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野良猫娘と飼い犬男の話。
日々段々と寒さが増してきた。 直政が九州へ行ってしまってから数日が過ぎる。 「………」 毎日迎えに行くことがなくなったは一人ぼんやりと茶屋に居た。 「ちゃん、元気ないわね」 茶屋の娘多恵に言われ、はかぶりを振る。 「そんな事無いよ」 「そう?でもいつもよりは大人しいわよ」 「寒くなったからだよ。寒くて縮こまっちゃう」 「風邪をひいて寝込んでいたんでしょ?まだよくないんじゃ…」 直政が出立する日、は風邪をひき寝込んでしまった。 本人には内緒で通そうと思ったが、直政の方がの変化に気づいており結果的に知られてしまった。 風邪は数日で治ったのだが、多恵にはそう見えなかったようだ。 「大丈夫だよ。治ったって」 完治していなければ、直虎をはじめ、家中の者がを屋敷から出さないだろう。 「でも、元気ないよ?」 「んー…まぁ、少しつまらないかなぁとは思っていたからね」 隠すつもりはないというか、本音がポロリと漏れた。 「つまらない?」 「うん…つまらないなぁって…」 は苦笑する。 直政とこんなに離れているのがつまらないと感じていたのだから。 【17】 (最初はお互い興味も関心も向けなかったのにね) 井伊家に引き取られて、お互いがお互いに関わろうとしなかった。 誰もが家康からの客人と一歩引いたような態度の中で、直政だけは違った。 事情を知らなかったとはいえ、に対して厳しい態度を向けていた。 にしてみれば、何も知らない癖にと突っぱねてしまいそうだったが。 直政の言葉。 「幼子だってそれくらいはできるし、汗水垂らして働いているものだっているんだ。甘ったれるのもいい加減にしろ」 これは強く突き刺さったものだ。 自分だけが不幸だという顔をしていたのだろう。 直政にはそれが面白くなかったのだ、きっと。 確かにあの頃、直政はの境遇を知らないでいた。 元々はも直政に話すつもりはなかった。 知らなくていいことだろうし。 けど、知らなくていいだろうと思っていても、どこかで何も知らない癖に好き勝手言うな。と態度に出ていたのかもしれない。 自身の身に起きたことに対し、不幸だと思うも。 家康に助けられたことを思えば不幸ではなかったのだろう。 自分は助かったが、死んでしまった人もいる、行方知れずになった人もいる。 怖い思いはしたが、身に傷を負ったわけでもないのだ。 本多家で、稲の下で過ごした日は悪くない。 離れたくないと駄々をこねたほどで。 けど、今は思う。 稲と離れて井伊家に居る事は良かった事だと。 きっとあのまま本多家に居ても、何も変わろうとせずにずっと一人閉じこもったままかもしれないから。 「野良猫娘。直政がおらずつまらぬか」 頭上にかけられたその声には顔をあげる。 野良猫娘。などと呼ぶのはただ一人。 「康政様!もう〜まだ野良猫娘って言う…」 は軽く頬を膨らませるも、康政は気にもせずに笑うだけだ。 「良いではないか。俺は結構気に入っているのだ」 茶屋の縁台に座っていたの隣に、康政も腰を下ろす。 応対した多恵に菓子と茶を注文する。 「それで先の事だが…野良猫娘は直政がおらずつまらぬのだろう?」 康政は茶を一口啜る。 目線は前方に向けられたままで、は思わず康政の顔を見てしまう。 「まぁ…つまならいと言えばつまらないですけど…」 「先日まで、毎日ここで直政を待っていたようだしな」 そうなのだ。 別に約束したわけではないが、直政の帰りを茶屋でいつも待っていた。 多恵にも父を待つ娘みたいだ。 などと言われるほどだった。 「待っているわけではないんですけどね…」 どこかの忠犬の話ではないが、こうやって直政の帰りをここで待っているつもりなのだろうか? 「良い傾向ではないか。野良猫ではなくなったという事かな?」 「はぁ?」 「野良猫はふらりとどこぞへ行ってしまうものだろう?自由気ままな存在が野良猫だ」 「私は猫じゃないです…けど、猫みたいに見えるんですよね?康政様には」 「そうだな。直政から話を聞いてそう印象を受けたものだ」 「あまり良い印象ではない気がしますけど」 が唇を尖らせると、康政は笑う。 「まだこれと言った報告はなくてな。野良猫娘に伝えてやれることもないのだ」 直政が戦に参戦したからと言って、すぐに終わるものでもない。 簡単に終わるものならば、すでに終わっているだろう。 「直政は大丈夫なんですか?」 「ん?と言うと?」 「この前、たまたまなんですが…直政の背中に沢山の傷跡があるのを見ちゃって…」 「たまたまか?」 「たまたまです」 康政が茶化すかと思えたが、それもなく彼は小さく唸る。 「まぁなあ…以前はやみくもに突進していくことは多かったが…」 あの頃はなぁと康政は苦笑する。 「奴の気持ちもわからぬものではない。あの頃は井伊家の為に何が何でも結果を残そうと突っ走った結果だからな。自分の身より義母の為というか」 「直虎様の?」 「あぁ。直虎殿が家康様に仕えるようになった頃は、徳川家の中でも外様扱いだったから、苦労が絶えなかったようでな。その義母の後姿を見て育った直政は、自分が戦に出るようになった際、なんとか認めてもらおうと必死だったんだ」 「………」 義母が第一だと言うのはも見ていてわかった。 けど、そう言う背景があるのは知らなかった。 直政の性格では進んで話そうともしないだろうし。 「だが、それで自分が傷ついては元も子もないとは思うが。直虎殿は勿論、家康様も心配されていたし…だが、誰かがそれを言っても、関係ないとばかりに奴は突っ込んでいくから」 「それ、少しだけ聞きました。忠勝様にも諌められたとか…」 「あぁ。根気よく忠勝殿が見ていてくれたから無茶をしなくなったようだ」 「康政様は?直政になにも言わなかったんですか?」 「最初はな。周りを見ない奴の態度に腹を立て、距離を置いていたくらいだ。まぁ、少しは嫉妬も交じっていたのだろうな。新参の癖に家康様に重宝されて…と」 今思うと恥ずかしいと康政は苦笑する。 「それでも、ちゃんと向かい合った結果。今の直政と康政様がいるんですね」 付き合ってみないと、直政の事はわからない。確か以前そう康政は言っていた。 「面と向かって言われると照れるが…そうだな。今では一番の友だと思うぞ」 康政は照れ隠しか、パクッと饅頭を頬張った。 「そう言う野良猫娘も直政と向き合った結果なのだろう?」 「向き合えたのかな…」 「家族と認めているようではないか」 「はい。それはとても嬉しいです。それに、直政が叱ってくれるから、一人で閉じこもることもなくなったし」 「良い傾向だ。なぁ、殿。これからもずっと直政のそばにいてやってくれ」 それまで野良猫娘と呼んでいた康政が急に名で呼ぶので、は驚くも。 康政がに向ける目、声音から真剣だと言う事がわかる。 「そばに…」 「直政の為にも、それが一番良い事だと俺は思うのだ。いつか、直政が誰かを娶ると言うならば、その相手がそなたならば一番良い」 娶る。などと言われては返答に詰まった。 家族として見てくれているだけでも嬉しいのに。 「あ、あの。急にそんなことまで、言われても…」 「そうだな。急すぎる話かもな。よい、忘れてくれ」 康政は美味い饅頭だなぁと何事もなかったかのように食べていた。 (びっくりした。康政様があんな事を言うなんて) だけど、同時に康政も直政の事を色々案じているのだなと思った。 一番の友だとも言っていたし。 直政にとっても、康政が一番の友だろうと思いたい。 (一番の友か…私にとっては稲ちゃんかなぁ) 稲が出立するまで沢山迷惑をかけてしまったが。 それでも、文を送りあえるようにはなった。 もう自分は大丈夫だよ。と元気でいる旨を送ったが、しばらくして稲から返事が届き。 不覚にもそれを読んで泣きそうになったものだ。 稲は離れていても友達だからと言ってくれる。 いつか上田にも遊びに来てくれと書かれていた。 (文で伝えるのもいいけど…やっぱり稲ちゃんに会って沢山お話したいなぁ) そう簡単に叶わぬことだろうが。 もっと落ち着いたならば、いや、自信が持てるようになったならば。 稲に会いに行くのもありなのかもしれない。 それとも、今、暇な時間も多いことだし、今の内に行けてしまうのではないか?と思い描く。 だが 「俺がいない間に…勝手にここを出るようなことはするなよ」 ふと浮かんだ直政のこの言葉。 直政はが井伊家を出る事を反対している。 行先がわかっている友達の所にならば、直政は反対しないと思いたい。 (それでも、直政が帰って来た時に、私がいなかったら…) 例え旅だとしても、いないとわかっただけでも怒るだろうか? (んーそれだと、なんか己惚れているみたいだなぁ、私が) (あぁ!じゃあ、直政も一緒に稲ちゃんちに行けばいいんだ!…って無理かぁ) 直政にそのような暇はないだろうし、何より聞けば稲が嫁いだ真田さんちは一筋縄ではいかないようなご家庭らしい。 早く直政は帰って来ないだろうか? 一人はつまらない。 いや、直虎や竹もいるし、茶屋に行けば多恵もいる。 偶然ではあるが、康政にも会う事が出来たし、まったくの一人きりではない。 だけど、直政がいないだけで、やっぱりつまならいと思うのだ。 「早く帰って来ないかなぁ…たくさんお話したいことあるんだけどなぁ」 思わずそんなボヤキが出てしまうだった。 17/01/15
19/12/29再UP
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