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野良猫娘と飼い犬男の話。
「。急にすまんな。呼び出してしまって」 家康の前で深々と頭を下げる。 室に入る前に、大きく深呼吸をした。 家康からの呼び出し。 理由はわかる。 恐らく、京へ行く話か、今回直政に負わせてしまった怪我の事だと思われる。 理由はどうあれ、後者の場合。 自分が原因。 ちゃんと家康に謝らねば。 「家康様。家康様に謝らねばならないことが…」 「わしにと?」 「はい」 が顔を上げると、家康の近くに忠勝も控えているのも目に入る。 直虎はを叱る理由はないと言ってくれたが、実際はどうだろうか? 家康にとって何の得にならず、寧ろ損を受けたと思うから。 それで、京へ行くことがなくなり、罰を受けることになるなら、喜んで受けよう。 そう思った。 【27】 「わしに謝りたいと…いったい何が?」 心当たりはないと言うような家康の表情に、は息をのむ。 けど、にはとても重要なことなのだ。 「家康様のお耳に入っていることと思います。先日、私の所為で直政様が怪我を負ってしまい…」 「あぁ、報告は入っているおるが」 「本当に申し訳ございません」 は畳に額を着くぐらいに頭を下げる。 「直政様は、家康様にとって大事なお方。これからお忙しくなる中で、怪我を負わせてしまって」 「よいよい。そのようにお主が気負う事はない」 「でも!」 は顔を上げる。 「確かに直政はわしにとって、大事な部下だ。だが、直政ならば、第一にの事を助けるように動くだろう。わしはそう思う」 まただ。 誰も自分は悪くないと言う。 「万が一、を見捨てるような事を直政がしたならば、その方が問題だ」 「………」 「納得できないと言うような顔だな、。わしにしてみればを叱るどころか、をよくぞ守った。と直政を褒めてやりたいぐらいなんだが」 家康は笑う。 「まぁ…忠勝。お主ならどう考える?」 「新入りもまだまだ鍛え方が足りない。そう思います」 「え?」 「倒れてきた材木を体で受ける前に、弾き返すぐらいの事をやってのければと」 あの状況でそれは無理だろう。 忠勝も酷な事を言う。 (…忠勝様なりの冗談…なのかな?) 笑う所なのかもにはわからず、困惑してしまう。 すると、笑っていた家康は大きく頷く。 「。今回の件。お主も直政も運が悪かった。ただそれだけの事。当事者である、お主は誰がどう言おうとも納得はせんであろうが、わしらからは何も言う事はない」 だから謝る必要はない。 そう言い切る。 「ただ、注意するならば。はもう少し周りを見て行動するべきと言うぐらいか」 そうすれば、何かに巻き込まれる事はないだろう。と家康は満足げに言った。 「直政も怪我を負い、大変だろうが。しばらくはゆっくり養生してくれればそれでいい。少々働かせ過ぎだと思ったのでな」 これ以上は何もない。 処罰などする必要もない。 家康はこの話は終わりだと告げた。 「さて、本題に入ろうか。わしがを呼び出した事だが…」 は姿勢を正す。 ようやく、と言うべきか。保留になっていた京へ行く件だろう。 はもう覚悟ができている。 慣れ親しんだここを離れて、遠く京の都へ行くことを決めた。 最後の最後で、直政には多大な迷惑、面倒をかけたが。 ズルいとはいえ、寝ている直政に、自分の想いは告げてきた。 返事など要らない。 あれは多分、自分の覚悟を決める為のものだ。 今度こそ、井伊家の一人として、直政にとって自慢できる家族として都へ行こうと思う。 「殿!」 突然、の背後。襖が勢いよく音を立てて開いた。 「直政?どうした?」 家康は突然の事で驚く。 直政。と聞いては振り返る。 「直政…?」 寝ているはずの直政が、きっちりとした格好で、そこに居る。 ただ、康政が肩を貸し、一人では立てないようだ。 「無礼を承知で、お願いがあります」 「新入り。後にせんか。殿は今、との話が途中なのだ。割っているほどの事か?」 「わかっております」 直政はの隣に腰を下ろし、深々と頭を下げる。 康政は、その少し後ろで同じように腰を下ろした。 から直政の横顔が目に入る。 目覚めたばかりだし、痛みがないわけじゃないのに。直政は歯を食いしばっている。 相当辛いのだろう。 「康政。お前も、なぜ新入りを連れてきた」 忠勝から強い睨みを受けた康政は苦笑しつつも、同じように家康に向かって頭を下げる。 「申し訳ございません。殿、少しで良いので…直政の話を聞いてはくれませんか?」 「康政殿…」 「苦しいのであろう。直政」 「い、いえ」 額から滲む脂汗が、その辛さを物語っている。 「それで?願いとはなんだ?」 話を聞こう。と家康が言うので、直政は小さく息を吐き、口を開く。 「を…井伊家から。いえ…俺から……引き離さないでください」 「なお、」 突然何を言うのだろうかと、は目を見開く。 「本来ならば…主の命に逆らうなどもっての外…ですが、俺には…その命に逆らってでも、がそばに居てほしいんです」 は直政の突然の告白に驚き、思わず、後ろに控える康政に目を向ける。 康政はを見て数回頷いた。 (直政…) は目を閉じ、膝の上の拳を強く握ってしまう。 「これは、家康様が太閤殿下から直々に頂いたお話であり、それに口出すなど恐れ多いことだとわかっています。わかっていても、自分の気持ちに嘘は吐けない」 嬉しい事を言ってくれる。 だけど、お願いだから、それ以上はもう言わないで。 家康がどんな反応を見せるのかとても怖い。 (ありがとう。直政…でも、もういいよ。私は、もう) この話が来た時点で、最初から断れば何か違っていただろうか? 誰にも迷惑をかけずに済んだのだろうか? だけど、現時点では今更だと言う気持ちがあって…。 「腹を斬れと言うならば、斬ります。だから、」 「嫌、直政!」 は腰を浮かせ、直政に向かって手を伸ばそうとした。 「直政。それでは本末転倒ではないのか?」 それまで黙っていた家康が口を開いた。 「お主が腹を斬ってしまえば。その後のはどうなる?そのままが都へ行けば、無駄死にだぞ」 「………」 「それで、わしは有能な部下を一人失い、良い事など何もない。寧ろ大損だ」 「家康様…」 「。直政はこう言っておるが、お主はどうしたい?」 家康はの方に顔を向ける。 「わ、私は…」 は。 落ち着いて、京の都へ、茶々姫の侍女の話を受け行きます。 そう答えるつもりだった。 だけど。 「わ、私も……直政の、そば、に…居たいです…」 願ってはいけない事だと思っていたのに。 もう諦めたつもりだったのに。 寝ている直政に本音を告げて満足したはずだったのに。 痛みで辛いはずの直政が、それに耐えながら、言葉にしてくれたことが嬉しくて。 口にしてはダメだとわかっていても。 嘘は吐けない。そう言った直政の言葉に自分も嘘は吐けなくて。 「家康様、ごめんなさい……ごめんなさい」 は声を上げて泣いてしまった。 ボロボロと涙を流し、あふれる涙を何度も拭うが、止まらないでいる。 子供みたいだなって自分でも思うけど。 涙は止まらない。 「…」 今まで習った教養なんて忘れてしまったかのようで。 家康にはみっともなく映るかもしれない。 「直虎殿や直政には感謝しかない。を預けて正解だったと」 家康はと直政の告白に怒るでも呆れるわけでもなく、寧ろ喜んでいる。 「があの頃に比べたらなんの心配もない、安心できるようになったとわしは思った。 それは今も変わらない。だが、今のお主らを見て、思っていた以上に絆は深いようだ。 そんな二人を引き離そうとするとは…」 「家康、さま…それは」 家康は何も悪くない。 何も知らなかったわけだし、家康が立ち入る事などなかったはずだ。 はずっと気持ちを隠してきたわけだし、直政が思っていてくれた事も知らなかった。 だから。 「わしはに京へ行ってもらおうかと思っていたが、秀吉殿にはお断りをしよう」 「家康様、それでは」 は家康に迷惑がかかるのでは?と心配になる。 「よい。秀吉殿はわしだけにこの話をしているわけではない。他にも候補の者はおる」 家康は腰を上げ、直政、二人の前にひざを折る。 「わしにそこまで言うのだ。直政、の事は頼むぞ」 「…はい」 直政は返事をするも、そのまま前のめりに倒れこんでしまう。 「直政!」 「これはいかん!」 家康は直政を抱き起す。 忠勝も康政も駆け寄る。 「康政。直政をゆっくり休ませてやってほしい」 「はい」 康政と呼ばれた家臣によって直政は別室へ運ばれて行った。 「家康様、あの…本当に…良いのですか?私…」 はこれで本当に良かったのかと不安になる。 「が不安を感じる気持ちもわかる。だが、今はこれで良かったと、直政が体を張って留めてくれた事をありがたく思ってほしい」 「はい。ありがとうございます。家康様」 は涙を拭って、もう一度家康に頭を下げた。 「何も知らなかった、気づかなかったわしらを許してくれ、」 「そんな事ないです!」 「もうよい。それより。お主も直政の元へ行くがいい。心配であろう?」 「は、はい!」 は慌てるように立ち上がり、家康と忠勝に頭を下げてから退室した。 残った二人は揃って息を吐いた。 「忠勝は気づいておったのか?」 「……いえ、まあ…家族だと思えているようだとは知っていましたが」 「そうか」 「殿。殿は本当にこれでよろしいのですか?も心配していましたが、太閤殿下には」 家康は大丈夫だと笑う。 「秀吉殿にはまだの事は告げておらん。問題はないだろうし、他にも推挙できる娘はおる」 「さようで」 家康は顎をなぞる。 「が変わったと言ったが、だけではない。直政も変わったとは思わんか?」 「多少は…ですが、やはり少々軟弱ですな」 気を失って倒れこむとは。忠勝は難しい顔をして腕を組んだ。 「ははは。相変わらず直政には厳しいな、忠勝は」 家康は豪快に笑うのだった。 18/03/18
19/12/29再UP
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