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せかいでひとつのたからもの。
【9】 「おい、凌統」 呼ばれて振り向けばもっとも嫌いな奴がいた。 少し前までは空っぽともいえる頭で何やら考え事でもしていたようで大人しく静かだった。 それが愁いを帯びていていいって女官たちが騒いでいたものだから馬鹿らしいと鼻で笑ったものだ。 「…なに」 「!」 凌統が反応したことに驚いたのがすぐにわかった。 凌統にしてみれば、じゃあなんで呼ぶんだよ。と逆に問いたいくらいなのだが。 甘寧は頭を掻きながら、あーとかそのーとかを繰り返している。 「だから……その……」 はっきりしない態度は嫌いだ。さらに相手が甘寧なので余計に苛々してしまう。 「なに、いったい。用がないなら俺行くけど」 「よ、用はある。あるんだけど……」 溜め息をついたかと思うと甘寧は凌統に背を向けた。 「悪ぃ、やっぱいいわ」 「はあ?」 呼び止めておいて用件も言わないとはなんだと眉を顰めつつも甘寧はブツブツ言いながら歩いていく。 こちらが逆に問いただしてもいいのだが、まあいいかとそのままにしておいた。 「甘寧殿」 「陸遜…」 凌統の姿が見えなくなったところで陸遜がひょこっと顔を出した。 珍しく見る情けない表情。こんな顔を凌統が見たらと思うとおかしくてしょうがない。 だが、彼にはそうなってしまう理由があるのだ。 「また、いえなかったようですね」 「おう」 戦場での斬りこみ隊長、特攻隊長のような甘寧。前へ突き進むことには何も恐れないのだが、これは壁がでかく硬いものなので突っ込んでも玉砕しがちで躊躇してしまう。 「殿をくださいって言えばいいんじゃないですか?」 「…それがいえねーから、こうして困ってんだろ?」 「まあ、そうなのですが。だったら殿にお任せしてみては?」 「…それじゃあ俺が格好悪ぃじゃねーか」 「いいんじゃないですか、格好悪くても。殿の行動力の方がよほど格好いいですから」 「く、くそ」 今、こうして彼女のことで考えるようになったのも、そのの行動力の良さのおかげなのだが。 「とりあえず、頑張ってください。玉砕しても僕がその骨を埋めて差し上げますから」 「笑顔で不吉なこというなよ…」 そうなる可能性が大なので甘寧には笑えないのだった。 *** 「兄上。今日は何かありましたか?」 「はあ?別に何もないけど」 「誰からか大事なお話があったとか」 「ないけど」 「………」 帰宅した兄にはいくつか質問をぶつけるが色よい返事は来ない。 くるりと兄に背を向けては口を尖らせる。 (興覇。またダメだったのね…でもいいわ。その気持ちわかるから…興覇頑張って) 甘寧との仲が再び鞘に納まったわけだが、二人の前には超難関とされる壁があった。 それがの兄凌統だ。 知ってのとおり、凌統は目の前で父を甘寧に斬られたことから、異常なまでに彼のことを嫌っている。 なので今まで絶対といえるほどにには甘寧の影を寄せ付けないようにしていた。 していたのだが、兄の知らぬところでお互いの素性を知らぬまま出会ったのが結果だ。 今回、その凌統にどうしようかとなった時に、甘寧が自分で凌統に話をするといいだした。 難しいことだとわかってはいるが、自分がやらなくてはダメだと感じたようだ。 「何してるわけ?」 「い、いいえ。別に。先に夕餉になさいますか?」 拳を握ってどこか遠くを見ていた妹の姿に凌統は訝しがる。 「ああ。食べる…けど」 「では今すぐ用意いたしますね。今日は兄上の好物ばかりですよ」 「ふーん」 なんだ?前にも似たようなことがあったぞと凌統は思い返す。 だがいまいち思い出せない。思い出せないならまあいいかと考えるのをやめた。 *** 「俺ってだらしねーな。悪ぃ」 いつもの河原で会っていた二人。 ギラギラと照りつける夏の日差しが少しばかり痛いから木陰で涼みながら話していた。 「そんなことないわ。兄上が相手ですもの」 落ち込む甘寧に苦笑交じりの。 「いっそのこと、うちへ来てみたらどうかしら。ね?」 「うーん」 なんとなく血の雨が降るんじゃねーの?と自分の行く末を案じてしまう。 でも妹の前でそんな馬鹿な真似はしないと思うが。 「興覇」 はキュッと甘寧の両手を包む。 「兄上が反対なさっても、私が選ぶのはあなただから」 「…おう。俺ももう迷わねーから」 きっと大丈夫。本人たちが乗り越えたのだから。 いざという時女の方が、肝が据わっているなと思わず笑ってしまった。 邸まで送るという甘寧。 今までは、はいここでさようならって感じだった。 が帰りに夕餉の買い物で市場へよってから帰っていたというのもあるが。 今日はその必要もないというので邸まで送るというのだ。 その時に凌統に会ったらどうするの?なんて訊ねるが。甘寧は深く考えずにその時はその時だと答えた。 もそんな調子よく出くわすこともないだろうと思いながら邸へ向かった。 「そーいえばよ。最初に出会った時に菓子わけっこしただろ?」 「ええ。豌豆黄と椰皇蘋葉角。美味しかったですよね」 甘寧は呂蒙と陸遜と食べて、は凌統と食べた。 「あの時の土産ってのは呂蒙のおっさんにだったんだ」 「子明様の?そういえばお世話になっている方がいらっしゃると」 「あの日も凌統の奴と少しばかりぶつかってよ。おっさんに気晴らしに街に行ってこいっていわれたから」 そこで偶然にもと再会できた。そして呂蒙への土産をと選んだのだ。 あの時は兄の好物だといって豌豆黄を買っていた。 「俺がおっさんのところに戻った時に凌統もいたんだ。んでお前も食っていけって言ったらあいつ」 甘寧は凌統にも食えと半ば無理矢理に引っ張り込んだのだが。 『俺はそれが嫌いなんでね。嫌いなものが二つもあっていい気分じゃないし、それじゃあ』 と帰った。あとでに会った時に彼女の兄は美味いと喜んで食ったと言っていたのだが。 「あいつ、天邪鬼だなって…いや、そうさせてるの俺なんだけどさ」 「兄上は本当に…もう」 「でもよ。もしかしたら今度は一緒に食えるかもしれねーよな」 ひたすらなほどに前向きに笑う甘寧には嬉しくなる。 やはりこの人を好きになってよかったと。も甘寧の性格ならば兄とも上手く行くだろうなと当初思っていたのだ。ただ事が事なだけに簡単にはいけないのが現状だろうが、甘寧を見ているときっと上手く行く。そんな気がした。 「にしてもよ。俺ら本当に今まで互いの素性知らずでやっていけたよな」 「最初は名前も知らないままでしたよね」 「そうそう。どこの誰なんかまったく気にしなかったけどな」 でも、それがかえって良かったのかもしれない。 もし互いの素性を最初から知っていたならば、一緒にいることが叶わなかっただろう。 甘寧が、が凌統の妹だと知って、彼は別れを切り出したくらいだから。 もしもなど今更に思うと少し悲しい。 こんなに気のいい人と敵対してしまうかと思うと。 でも、それは結果であってもしもというのはもうない話だ。 今では懐に甘寧がくれたつげ櫛をしまっている。甘寧もがあげた鈴をつけてくれている。 あの出来事が嘘みたいに、いや、あれがあったからこそ今ではお互いもっと素直になれているのだろう。 早く兄にもちゃんと見せたい、話したい。 そうしているうちに邸に着いた。なんとなく別れ難く感じる。 甘寧が頬を指掻きながら言った。 「今度よ。どっか行くか?」 「え」 「どこでもいいぜ。いっつも河原とか市場とかだし」 「はい。お弁当持って」 「の手作りか?いいな、それ。飯作るのうめーし」 穏やかにやわらかな空気が流れる。 お付き合いをしている間柄ならばごく普通なことなのかもしれないが、にはそれが嬉しくてしょうがない。 「絶対ですよ、約束です。興覇」 「おう。約束な」 ニッと笑うのでもつられて笑う。 だがその空気もすぐに壊れた。 「あんた。何してるわけ?」 低く呻くような声に二人は振り返る。 この主はすぐにわかる。凌統がいた。 その時がいとも簡単にやってきてしまった。 「何って…」 「兄上。あの」 「お前が黙ってろ。俺はこいつに聞いてんの」 ギッと甘寧を睨みつける凌統。は甘寧の前に立つがすぐさま凌統に腕を引かれ後ろに下げられた。 初めて見た、こんな兄の顔をとは瞠目する。 「あんた。この前俺に言わなかったっけ?俺の妹には会わないとか」 「それは。あの時とは変わったんだよ」 「へぇ。何が変わった聞きたいね」 「兄上!」 「お前は中へ入ってろ」 「兄上。話を聞いてください」 「聞いているだろ」 「私の話もです!」 凌統は妹の言いたいことが何なのか察するが、正直聞きたくない事柄だと思っている。 だからが間に割ってはいるのが面白くない。 「うるさい!」 「兄上!」 凌統は構わず甘寧に突っかかる。 「あんた。俺の妹に手出したのかよ。どの面下げてそんな真似できるわけ?」 甘寧はグッと胸倉を掴まれる。 「言ってみろよ。あんたが何したのか」 「兄上!」 凌統の腕にしがみつく。 「おめーの親父を斬った。それが聞ければ満足か?」 「なんだと…」 「でも。そのことはもちゃんとわかってる。俺だって一度は別れた方がいいと思って別れた」 それで凌統の所にいってあんな事を言ったのだ。 だが結果は元の鞘に納まった。 「俺だってすげー悩んだ!だけど、こいつのこと諦められねーって」 「甘寧。てめー」 凌統は拳を振り上げた。 「やめてください、兄上!」 自分が変わりに殴られようと乗り出した。 「!?」 凌統は咄嗟に拳を引っ込める。甘寧を掴んでいた腕も離す。 「話をちゃんと聞いてください、兄上」 「おい。大丈夫か?」 の肩を抱き気遣う甘寧に凌統は唇を噛む。 「。お前、なんでこんな…父上を殺した奴なんかと…」 の表情が歪む。 兄の口から初めて聞いた言葉に。だがも黙ってはいなかった。 「兄上がそれをおっしゃいますか?兄上は父上が亡くなった時の事を話してはくださらなかったでしょう」 「そ、それは」 「興覇のことも」 今まで喧嘩などしたことがない兄妹だった。 反抗的な態度もない。多分傍から見たら理想的な仲の良すぎる兄妹だろう。 だが、その妹は初めて兄に歯向かった。 悔しい。しかも父の仇の男を庇い。 「私がそれを知ったのもつい最近です。興覇に別れを告げられて、興覇の口から聞きました」 「………」 「私だって悩みました。でも…私は知らなさすぎたから。興覇を恨む気持ちなどなくて…」 「俺は許さないぞ。絶対に、誰がなんと言おうが。こいつだけは認めない!」 「兄上!」 凌統は強引にの腕を引いて邸の中へと歩き出した。 甘寧と妹は仲良すぎですwでもこの後の兄との戦闘が…。
06/09/23
13/04/05再UP
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