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野良猫娘と飼い犬男の話。
「なんだ?怒鳴り声のようなものが聞こえたが…」 老臣が一人、室から姿を見せた。 その場には忠勝が居たので、彼がその老臣に説明をした。 大したことでもなく、ちょっとした家族間の喧嘩だと。 それでその場は収まったようで、忠勝に促され、はそのまま城を出た。 「さて、どうしたものか…」 を見送った忠勝は腕を組み、重苦しい息を吐いた。 【25】 それからと言うもの。と直政は以前のような関係に戻ってしまったかくらい、顔を合わせる事がなくなってしまった。 食事時には、直政が不在の日が多い。 直虎には、まだ仕事があるだと言い、遅くに屋敷に戻って来ることが増えた。 確かに、秀吉の天下統一の最後の仕上げとも言えるべき、大きな戦が控えており。 今度の戦では九州征伐の時とは違い、家康も出陣するため、忙しいとは聞いている。 それでも、直政と共に食事をすることがあっても、お互い黙ったままで、一緒にいる直虎にとってはひどく居づらさを感じてしまっていた。 「はぁ…どうなってしまうのでしょうか…」 室で竹に茶を出してもらい、咽喉を潤した直後にそんな言葉を吐き出した直虎。 「直政様とさん、ですか…」 「ただぎくしゃくした関係と言うならば、私も間を取り持ってあげたいのですけど…」 「それ以前に冷え切った感じがしますね」 「そうなんです!うちでさんを引き取った頃とは違います!虎松が一切関わろうとしていないようで…」 「直政様もあの話を聞いて激怒なされたようですから…お寂しいのではありませんか?」 竹ら女中もが京へ行ってしまうらしい話を聞かされ、驚いた。 だが、自分達がどのように考えようとも、決めたのが自身であり、家康からそれを命じられたのならば、口出すような真似はできない。 本当ならば、ずっと一緒に過ごしたいと思えるほど、自分達は可愛がっていたから。 だけど、一方で。 室内に閉じこもってばかり居た子が、ようやく外の世界へ踏み出そうとしているのだなと思うと、そこは応援してあげたい気持ちにもなる。 「直政様が一番、さんの事を気にかけていましたから…何も聞かされていないと知れば、余計に裏切られたような感じがしてしまうのではないでしょうか…」 「………ですよね…」 直虎は家康から聞いていた事もあるし、から直接聞けたこともあるので、直政に対し、申し訳なさを感じてしまう。 自分がいくら言ったとしても、説得力はないだろうと。 「直虎様…さんは本当に京へ行ってしまうのですか?」 「それは…私にもまだわかりません。秀吉様と家康様のご判断次第ですから」 すでに秀吉が茶々の侍女を他家から呼んでいれば、の役目はないわけだし。 家康がぜひにを。と秀吉に言えば、自分達は口出すことなどできないから。 直虎はもう一口茶を飲み、深いため息を吐いた。 「残念です…私が描いた将来の井伊家が叶いそうになくて…」 「直虎様…」 いつか話した、こうなったら嬉しいなという直虎の想い。 竹にしか話をしていなかった将来の井伊家のこと。 今のままでは夢のまた夢なのだろう。 「そうか。まったくダメか…直政も頑固だからなぁ」 は康政の屋敷に居た。 理由は勿論、康政の妻である静に、行儀作法を教えてもらっているからなのだが。 今はそれも済み、康政と話をしていた。 「まぁ…勝手にしろって言われてしまったので、勝手にしますけど」 は康政に向かって笑うも、どことなく寂しそうに映る。 「今回は流石に、野良猫娘が悪いぞ。直政に何も言わずに話を進めたからな」 「…否定はしませんけど…」 「俺も、黙っていた側だから、同罪かもしれぬが」 「康政様は、別に」 「はは。直政にしてみれば、知らぬは自分だけだったから、それこそ周りは皆同罪だな」 「………」 「して、殿はなんと?もう決まったのか?」 はかぶりを振る。 「まだ。正式には決まっていないです。けど、家康様には一応合格点は貰えていると思います」 先日の教養試験。家康からは褒め言葉を貰え、これならば大丈夫だとも言われたから。 「そうか。殿が…」 康政は頭を掻く。 恐らく、家康は直政とのこの微妙な関係を知らぬだろう。 当然一国の主が、部下の私生活まで把握することはないだろうが。 直政やから、家族です。みたいな事聞けば、それを信じて、が直政に抱いている恋心などに気づくこともなさそうだ。 家康から見ても、を気に掛けるほど心配していたようだが、親心というか。 が旅立てる姿の方が、家康には嬉しく誇らしいのかもしれない。 「もういいんです。近々井伊家にはお嫁さんが来るだろうし。私も京で滅茶苦茶いい人見つけますから」 「おいおい。野良猫娘」 「勝手にしろって言われましたし」 「それじゃあ、直政に行くなと言われれば止めるのか?」 「……やめませんけど…けど、そんな事言われたら…迷いが出ちゃうし…けど、けど!直政はそんな事言いません。絶対!」 一度は顔を俯かせただったが、康政に迫る勢いで言い切った。 「絶対?」 「だって、今回のお話は、家康様から直々のものですよ?家康様第一の直政がそれを断れるわけないです!」 「あ〜………まぁ……否定はできんなぁ………だが…」 康政は小さく唸る。 普通に考えれば、を茶々姫の侍女に推挙する話ともなれば。 話の出所が家康からだとわかるわけで。直政がその話に対し怒ったともなると、家康云々は関係ないのではないか?と。 直政は、が井伊家を出るのを反対し、もしそれが叶わずとも、一言自分に話してくれればと言うことなのだろう? 「なぁ、殿…難しいかもしれんが、一度直政と腹を割って話をしてみないか?」 「………」 「お互い、お互いを気遣っているいるつもりでも、本音を明かさねばなんもならんぞ」 は何も言えず黙ってしまう。 確かにお互い本音で話していない。 「いつぞやの事を思い出すな…」 「?」 「ん?まぁ…」 直政が真面目すぎるから、それで自分の首を絞めかねないと康政が忠告した事を思い出したのだ。 誰かを娶っていれば、こんな風にはならなかったのだろうと康政は思ったのだ。 だが、あの時と今では、直政の気持ちに温度差があっただろうし、深く考えてはいなかったのだろうとわかる。 良いか悪いか、直政が家康の代理で九州征伐に行っていたから、はで彼への恋心に気づいたのだろうから。 「とにかく。一度ちゃんと直政と話をした方がいい。それからでも遅くはないと思うぞ」 「康政様…はい」 もし京へ行くことがすでに決定ずけられているのならば、このまま直政との間にしこりを残したままになってしまう。 それは嫌だ。 井伊家での思い出を嫌なもののままにしてはいけないだろう。 直政が家族で唯一内緒にされていたのを思えば、嫌な気持ちになるのは当然だ。 だったら、家族でお別れできるように話だけはちゃんとしよう。 そう、は思うのだった。 康政の屋敷を出て、井伊家に戻る途中。 「あら。ちゃん」 「美代様…こんにちは」 美代とばったり会った。 の心情的に美代と会うのは心苦しく感じるが、不作法をして井伊家を悪く言われたくないので、深々と頭を下げた。 「こんにちは。あれかしら?お習い事の帰りなのかしら?」 「はい。今日もしっかり勉強してきました」 「そう。偉いわね」 「いえ…今まで何もしてこなかったから…そんな風に言われるほどもでもないです」 一般の武家の娘ならば、当然のことだったはずだろう。 生憎、は武家の娘ではないから当てはまらないが。 今は井伊家の一人でもあるので、それは通用しないはずだ。 「えと…美代様はどちらへ?これからどこかへ行かれるのですか?」 だったら、立ち話で時間を潰すのは申し訳ない。 「先ほどまで直政様と一緒だったの。色々ご相談されたこともあって」 「そう、ですか…」 直政は直政で着々と美代との距離を縮めているようだ。 笑えるかな? 家族として、二人を祝福できるように。 「風が強くなってきたから、そろそろ屋敷へ戻るところだったの」 季節外れの強風が確かに拭いていた。 「雨でも降らなきゃいいけど。じゃあちゃん、またね」 「はい。また」 美代の後姿に向かっては今一度頭を下げた。 将来的に、美代の事を「義姉上」とでも呼ぶことになるのだろうかと思いながら。 「ただいま戻りました」 これから夕餉の準備を手伝って、それと。 は井伊家に戻ってから、これからの予定を整理する。 すると。 「。少しいいか」 「…直政、うん」 今まで自分を避けていた直政がを呼んだ。 なんだろうと考えつつも、これはいい機会ではないか? 康政にも一度話した方がいいと言われたわけだし。 ちょうどいいと直政の後を追う。 入ったのは直政の室で。 なんとなくお互い黙ったまま向かい合って座っていたが。 「この前は怒鳴って悪かった。しかも、皆が居る前で」 「う、ううん。あの時は…その」 「俺だけ何も知らなかった事が、結構堪えてしまって」 「私の方こそ、ごめんなさい。なんとなく、直政に言いづらくて…後回しにしちゃったから」 「………祝いと言うほどでもないが…いくつか拵えてみた」 「?」 直政は立ち上がり、隣室の襖を開ける。 「お前に似合いそうなものだ。どうだ、好きなものを選べ。気に入らないなら他にも用意もする」 「………なに、これ」 「美代殿に相談してな。お前に似合いそうな物を選んだ。家族としては、喜んで送り出すべきだろうと、思って」 隣室にあったのは、いくつかの反物。帯、簪や草履など小物も多数。 嫁ぐのはないか?と思うくらいの量が置いてあった。 「井伊家にとっても、お前にもとっても、今回の話はとてもいいことなのだろう」 「………」 「光栄な事だ。美代殿にも」 途中から直政の言葉が耳に入らなくなっていた。 家族、家族と言われ、喜ばしいとか、光栄だとか。 要は、京へ行く話を直政は認め、喜んでくれていると言う事なのだろう? 何度も美代殿が、美代殿がと言われ。 (自分でそれを願ったのに…すごく、苦しい…) 直政の本音は、やっぱり自分を井伊家の一人と見ていたというわけで。 家族の出世を喜ぶということらしい。 自身も直政への恋心はあっても、美代の出現などで、直政の、井伊家の家族でいようと決めたのに。 面と向かって言われてしまうと、酷く傷ついた。 (康政様、無理だ。もう私の本音なんて言えないよ) 言ってしまえば、直政を困らせる。 家族として、井伊家をでるべきだろう。 妹のような存在ならば、それでいい。 手のかかる娘みたいだと言うならば、それでいい。 それが一番丸く収まる。 自分で蒔いた種なのに、傷つくなんてお門違いで。 なのに。 「?」 「!?」 「どうかしたのか?」 「な、なんでも、な…あは、びっくり、して…」 笑って。 笑わなきゃ。 こんなにしてもらえて、嬉しいって。 直政に、笑顔を向けて、お礼を言わなきゃ。 なのに、泣きそうになる。 ダメだ、そんな姿を直政に見せたくない。 は顔を俯かせ目を瞑る。 いや、泣いてしまう理由も、嬉しいからとか言えば。 「」 直政の手がの肩に置かれた時、は一歩下がってしまう。 「、どう「ごめん、無理」 「何が」 「………」 言葉が出ない。 だけど、咄嗟に直政から逃げてしまった。 「おい」 「……て、……い」 「?」 「直政なんて、嫌い」 「な!?」 「けど、私は、私自身が、大嫌い!!」 我慢しようと思っても、感情がこみあげてきてしまう。 泣くまいと思っても涙が零れる。 そんなつもりじゃないのに。 良い子でいようと決めたのに。 「」 「もういい。…私に構わなくていいから、早くここを出ていくから」 「。俺は」 「虎松、さん?二人ともどうかしましたか?」 廊下側から直虎の声が聞こえた。 はそのまま廊下に出る。 「!」 「え?さん?虎松!?」 直虎の脇をが逃げる様に過ぎて行き、慌てて直政が出て来た。 「きゃあ!?」 息子とぶつかりそうになり、直虎は体がよろけ、尻餅をついてしまう。 「義母上!?すみません」 「あ。わ、私は大丈夫ですから。早くさんを追いかけてください」 駆け寄った直政に直虎は先を行くよう促し、直政は頷きを追いかけた。 は何も考えずに屋敷を飛び出した。 飛び出したからと言って、行くあてなどないし、どうしていいかわからない。 丸く収めて今後を過ごすつもりだったのに。 どうしようか、これから。 もうわからない。 「お嬢さん!危ないよ!!」 「え?」 そう聞こえた声に立ち止まってしまう。 周囲から悲鳴が聞こえた。 なんだ?と認識した瞬間。倒れてくる何かが目に入った。 「!」 聞こえた直政の声と同時に、の体に強い衝撃が走った。 18/01/14
19/12/29再UP
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