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野良猫娘と飼い犬男の話。
直政が運ばれた室にが向かう。 ここに残る事が出きて嬉しいのだが、反面何故?と困惑も交じっている。 「康政様…」 ここだと案内された室で、直政は寝かされ、そばに康政が腰を下ろしていた。 「おお、来たか」 は直政の寝顔に、先ほどのような苦しさがない事を確認し、安堵する。 そのままも腰を下ろす。 「あの、康政様…直政は急にどうして?」 「あぁ…まぁ、俺も驚いたがな」 康政は苦笑する。 元々康政は見舞いで井伊家を訪れたのだが、女中達が必死こいて直政を引き留めている場に遭遇したそうだ。 「目覚めたばかりだから、安静にしていろ。と言われても頑として聞かなくてな。仕方なく直虎殿がそれを認めたようだが、俺に着いて行ってほしいと頼まれてな」 「……」 「そうまでして、野良猫娘を引き留めねばと思ったのだろう、こいつは」 そう言って笑い、を見る康政には何とも言えない気持ちが湧いた。 【28】 「しかし、先日話した通りになったな」 「?」 覚えていないのか?と康政は笑う。 つい先日のことだと。 直政に京へ行く話を隠して居たために、それがバレてしまったときのことだと。 「野良猫娘は、直政に勝手にしろと言われたから勝手にすると言ったろ?じゃあ、行くなと直政が言えば行かないのか?と」 「あ…ありましたね。そんな話も」 だけど、は直政に限って、家康第一の直政に限ってそれはないと答えたのだ。 「一番ないだろうと言った展開になったがな」 「………」 「まぁこれで良かっただろ?」 「本当に良かったんでしょうか?結果的に、私は…」 「おいおい。折角直政が引き留めてくれたのに、腑に落ちない事でもあるのか?」 「だ、だって。私は…井伊家にお嫁さんが来るから、その邪魔になりたくないから…って、井伊家を出ることを決めたのに。これじゃあ…」 元に戻っただけだとは顔を俯かせた。 「い、いや。野良猫娘。それは違うだろう。でないと」 「………」 「はぁ…お前は何もわかっていないじゃないか」 「「直政!?」」 直政がいつの間にか目を覚まし、天井を睨み付けるように見ていた。 倒れてくる材木から体でを庇った直政。 相当の衝撃があり、数日目覚めないでいた。 だが、ふと自分の手に温かみを感じる。 「なんて言っていいかわからないけど。私は直政の家族になりたかったの。 なれて嬉しかったのに。きっとその中でも直政の一番になれたらいいなって。 だから、直政にお嫁さんが来るってわかったら、一番になれないなら笑って家族のままで離れてしまおうって思ったんだ」 の声がする。 「でもね。実際、良い子でいられなくて…結局、直政がしてくれたことに対して嫌な態度をとっちゃって。本当ごめんね、可愛げなくて」 直政が覚えている限りでは、を庇い。 彼女は自分を抱えて「直政を助けて!」と叫んでいた。 自分なんかを助けるな。などと言われたが。 彼女に危機が迫る瞬間、考える間もなく体が勝手に動いた。 助けることに理由などない。 当然の行為だと思う。 だって、家族じゃないか。 なのに、は「私なんか」と言う。 それは違う。 「なんか」じゃない。 直政からすれば、はその程度の存在ではない。 井伊家の一人で、大事な家族で。 (…それだけではない…わかっている) 家康の薦めで京へ行くとの話を、自分だけが知らなくて。 それを知ったのも、ほぼ話が決まりかけた頃で。 何故、一言自分には相談してくれないのだ!と正直怒りはあった。 信用がないのか? だけど、同時に。 も独り立ちを考え、それをちゃんと見送らねばならないのだろうとも考えた。 家康からの紹介で知り合った美代と言う女性とよく会う機会が多かった頃だ。 だから、年頃の女子の事は正直解らない。 それを美代によく相談していた。 「ちゃんの事を思えば、直政様が背中を押して差し上げれば喜ぶと思いますよ」 「すごいことじゃありませんか。太閤殿下からの申し出、ちゃんが選ばれたら」 「井伊家としては勿論。徳川家としても大変喜ばしいことでしょうに」 「ちゃんの為にはぜひ」 あぁ、そうか。 の今後を思えば、そう言う舞台に立てるだけでもすごい話なのだ。 離れてしまう事は寂しいが、家族としてならば喜んで見送るべきなのだと。 なのに。 「直政なんて、嫌い」 「けど、私は、私自身が、大嫌い!!」 「もういい。…私に構わなくていいから、早くここを出ていくから」 良かれと思ったことが裏目に出てしまった。 そして、その結果が、強風によって材木がに倒れて来て、直政が体を張って庇った。 彼女に怪我がなくてよかった。 自分ならば多少の怪我などどうとでもなる。 戦でもっと深手を負った事だってあるのだ。 だけど、今は息をするのも辛い。 怪我を負ったから? それだけではない気がする。 「直政。大好き」 温かみを感じていた手に少しではあるが、強くなった。 が握ってくれているのだろう。 それだけで、酷く安心した。 すぐそばに、がいる。 だけど。 「嫌いなんて言ったけど、本当は直政が大好きなの。 けど、素直になれない自分が大嫌いなのは本当かな…最初から素直にならないで、一人でうじうじしていたから。そんな私は大嫌い」 お前はいつもそうだ。 後ろ向きなことばかりで、でも、それだけではないはずなのに。 何かあっても、その都度自分の足で進んで、成長していたではないか。 「京に行けば、少しは変わる事ができるかな?ね、直政にも応援してもらえたら嬉しいよ」 「綺麗ごとかな、これって。じゃあ、ちょっと家康様の所に行ってくるから」 温かみが消えた。 ダメだ、それではダメだ。 悲しそうに聞こえたの声音。 一方的に言いたい事だけ言って。 こっちは、自分の気持ちはどうなるのだ。 起きなくては。 今、彼女を追いかけねば。 そう、届かなかった手を、今、もう一度掴まなければ…。 誰もいない室で、直政は誰の手も借りずに一人で起きた。 体中が痛い。 恐らくまだ安静にしていないとダメなのだろう。 だけど、今のこの機を逃すと、もうは手の届かない場所へ行ってしまうと感じたから。 一人で、なんとか着替えも済ませ、屋敷を出ようとする。 すると。 「直政様!!?」 「何をなさっておいでですか!!」 女中達が出歩く直政の姿を見て慌ててやってくる。 「すまん。どうしても、城へ…家康様の元へ行かねば」 当然だが、女中たちは直政を止める。 普段の直政ならば、彼女達が阻止しようとしても、簡単に振りほどけるだろうが。 生憎今の体ではそれができない。 「頼む!放してくれ!!」 「いけません!!」 それでも、なんとか一歩、また一歩と進む。 「誰が!直虎様をお呼びして!!直政様を御止めせねば!!」 「は、はい!!」 慌てて一人が直虎を呼びに行く。 これはまずい。 いくら自分の意思を尊重してくれる義母でも、今は問答無用で止められてしまうかもしれない。 玄関近くで、そんな事をしていると。 「直政…お前、何をしているのだ」 見舞いに来たと言う康政が呆れていた。 「康政殿、城へ、行かねば、が」 「野良猫娘、が?」 「このままでは、あいつは…京へ行ってしまう」 額から脂汗のようなものがにじみ出ている。 体が悲鳴を上げているのがわかる。 ゆっくり体を横にして休みたい。 だけど、今はダメだ。 何が何でもを止めに行きたいのだ。 「あぁ、そう言う事か…だが、今のお前ではなぁ…俺が行って引き留めておくから、それで我慢を」 「それではダメだ!」 直政の声に、康政は瞠目してしまう。 だけど、女中達は直政を行かせまいと止めている。 「お医者様は安静にと。おっしゃられていたのですが、それでも行くつもりですか?虎松」 直虎が静かにやってきた。 もっと慌ててくるかと思ったが、意外にも落ち着いていた。 「義母上…はい。今でなければを連れ戻せません」 「連れ戻す必要があるのですか?」 その言葉は、女中達を怯ませた。 確かに直政を休ませたい気持ちはある。 だけど、が今、家康の下へ行ったと言うことは都へ行く話の最終段階であるのがわかっていたから。 直政は何が何でも引き止めたい。 けど、直虎の今の言葉ではその必要はない。と言っているようで。 女中達にしてみても、を可愛がっていたから。 彼女と離れてしまうのは寂しいし、どうせならまだ井伊家に居てほしいと。 だけど、彼女がそれを願っていないのであれば、自分達は見送るだけで…。 「俺が、に京などに行ってほしくないからです」 「だから連れ戻すと?身勝手な考えですね、それは」 「でも、嘘は吐けない。笑って見送るなど俺にはできない」 「ですよね。私も、さんが行ってしまうのは寂しいです」 冷静と言うより、冷たさを感じていた直虎だったが、ふわりと表情を和らげた。 困惑しつつも、直虎もそれが本音だと言って。 「康政殿。申し訳ないですが、この子に着いて行ってもらえますか?どうせ何を言っても無茶をするでしょうから。康政殿にはご迷惑をおかけしますが」 「承知した。俺で良ければ同行いたそう」 と、康政は引き受けてくれた。 それからだ、が家康に拝謁している場に乱入し。 自分の気持ちを正直に伝えた。 家康は勿論、その場にいた忠勝も、当然も驚いていたが。 「。直政はこう言っておるが、お主はどうしたい?」 「わ、私も……直政の、そば、に…居たいです…」 泣きながらそう答えてくれた。 良かった、間に合った。 届かなかった手が、ようやく届いた気がした。 結果、家康はこの件を破棄してくれた。 「わしにそこまで言うのだ。直政、の事は頼むぞ」 「…はい」 そう言われて、張りつめていた物が切れて気を失ってしまった。 しばらく寝ていたが、康政との声が耳に入り。 「だ、だって。私は…井伊家にお嫁さんが来るから、その邪魔になりたくないから…って、井伊家を出ることを決めたのに。これじゃあ…」 「い、いや。野良猫娘。それは違うだろう。でないと」 「………」 二人の会話に、と言うより、の言葉に呆れてしまった。 「はぁ…お前は何もわかっていないじゃないか」 「「直政!?」」 直政は目を覚まし、天井を睨み付けた。 「大丈夫か?大分無理をしたのだろう」 「いえ、ご面倒をおかけしました、康政殿」 直政はゆっくりと体を起こす。 「おい、無理はするな。まだ寝ていてもいいんだぞ」 「いえ、そうも言っていられないようなので…」 直政はの方に顔を向ける。 「な、直政…あ、えと…お医者様、呼んで来ようか」 腰を浮かすの腕を直政は掴んだ。 「また逃げる気か?俺から」 「ち、ちが!」 目覚めたのだから、医者を優先しようとは思ったのだが。 いや、この場合。逃げようとしていると思われても仕方ないし。 正直、逃げようとしているのかもしれない。 「医者なら俺が呼んで来よう。それとも駕籠でも用意するか?」 「医者はいいです。できれば帰ります」 「あぁ、じゃあ俺が戻るまでにちゃんと話はつけるのだぞ、直政。殿もな」 「はい」 康政は気を利かせてくれたのだろう、室から出ていく。 残った二人だが、直政がの腕をしっかりと掴んでいる。逃げるに逃げられない。 今の直政相手ならば、強引に振りほどけそうだが。 「が、俺の側に居たいと言ってくれて、俺は嬉しかった」 の腕を掴んでいた直政の手は、そのままの手をしっかりと握った。 「家康様に申し出た事は、嘘じゃない。家康様の前で嘘など吐けない」 「嘘だなんて、思っていないよ…」 「だが、わかっていないじゃないか。お前の言い方だと、まだ井伊家に居づらいような感じがする」 「だ、だって…直政の所にお嫁さんが来たら、私は」 「そのお嫁さんにはなってくれないのか?」 直政はに体を向ける。 「直政の、お嫁さん」 「なってくれないか?」 直政は両の手でしっかりとの両の手を包む。 は驚きつつも、自分に向ける直政の目がとても優しく本気なのだと知る。 「い、いいの?私で」 「さっきからそう言っているのに、まったく」 直政が苦笑しつつも、手を引きを体ごと引き寄せ、そのまま口付けた。 「なおっ」 「こっちは切腹まで覚悟したんだ。今ここで断られてはたまらん」 いつもは直政の背中を見て歩いていたのに。 とても近い距離で、直政の懐に身を預けてしまっている。 あぁ、でも安心した。 直政の鼓動が伝わるようで。 「直政…」 「ん?」 「ちゃんと言えてなかった…助けてくれてありがとう」 倒れてきた木材から、体を盾にして庇ってくれた。 お蔭では大きな怪我もなく済んだ。 大丈夫だと、医者は言っていたのに、中々目覚めなかった直政。 このまま目を覚まさなかったら?と不安いっぱいで。 「が無事なら、それでいい」 優しい直政の声音に、自然と涙が溢れてしまった。 直政は笑い、その涙を拭いつつ、もう一度優しく口付けてくれた。 18/04/29
19/12/29再UP
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