しくて、嬉しくて・・・・」 スッと市の目から涙が零れる。 頬を伝い、その手に落ちる。 「と離れるのが、嫌・・・・」 「市・・・・」 「と離れたくない」 ある種この時代の女性は交渉の道具だろう。 よほどのことがない限り、本人の意思が尊重されることはない。 まして信長に意見できるはずがないだろう。 これはもう決定なのだ。 決して覆される事のない。 「離れたくない、と・・・・市、ずっとと一緒にいたい・・・・」 信長が市を外に出すことに反対しなかったのは、いずれ浅井へ嫁がせると決まっていたから? 信長から見れば、戦うことを恐れている逃げ足の速い小僧などなんの障害にもならないとわかっていたから? (確かに・・・・市とつりあうような地位にいるわけでも、力があるわけでもない・・・) あの戦で、たまたま遭遇しなければ今頃野たれ死んでいたかもしれない。 余計に力のなさを痛感して、信長にとって自分が利用価値もないものだと改めて知って悔しい。 「俺。馬鹿かもしれない」 「?」 「馬鹿だから・・・・・こうするんだ」 市の手をギュッと握り、立ち上がらせる。 「行こう。市」 その一言だけで、が何をしようとしているのか市はわかる。 「どこか、遠くへ行こう。一緒に」 「うん」 金とか、当てとか何もないけど。 このまま織田の館に帰るなんて真っ平御免だ。 市が浅井へ嫁ぐ日は近いのだろう。 逃げればどうなるかなどわかっている。きっとタダではすまない。 それでも、市を連れて館へ帰ることより、どこかへ逃げることを選んだ。 の自慢の自転車に乗り、ペダルを思い切り漕いだ。 *** 自動車もなければ新幹線もない。 移動といえば徒歩か馬。 馬は火急の用事で使うもので、基本は徒歩だろう。 だから、自転車があって正直助かった。 馬ほど速くは行かないが、徒歩でちまちま移動するよりは距離を稼げている。 どこまで逃げ切れるかわからない。 容易く捕まるであろうとわかっている。 そんなに甘いものではない。 けど、易々と市の婚儀を受け入れられなかったのだ。 一緒にいたいと市を泣かせてしまったのも嫌だったから。 市の気が済むならせめてやれることはしてみようと思ったのだ。 (関所ってのは江戸時代に入ってから設けられたものだよな? だから国越えするのにそう難しい事はないと思うけど・・・・現在地がわからないから、迷うなぁ) できれば尾張を抜けたい。 賑やかな人の多い場所へ行った方がいいのか、人がいない山里へ逃げるべきなのか。 そう四苦八苦しながら、逃亡を始めて4日目。 「市。辛くない?大丈夫か?」 「うん。大丈夫」 寧ろ兄から逃れられて嬉しいと平安を得てしまったように市には感じた。 突発的にしたことだから、荷物などない。 それでもなんとか、出会った人が優しい人たちで、食事を分けてもらったりして過ごせた。 自転車を走らせながら、逃げ切ったら何をしようか?などと話す。 市の願い・・・贅沢は言わない。 と一緒に居られればどんな生活でもいいのだ。 金品、財宝などなくていい。 静かな場所で、二人で楽しく暮らせるのならば。 だから姫なんて立場はいらない。捨ててしまいたい。 「あ。なんか雲行きが怪しいなぁ・・・・」 ふと見上げた空。 東の空に暗雲が。 これは一雨来そうな勢いだ。 「市、どっかで雨宿りを。っ痛ぅ!!」 肩口に熱を感じた。 「!?」 右袖が破れている。 そこから滴り流れる血。 はその痛みに耐えれずサドルから手を離してしまい、バランスを崩す。 「しまっ!」 ガシャンと音を立てて自転車は倒れる。 「市・・・・ごめ、ん・・・」 「。、血が出てる」 「うん。急に何かが掠って・・・・」 傷口を押さえる。 辺りが暗くなる。 今すぐにでも雨が降りそうだ。早く雨宿りをせねば。 だが、二人の前に人影が現れる。 「そこまでよ、二人共・・・・」 その姿に二人は息を呑む。 拳銃を手にした濃姫、それと蘭丸と銀髪の長身の男が控えていた。 「濃姫様・・・・」 「義姉様・・・」 の傷はどうやら濃姫が撃った弾が掠ったためらしい。 急所を狙えるはずなのに、濃姫はわざと外し二人を止めたのだ。 「馬鹿な真似は止めて戻りなさい、二人共・・・・今ならまだ間に合うから」 悲痛を浮かべている濃姫。 蘭丸は無表情。 一緒にいる男は恍惚。 「馬鹿な真似って、なんすか?」 傷口を押さえながら、は市を庇うように立ち上がる。 「・・・」 濃姫は銃を構えに標準を合わせる。 本当はしたくない、こんなこと。 濃姫にとっても、は気を許せる。友人、弟のような子だから。 「君。私も手荒な真似はしたくないの・・・市が素直に戻ればあなたは見逃してあげるわ」 市が戻れば。 それはもう、自身は戻ってこなくて良いと言う信長の命令なのだろう。 確かに、市に怪我をさせるより自分が手放せば・・・。 「嫌!市はとずっと一緒にいる!兄様のところには帰らない!」 初めて見せた市の反抗に濃姫も蘭丸も瞠目する。 「もっと早くに、そういう態度を見せろよな・・・・」 馬鹿じゃねぇのか。蘭丸が初めて口を開いた。 そうすれば何かが変わっただろうに、ただ逃げることしかしなかったから、蘭丸には腹立たしいのだ。 「市。だったら、そう上様に自分で言いなさい。逃げるのではなくて、自分で」 市がのお蔭で変わったのだと濃姫はわかっているから。 「義姉様・・・・」 ポツリポツリと雨が降り始める。 「君。お願い」 「濃姫様・・・・俺・・・・」 濃姫に辛い選択をさせているのだろうか?この人は少なくとも自分にとって味方だった。 そんな人を追っ手に使わす信長を憎憎しく感じる。 「俺・・・・・・え・・・・」 風を感じた。 そう思った瞬間に血がドッと視界に溢れた。 「な、ん、で・・・・うぐっ!」 気付けばばっさりと斬られている自分が居た。 血が逆流して吐血してしまう。 「!!」 「君!・・・光秀!!」 銀髪が揺らぐ。 鎌を手にした男が一瞬でを斬ったのだ。 「甘いですよ。帰蝶・・・・。信長公は抵抗するのならば斬り捨てても構わないと」 明智光秀。が知っている限りでは優しそうな男だった。 笑みを絶やさす、丁寧な物腰の男。信長に仕える重臣。 なのに、今目の前にいる光秀は悪魔のような笑みを浮かべ人を斬ることを楽しんでいる。 「く・・・そっ・・・」 膝をつきそのまま地面に伏してしまう。 意識が朦朧とする。 「!!」 市の悲鳴が聞こえる。 起きなくちゃ、まだ何も言っていない。 起きて市に、濃姫に、伝えなくては・・・。 「大丈夫。すぐ楽にしてあげますよ・・・その首を刎ねれば痛い思いはしませんよ?」 スッと首に冷たい刃が触れる。 「光秀!」 「や、やめて!を傷つけないで!」 市が震えながらも光秀の前に立ちはだかる。 だが逆に腕をとられてしまう市。 (い、ち・・・) 何か言わなくて、声を出さなくて。 なのに、力が入らない。声も出ない。 「光秀!市を連れ戻すことが上様の命令です。乱暴はよしなさい!」 「おやおや。怖いですね、帰蝶は・・・・いいでしょう」 だがこのまま離せば市が逃げるだろうと、光秀は手を離さない。 そのまま用意されている籠へと連れて行く。 「!!」 市は離れたくないと抵抗するも、籠に押しやられる。 「さて。行きましょうか。このままではずぶ濡れですから」 市が暴れるとも限らないし、光秀は何かする可能性もある。 が心配であったが、濃姫は無言でその場を離れる。 (・・・・もう、なんもわかんねぇ・・・) 雨で血が流れていく。 このまま死ぬのか、あっさりしているな。 でも痛みが増すばかりだ。 それは斬られたからではない、何も言えず、できずに市と引き離されたから。 「弱いから、お前は死ぬんだぞ・・・・」 蘭丸が見下ろしている。 皮肉でも言い残していくつもりなのか、馬鹿の最期を見届けるだけなのか。 「戦えよ、お前」 そう言われても何も言い返せない。 ただただ痛みに耐えて、血と涙が雨で流されていくだけだ。 「信長様に言われているから、蘭丸はお前を助ける事はできない・・・」 どうせこのままにしておけば・・・・。だから見捨てる。助けない。 それが蘭丸の最大の譲歩だ。 運が良ければ助かるだろうからと。 遠ざかる蘭丸の足音。 (いち・・・・・・ご、めん・・・・) でも。楽しかったよ。 君と過ごした時間。 短かったけど、想いが通じて嬉しかった。 最初にここで出会ったのが市でよかった・・・・。 19/12/31再UP |