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野良猫娘と飼い犬男の話。
という娘を井伊家で預かる事になった。 それに関して、主君家康自ら頭を下げに来たのだから、断る理由などないだろう。 聞けば、井伊家に来る前。 ほんの少しの間、忠勝のもとに預けられていたとの事。 娘の稲とは気が合い、何かと気遣っていたがその稲も信州の真田家に嫁いでしまった。 だからと言って、本多家から追い出したわけではない。 それなりの理由がある。 その理由を聞いた直虎は、井伊家がにとって安住の地になるようにしようと誓ったのだった。 【2】 「はう〜今日で何連敗でしょうかぁ」 に構う直虎だが、相変わらずその態度は軟化されず、直虎の手を焼いている。 直政は無理に預かる必要もないだろうとに近づく様子は見せない。 ただ、義母が懸命にを構おうとする姿を見ると若干面白くはない。 「いい加減放っておけばいいんじゃないですか、義母上」 「そうはいきません」 義母の頑なな態度に直政は嘆息してしまう。 「虎松。あなたもさんの事は気にかけてくださいよ」 「なんで俺が…」 はっきり言った直政を見て、直虎は眉根をよせつつそれでも笑みだけは消さずに言った。 「さんが私達に心を閉ざすのに理由があるのですよ」 「その理由はなんですか?理由を知らない俺にはどうもできませんが」 「それはそうなのですが…」 直虎の顔から笑みが消えた。 物悲しそうな表情を浮かべている。 「義母上?」 「……理由など、聞かずとも。あなたならばさんと仲良くできると私は思っているんですけどね」 その根拠も知りたいが、直虎が理由を話す気はないらしいと言うのはわかった。 それでも知りたければ、自分で聴け。そう言われているように感じた。 だからって、直政が理由を知りたがる事はないし、最初から構う気もないからこの関係が改善されるようには思えない。 ただ、思うのは。 義母に対してのの態度。 あれだけはどうにもいただけない。 (己に何か不幸があって、そう言う態度をとるのだろう…だからと言って…) 直政が想像するいくつかの不幸な理由。 この乱世と呼ばれる時代ならば、誰にだって起こりうる不幸は沢山ある。 そのような事は、武家だろうが、農民だろうが、誰にだって。 だから、彼女だけが特別不幸だと言うのは可笑しい。 沢山、傷つき、泣いた者、不幸を嘆き、不幸に陥れた相手に対し、恨みを持つ者。 様々だ。 だからと言って、その先をどうするのかはその人次第で、そのまま野垂れ死にしてしまうのも、乗り越える者もいる。 は運がいいのだ。 家康と忠勝がなんらかの形で保護でもしたのだろう。 そして、しばらくは本多家で暮らし、稲と言う友もできたようだ。 (ただの甘ったれではないか…) 運がいいどころの話じゃない。 力ある者に見つけてもらえたのどこが不幸なのだ。 井伊家に連れて来られたのが不幸と言うならば、勝手にしてくれと思う。 直虎には悪いが、自分は関わるつもりはないのだから。 「……まったく…」 に与えられた室は、屋敷の端にあるが日当たりはいい。 廊下を挟んで外は庭だ。 居心地の悪さを感じるより、寧ろいい場所だと思うのだが。 その室の、廊下に御膳棚がひとつ置かれていた。 が朝食べたものだろう。 「おい」 直政は障子を少し乱暴に開けた。 中の様子など知ったことではないと。 「!?」 案の定、は突然の直政の登場に驚き、身体を強張らせていた。 「お前の身に何があったなど、俺には関係もないし、知るつもりもない。ここを出たければ勝手にしろ。だが、義母上はそんなお前でも何かと気にかけ接してくれているではないか」 「………」 「一日中、室に籠って何様なんだ。自分が食べた御膳ぐらい、自分でちゃんと片付けろ。 幼子だってそれくらいはできるし、汗水垂らして働いているものだっているんだ。甘ったれるのもいい加減にしろ」 そこまで言うつもりは直政もなかったが、障子を開けた時の、が自分を見る目がどこか怯えていて、怖がる様子だったので、なんだかムカついたのだ。 お蔭で本音をボロボロ吐き出してしまった。 引っ込みがつかなくなり、直政は室を出た。 *** 直政が出て行ったあと、しばらく放心してしまった。 急にやってきて、何を言うかと思えば、色んなことを沢山言われた。 「…………」 障子をそっと開けると、廊下に置いてある御膳棚が目に入る。 いつもこの室で直虎が運んでくれた食事を口にしていた。 その間、直虎がいろんな話を聞かせてくれる。 食べ終わると、直虎が御膳棚を片付けてくれるのだ。 今日は食べ始めた頃、直虎もいたのだが、急に呼ばれてしまい出て行ったきり戻らず、もどうしてよいのかわからず、廊下に出してしまった。 直政はそれを見つけて苦言に来たのだろう。 「だって…いつもは…」 直虎が勝手にやっている事だ。 そう口にしそうになったが、直政の言葉がそれを言い訳にさせてくれなかった。 「一日中、室に籠って何様なんだ。自分が食べた御膳ぐらい、自分でちゃんと片付けろ。 幼子だってそれくらいはできるし、汗水垂らして働いているものだっているんだ。甘ったれるのもいい加減にしろ」 正論だ。 今の自分はこの一室に閉じこもっているだけ。 何もしない。 自分より幼い子が働いているのも知っている。 そう言う場所なんだと。 『私が願うのは、が元気に笑っていることだわ。でも、今のあなたは心配になっちゃう…』 信州に向けて出立しようとした稲との別れ際。 稲はずっと自分を心配してくれた。 そこまで思うのならば、一緒に連れて行ってくれればいいのに…と。 だけど、人に頼りっきりの自分が一緒に行ってもしょうがないだろうと、今頃わかった。 わかる事ができたのは、直政の言葉からだろう。 「よし」 勇気出すというのは、少し変かもしれないが。 にしてみれば勇気出すに等しく。 室を出て、置いておいた御膳棚を持つ。 井伊家の構造はよくわからないが、なんとなくで進んでみる。 台所っぽいところへ向かって。 「あら。どうかされたんですか?」 「ひゃ、ひゃい!」 後ろから声をかけられは素っ頓狂な声を上げてしまった。 恐る恐る振り返ると恰幅の良い女性がいる。 「あ、あの…か、片付けにきました」 「そうですか。わざわざすみませんねぇ」 女性はひょいとから御膳棚をとると忙しなく台所へ行ってしまう。 「………」 何だか気持ち的にモヤモヤしたものが湧き、室に戻らず女性の後を追ってしまう。 こそりと台所を覗き込む。 そんなに大勢の人はいない。 食事に支度をしているようにも見えない。 今は違う仕事をしているのだろうか。 「なんですか?」 先ほどの女性がの姿を見て言った。 「あ、あの…」 「?」 「い、いつも美味しいご飯。ありがとうございます!」 は女性に頭を下げた。 すると、女性が豪快に笑った。 「嫌ですよ〜急に」 「で、でも。本当の話だし…私、その」 言いたい事が上手くでない。 「家康様からお預かりしているお方に礼を言われることはないんですよ。お客様なのですから」 お客…。そんな大層なものじゃない。 はかぶりを振る。 「違います。私、そんな偉そうな立場じゃないです……ただの……甘ったれです…」 一日何もしないで閉じこもっているだけの人。 直政の言う通りの人。 言い返せるわけもない。 本当の事なのに、人に言われ、自分でも認めると悔しかった。 「よくわからないのですけど…元気出してくださいよ。あ、ほら、ちょっとこっちに来てくださいよ」 女性に手招きされて台所に足を踏み入れる。 どこに隠していたのだろうか、女性は饅頭を一個取り出し、割っての口に入れた。 「ん!?」 「美味しいでしょう?なんか、お嬢さんにそんな顔をされると滅入っちゃいますよ。年頃の娘らしく笑顔で」 下を向いてばかりで目も合わせる事もなかった。 だけど、今、初めて女性とだけは顔を上げ目を合わせ話ができている。 「うん。美味しい。あ、他の者には内緒ですよ?」 残りの半分を自分も食べ、茶目っ気たっぷりに言う女性にはつい笑ってしまうのだった。 「その方はお竹さんですよ。うちの台所を一手に引き受けてくださっている」 直虎がやって来たので、女性。竹の事を聞いてみた。 「にしても。ごめんなさい、さん。虎松がきつい言い方をして…」 「い、いえ…私も悪い所があるから…」 それに直政には歓迎されていないのもわかるから。 「根は真面目で優しい子なんですよ。ただ真面目すぎるから損をしているんです」 分かり合うのに時間がかかるのだと直虎は言った。 「虎松は何も知りません。さんが気になさる必要はないんです。ゆっくりでいいんですよ。少しずつ我が家に慣れてくだされば」 は瞠目してしまう。 直虎の話ぶりでは、直政は何も知らないけど、直虎は知っていると。 のその表情で直虎は申し訳なさそうに小さく頷いた。 「家康様から事情は聴いています。だから、稲さんが直前まで心配していたのも…ですから、今度は私がさんの力になります!」 ね?と優しい笑顔をに向けてくれる直虎。 「怖い思いをしたと思います。大丈夫ですよ、ここではそんな怖い思いを絶対にさせませんから」 怖い思いと言われ、は強く口を結ぶ。 思い出したくもない出来事に、涙が出そうになる。 稲のお蔭で大分和らいだと思ったが、根本の部分ではまだまだなのだなと。 「いいんですよ。我慢しなくても。ずっと胸に秘めている方が体と心に悪いです」 「直虎さま…」 直虎はぎゅっとを抱きしめた。 母親が娘にするみたいな。ぬくもりを感じて、涙腺が緩み涙が零れた。 「もう…あんな思いしたくない、です…」 「大丈夫です。私達があなたを守りますから」 その言葉が深くの心に溶け込むのだった。 16/05/02
19/12/29再UP
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