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天邪鬼の恋話。
「。兄上から聞いたのだが…私と共に京へ行くと」 信之から、府中へ。直政の下へ戻る事を反対された形となった。 それを告げられた晩、幸村がの室を訪れそう言いだした。 「えと、それは…」 もう決定済みなのだろうか? 別に幸村と京へ行くことに不満はない。くのいちだっている。 信之も幸村の下ならば安心していられるのだろう。 だけど、直政への想いを自覚した今、このまま行ってしまって良いのだろうか? そう考えてしまう。 最早井伊家に戻る事ができないのならば、すっぱり諦めてしまった方がいいと思う。 (でも、できれば…もう一度直政様にお会いしたかったな…) はすぐに頷けなかった。 信之が決めたのならば、それを覆す事はできないだろうし。 「そろそろ出立しようと思っているんだ」 「そうなんだ」 幸村もほんの数日程度のつもりだったが、の事があって中々出立できなかったようだ。 心配してくれるのは嬉しいが、それで秀吉が幸村への心象を悪くしてしまないかこちらも心配になる。 だったら、一緒に京へ行った方が良いのかもしれない。 「ユキさんにも迷惑かけちゃったからね。早めに出立できるようにしなくちゃ」 「…」 「楽しみなんだよね、実は。行った事ないし。都と言うだけあって華やかだって聞いたよ」 「あぁ…」 幸村は苦笑しつつもの頭を優しく撫でて言った。 「が良ければ、東海道を通って京へ戻ろうと思うんだ。どうだ?」 「東海道…」 「府中に立ち寄る事もできる」 は瞠目する。 「兄上には内緒だぞ」 幸村は人差し指を口元にあて、珍しく悪戯小僧のように笑った。 「うん!ありがとう、ユキさん!」 もう駄目かと思ったのに、諦めようとしていたのに。 最後の最後かもしれない好機が到来しようとしていた。 【7】 「そうか。明日出立するのか」 「はい。も連れて行きます」 幸村は信之に報告した。 京へ戻る事。を連れて行くこと。 「も京へ行くと言ってくれましたので…」 「そうか。少し寂しくなるが、その方がいいだろう」 信之の事だ。自分から言いだして置いて、ここからを出さないと言いだしたらどうしようかと少々幸村には不安があった。 だが、幸村と共に京へ行くと告げると信之は安堵している。 元々を心配しての言動、行動だ。 彼女がこれ以上辛い目に遭わないように危惧してのことなのだろう。 「はい。今度は兄上が来てくださる日をお待ちしています」 「そうだな。楽しみにしておこう」 ただ。府中へ寄り道する事を信之に内緒にしておくのは申し訳なさを感じた。 こうでもしないと、が直政と会う機会が得られないのだ、仕方あるまいと自身を納得させて。 「しかし、兄上」 「ん?」 「兄上は少々に甘すぎます。はそんなに守られているだけの弱い子ではないと思います」 「……それは、知っているさ」 「え?」 信之は小さく笑う。 「私もそれなりにを見ていたのだ。わかっている。ただ、今回は……色々納得できない事が多かっただけだ」 「兄上…」 「それとも、ばかりかまって、寂しいのはお前の方ではないだろうな?幸村」 「ち、違います!私もそこまで子供ではありません」 「そうだな」 信之は笑い、幸村も続けて笑うのだった。 府中の井伊家では、関東への移住が決まり本格的に引っ越し作業が行われていた。 元々この地に住んでいる者ばかり、全員は着いて来ないだろうと思っていたが、屋敷の者の大半は直政たちと共に移り行くことを望んでくれた。 見知らぬ土地での新生活を思うと心強い事はないだろう。 屋敷にあるもので梱包できるものはさっさとしてしまう。 自身の仕事もあるので、すべてを片付けるのはまだ無理のようだ。 「…………」 ため息を吐く直政。 「義母上」 「…………」 が真田に里帰りしてもう十日以上になる。 毎日ねちねち直虎に小言を言われるわけでなく、ただただ恨めしそうな視線を送られ続けて正直うんざりしていた。 だったら、まだ小言を貰った方がいい。 だが、直虎がそうしないのは。小言よりも効果的なのだとわかっているからだろう。 「義母上は片づけが済んでいるのですか?」 「私のことはいいんです。あなたの方が大変でしょう?」 「まぁ確かに…まだ手つかずの所もありますので」 「ほら。だったら、早くさんを呼び戻しなさい。さんでなければわからないことだってあるのですから」 「義母上…」 「あなたが帰って来いと一言いえば済むんです」 「まったく…」 話はそこか。と直政は嘆息する。 聞いてはいられないと直政は直虎から逃げ出した。 「真田に戻った方がは良いのだろう…」 だから、今ここにいない。 それが答えだ。 直政は何気なくある室に足を踏み入れた。 この室も早く片付けなくてはと思っていたが、中々手がつけられないでいた。 そこはが主に使っていた室だった。 女中が掃除はしてくれていたので、小奇麗ではあるががいない現在、直政がこの室へ入る事はほとんどなかった。 「これは…あの時の…」 直政が室で、文机の上に置かれたそれを見つけ手に取った。 が直政の為に仕立てていると言った着物だった。 しかも一着ではなく、三着もあった。 『……武家の奥さんなら…着物ぐらい縫えないとって聞いて…旦那様が戻られる前に完成させようと思ったけど、できなくて…自分の不器用さと手際の悪さが嫌になって』 直政が九州へ遠征に行っている間、毎日針仕事をしていたと言う。 自分を驚かせたかったと。 それができずに不満だとも言っていた。 「そうか。出来上がっていたのか…」 雑な感じで嫌だとはぼやいていたが、直政が見る限りではそんな風には見えない。 一針一針を丁寧に縫ってくれたのだと思えば悪くない。 それに、一着仕立てるのに時間がかかったと言う割に、さらに二着もある。 短い間に随分上達したようだ。 だが、それをから直接手渡されることはない。 「…………」 「直政。さんを迎えに行く気にはなりませんか?」 いつの間にか直虎が立っていた。 先ほどのような小言みたいな言い方ではなく、丁寧に不安げに。 「………は、真田に居た方が幸せでしょう」 「何故、そう思うのですか?さんがそのような事を言った事はないでしょう?」 言われたことはない。 けど、直政にはそう思えたのだ。 小田原で、信之や幸村に再会できた時のの顔を、ここではあまり見たことがない笑顔を見た時に。 「直政はさんがお嫌いなのですか?だから、」 「違う!そんな事ではなく…」 つい義母相手に声を荒げてしまった。 直政は口を噤んだ。 (嫌いだから里帰りさせた…そうじゃない。そうじゃないんだ) 自分でもわかっている。世間一般的にいい良人ではないと自覚はある。 つまらない事でと喧嘩をする事もあった。 そんな自分の傍には居て、楽しいのだろうか? 面白いことなど言えやしない、頭も固い。を楽しませる事などできているとは到底思えない。 真田兄弟のようなことなど、自分にはできないのだ。 それでも。できることならば。 「が居てくれる事に不満などないですよ」 それだけ彼女の存在は貴重だと自分でもわかっていたから。 「良かった。ちんが聞いたら喜ぶだろうなぁ」 「は?」 「ど、どなたですか?」 聞こえた第三者の声に二人は周囲を見渡した。 「よっと!勝手にお邪魔させていただきやした!にゃは」 くのいちだった。 「お前は…」 「もし、旦那さんがちんを蔑ろにしていたら、遠慮なく殺っちまうぞ〜って考えていたんですけどね。そうじゃないってわかって安心しました」 笑顔で物騒な発言をする彼女に直政の口角は引きつった。 「井伊直政様。あたしが言うのは無礼だと承知ですが、ちん…友達の事を想ってくださるのであれば井伊家に戻る事をお許しください」 「許すもなにも、俺は別に」 井伊家に戻る事を禁じたつもりはないのだ。 ただ、の好きにすればいいと言っただけで。 「そうなのですか?なんかちんの話だと、離縁されちゃったかのような」 「な、なに!?」 「そんなぁ!さんを離縁だなんて、直政!あなたはなんてことを!!」 「違います!俺はそんな事一言も言っていない!」 嘆く直虎に焦る直政。くのいちは二人を見て笑う。 「でも。真田の方では、特に信之様はそうだと思ってカンカンですよ〜もうちんを帰すつもりはないって。大事な大事な妹を泣かすような奴に任せられないっておっしゃってましたよ〜」 「………」 直政は何も言えなくなり唖然としてしまう。 ただ、一点気になったのでくのいちに問うた。 「が泣いたのか?」 「大泣きでしたよ〜旦那様に失望された〜嫌われた〜って」 泣く仕草を真似るくのいち。ただ、嫌われたとはも言っていないのだが。 それでもすぐさま真面目な顔に戻るくのいち。 「ちんは里帰りしても、ずっと我慢してたみたいで。あたしと稲ちんでようやく聞き出して、あんなに大泣きしたのを見たのは初めてでしたよ」 「……が…」 以前、一度だけ言った。 我慢しないで泣けばいいと。真田でも我慢していたのか。 それが自分の所為だと思うと、自分が情けなくなる。 「どうしますか?信之様は、ちんにここへは戻らず幸村様と京へ行けばいいって。その方が安心だと言っていましたけど」 直政は拳を握る。 それがの為ならば、それでいいのだが。 「なんか面倒くさいなぁ。親切でここまで言ったのに、何も行動を起こす気ないんですかぁ?あたし言いましたよね。ちんが大泣きしたって」 「………」 「本当は里帰りなんかしたくなかったんですよ、ちんは。それぐらい、ここが好きで、あなた達が居る場所がちんの居る場所なんですよ」 あの時、里帰りを命じた時、はどんな顔をしていた? ちゃんと向き合えば撤回できただろうか? 良かれと思ってしたつもりだったのに。 「これで本当に終わりならば。信之様だけじゃないですよ。幸村様もあなたに殴りこんできちゃいますよ」 ついでに稲も説教かましにくるかもしれない。 「天邪鬼は俺の方なのかもしれないな」 くのいちは直政のその言葉にキョトンとするも、直虎が小さく笑った。 ただ、その眼には涙を浮かべている。 「義母上。しばらく留守にしますが、あとを任せてよろしいでしょうか?」 「勿論です。こちらの事は何も心配はいりませんよ」 「ありがとうございます」 直政は直虎に頭を下げ室を出た。 これからを迎えに行くと言うことだろう。 「良かったです。どうしようかと毎日考えていたんですけどね…家康様や忠勝さんに言えるはずもないし。あなたが来てくださって助かりました」 直虎はくのいちに頭を下げた。 だがすぐさま慌てて顔を上げる。 「あ、あぁ〜でもでも、あなた方から見れば、井伊家は許される存在ではないとは思いますけど。あの、でも。私達、いえ、直政にとってさんはいいお嫁さんで」 「にゃは。大丈夫ですよ。今回の事、結局はみんなちんを心配してのことですし。府中に行って様子を見て来てくれと、稲ちんに頼まれたわけでもあるんで」 「稲さんが?…落ち着いたら、稲さんにお礼の文を出さないといけませんね」 「にゃはは〜そうしてくださいな〜…って、いけない!旦那さん一人で行っちゃった!急いで追いかけないと!」 直虎相手にのんびりしている時間はないのだ。 「では!」 「はい。お気をつけて〜」 直虎に見送られてくのいちは急いで直政の後を追うのだった。 15/08/30
19/12/29再UP
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