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戻らない時間。
家康に頭を下げた。 どうしても戦を回避したくて。 豊臣がただの大名家に下がってしまったとしてもいいと思った。 自分には武士の矜持などわからないから、簡単に言えたのかもしれないけど。 戦を回避するよう努力してみようと。 それが本心からかわからない。 家康から見て、自分が綺麗事を言っているようにも思われただろう。 そして、家康から出された案、条件の一つに戸惑いがあったのは確かだ。 「私が…嫁ぐ…ですか?」 「あぁ。正式ではないものの、殿は秀吉殿の娘同然に育てられた。豊臣家の者として、徳川家に嫁ぎ、同盟の懸け橋となってくださればと思って」 時代を考えればそれも一つの手でよくある話だ。 秀吉に娘はいないが、妹など身内を諸大名に嫁がせ関係を強固なものにしていたことはあった。 秀吉に娘のように可愛がられていたが、あくまで「ように」であり、娘ではない。 だから、婚姻関係を結んだとしてもではそう強い効力はないと思った。 「私でいいんですか?」 「殿だからこそ。とわしは思いますが。おねね様はどうですかな?」 「……私は……」 ねねは迷っているようだった。 秀吉自身がをそのように利用しようと思っていなかったから…。 だけど、ねねが答えるより先に。 「わかりました。私でよければお受けいたします」 深々と家康に頭を下げた。 【3】 「き、きき、清正!!た、たた大変だ!!」 清正の元に正則が駆け込んできた。 「煩いぞ、馬鹿」 そうは言っても、いつもの事かと清正は軽く流す。 「しょうがねぇだろ!これが騒がずにいられるかってんだ!」 「わかった。だから落ち着け、何が大変なんだ」 落ち着けと言われた正則は、落ち着けないと清正に噛みつく。 清正は話が進まないと正則の頭を殴る。 なんとなく、ここに三成が居ればまた違った感じなのだろうと思った。 3人でいれば、正則が慌てて飛び込んで来た時に二人がそれぞれの役割で宥めただろうに。 だが、三成がいないのは今、自分たちの道が別々に向いてしまったから。 考えが衝突してしまったのだからしょうがない。 「だ、だってよ。は、話がなんかすげえ事になっていてよ」 「話?」 「いや、俺も聞いた話なんだけどよ。なんか…家康が豊臣に和睦を申し入れたって」 「なに?」 それは確かに清正にも驚きで大変なことだ。 いつ戦が始まっても可笑しくない状況で、急に和睦だと言われても。 しかも、豊臣ではなく、徳川からだと。 「本当の話か?」 「らしいって、噂だ。しかもよ…その条件の一つが…」 正則にしては困惑した様子を見せた。 「を…徳川に嫁がせるって…」 「なんだと!?」 「な?だから大変だって言うんだ。なんでが…」 いつかはも嫁に行くだろうとそんな話をしたことはあった。 その時は三成が娶ってくれればは幸せになるだろうと思った。 のそんな話に軽口を言い合って、騒いで…。 それが急になんだ。 徳川に嫁ぐだと? しかも和睦の条件に。 完全なる道具じゃないか。 「豊臣…三成はどうするんだろうな…」 他の和睦の条件を知らない二人には、どのように話が転ぶのかわからない。 いまだに豊臣に残っている大名家は大勢ある。 その多くがこの和睦を受け入れた方がいいと言えば、そうなりそうだ。 そうしたら、は…。 「あの馬鹿のことだ。戦がなくなるなら喜んで嫁ぐだろうさ」 「そ、それは…」 正則は唇を尖らせる。 「は三成の事が好きじゃねえか。それでいいのかよ」 「俺に聞くな」 そんな事は清正だってわかっている。 だけど、状況が状況だから…。 が自分たちの現状を嘆いているのも知っている。 そして、三成を討ち取ってしまったならば、平穏になっても一生許されることはないだろうと。 「清正。を止めようぜ」 「は?」 「だからー。に馬鹿な真似すんなって、んな案お前が蹴飛ばせって。が嫌って言えばいいじゃねえか」 「………俺はさっき言ったぞ。戦がなくなればと」 「けどよ…」 「それ以前に、俺たちが言ったところで、は素直に聞かないさ」 正則は一瞬言葉に詰まるも、名案だと声を上げる。 「なら、おねね様に頼もうぜ!おねね様が言えばだって引き下がるさ」 自分たちが言うのは筋違いかもしれない。 それ以前に、和睦を潰そうとしているともとられる。 家康がいくつ和睦案を豊臣に出したのかわからない。 でも、の名前を出してくるのには、それなりに重要視されているのかもしれない。 *** 「利家様…私がした事って…いけない事だったんですか?」 が利家の前にやって来ておずおずと尋ねた。 利家は縁側で肘を付き横になっていた。 「んー?のした事って?」 は利家のそばに正座する。 「誰にも相談することなく、勝手に和睦を…」 現にこの話を知った三成は激怒した。 「俺は別に悪いとは思っちゃいねえよ?」 利家は身体を起こし、に顔を向ける。 は随分泣いたらしい、目も鼻先も真っ赤でになっている。 三成に拒絶されたのが相当尾を引いているようだ。 「思わねえけど、もうちっと自分を大事にしろ」 利家はの頭に手を置き、わしわしと撫でた。 「お前が、兄貴達のことを思って決めた事なのはわかるさ。けどよ、それをあの兄貴達は喜ばないだろう」 「け、けど…」 「それによ。秀吉がにそんな話を一度でも持って来なかっただろ?あいつ自身、をそんな風に嫁がせようと思っていなかったんだ」 「それは…私が秀吉様の実子じゃないから」 「違うな。ま…秀吉の命令で嫁がされた妹さんには悪いけどな。あいつは本当に大事なもんは手元に置いておきたいんだよ」 の目に涙が溜まる。 「利家さま…」 「よく秀吉からはが可愛い、自慢の娘だって聞かされたもんだぜ」 はボロボロ涙を零す。 「わ、私だって。本当は、知らない誰かに嫁ぐとか嫌です。でも、もう…家族がバラバラなのが嫌なんです。みっちゃんと清正達が戦で戦うのが…どっちも居なくなって欲しくないから」 「…清正の言葉を気にしてンだろ」 は何度も頷く。 好きな人は三成だ。 だけど、清正と正則が大事ではないと言う訳ではない。 二人も大事な人だ。 三人が自分にとって頼れる兄貴達だから。 「けど、は頑張ったよ。自分の望みを我慢してよ」 「利家さま」 「おぅ。頑張ったな、」 わしわしと何度も利家はの頭を撫でる。 大きな手だ。 なんとなく、秀吉を思い出した。 秀吉の手は利家ほど大きくはないけど、同じくらい温かみがあった。 秀吉と最後に会ったあの日、撫でてくれた手が温かったのを覚えている。 それを、なんとなく思い出したら余計に涙が溢れた。 *** 「まあ…そう来るだろうとは思っておったが」 家康は笑う。 豊臣への和睦の申し入れ。 急な話であったが、どう反応するかはわかっていた。 あの気位の高い茶々が一大名に格下げするのを良しと思わないだろうと。 だが、茶々以外の者がなんとかそれを宥めれば話は変わっただろうと。 茶々の妹お初も仲介役に名乗り出てくれた。 一部の大名からは和睦を受けるべきだと言う話もあったようだが。 「お茶々殿は蹴ったか」 返答の期限は過ぎても返事は来なかった。 これは破談したと思えばいいだろう。 「……天下泰平の為には仕方ない事…だが、殿には申し訳ない事をした」 そんなにと接した事はない。 たまに忠勝の娘であり、自分の養女でもある稲から彼女の話は聞いたことがある。 そのが自分に頭を下げて懇願してきたとき、硬い表情だった上に、家康に対し緊張と不安を持っていたようだ。 その手が小さく震えていた。 それでも非力な娘が、必死に申し出た事を無下にしたくないと思ったから。 婚姻と言う条件に彼女を使った。 の話から、三成や清正達の関係がわかる。 今は仲違いしているが、根本にあるものは3人同じなのだろう。 「だからこそ…豊臣の家を守りたいのだろう」 「殿」 「出陣の準備を急がせよ!」 に、ねねにも申し訳ないが、戦が起こるのは確実なものになった。 「俺は性格が悪いなと思ったよ、正則」 「あ?なんでだよ、清正」 各地で豊臣と徳川に分かれての戦が始まった。 一進一退。そんな状況。 決戦は関ケ原、両陣営が睨みを利かせている。 清正と正則は三成がいるであろう本陣に目を向けていた。 「和睦が破棄された事にさ、喜んだ」 「それはよ〜」 「いや、和睦の内容を後から聞いた。豊臣にしてみれば上からともとれる物言いに腹を立てただろう。事実茶々様はそうだったらしいからな。 けど、条件は悪くないと俺は思った。俺たちの家が残る方法としては…」 「それでも、破棄されたのが嬉しかったんだろ?」 別に戦がしたいわけではない。 破棄された事に喜んだのは。 「が嫁がずに済んだと思ってさ」 「それは俺も安心した」 和睦の破棄理由を清正は詳しくは知らない。 だけど、おかげでが嫁ぐこともなくなったから。 「これに決着ついたらよ。に謝りに行こうぜ、清正」 「…謝って済むとは思えん」 「んな事ねえって。ガツンと喧嘩して、やり合ったらすっきりするって。 んでよ、終わったらきれいさっぱり遺恨なし!そうすりゃいいじゃん。 俺、家康さんに一応そう頼んできた。俺らが勝ったからって三成を処刑するのとかなしって!」 「………お前な…」 そんな綺麗に話がまとまるはずがない。 だったら戦に発展するはずもない。 綺麗事だ。 だけど、そう考えられる正則が羨ましかった。 自分は三成を討ってでも。と考えていたから。 「三成も連れてよ、のところに行こうぜ。な!清正!」 返事はできなかった。 3人が元に戻るとは到底思えなかったから。 *** 「みっちゃん…」 あれから一度も三成に会う事はなかった。 怒っているんだ、まだ。 そう思うと、自分から会いに行くこともできなかった。 「どうしたらよかったんだろう…」 けど、怖くて屋敷から出られないでいた。 そうしているうちに戦が方々で始まったと聞いた。 「。三成も出陣しちまうぞ」 利家も戦の準備をしていた。 すぐにでも戦える格好をしている。 「利家様…」 「できるだけ三成の事は見ててやるけどな」 利家は利家で、自軍のこともあるから断言はできないらしい。 「一応」 利家がの肩に手を置いた。 「色ンなことに覚悟しておけ」 色んな事…。 戦国に生きる女性ならば、その覚悟はとっくにできているだろう。 松も慌てることなく落ち着いている。 ねねのそんな姿も見たことはない。 そう思うと、自分は本当子供だった。 小田原に出陣する三成達に馬鹿みたいに駄々をこねたから。 「……はい」 必死に一言だけ発した。 それが精一杯で、だけど覚悟なんかできていない。 不安で胸が張り裂けそうで。 後悔だけが残りそうで。 でも、今の自分にはどうにもできなかった。 12/08/15
19/12/30再UP
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