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せかいでひとつのたからもの。
薄情なのだろうか? 父親を殺した相手を好きになると言うのは。 裏切りなのだろうか? 相手を想うと言うことは。 【8】 今の自分には何ができるだろうか? はずっとそればかり考えていた。 甘寧からの別れは突然だった。 何故、今頃になってという気持ちが強かった。 甘寧は自分が斬った相手の娘だと言うのをどこかで知ったのだろう。 だから、一緒にいられないと思って・・・。 「……興覇……」 来ないとわかっていても、二人で過ごしたあの場所に来てしまう。 呂蒙には自分で考え行動しろと言われた。 甘寧には自分と一緒に居ても喜ぶ奴はいないと言われた。 それは唯一の身内である凌統のことだろう。 兄は甘寧を忌み嫌っている。 甘寧と少しでも何かあると機嫌を悪くする。 いつもの優しい兄ではない姿を見せる。 「兄上が知ったら…反対なさるのが…当たり前なのね」 兄と自分の決定的に違うところ。 それは父が斬られた所を見たか見ないかということ。 呂蒙は言っていた、自分の目の前で父が斬られたと。 もし。 もし自分の目の前で起きた出来事ならば、きっとこうはならなったのだろう。 でも。もしの話で実際は後で聞かされただけだ。 多少泣きはしたが、兄と二人になってしまったからこれからをどうしようかと思う事のほうが強く、毎日頑張っていた覚えがある。 はその場に腰を下ろし、背筋を伸ばす。そして静かに目を閉じる。 聞こえてくるものは何もない。 風がそよそよと吹きの髪を揺らす。 自分で考えろ。正直な気持ちは。いったい、自分はどうしたい? 確かに父は甘寧の手にかかって死んだ。憎しみなどは正直湧かない。薄情だと罵られるかもしれない。 でもここまで悩むと言うことは、答えはすでに出ているのだ。 が目を明けると、いつかと同じような青い空が目に映った。 *** 「…できません。私は、興覇のこと嫌いになどなれません」 突き放した自分を追いかけて彼女は言った。 それが自分を苦しめる。 なんで、なんでだ。俺にどうしろっていうのだ。 そんな事ばかり何度も何度も自問する。 偶然にも知った彼女の家族のこと。 今までだって多くの戦場にいたのだ。やった相手にも家族がいるのはわかっている。 だからってやらなきゃこっちがやられるだけだ。 情けなどかけてもしょうがない。 あいつにも家族がいたんだぞ!なんて敵からの台詞なんてのも一々聞いてもしょうがない。 そんなに家族が大事なら戦になんかでるなよ。せめて後方支援にでも回ればいいんじゃないかと鼻で笑ってしまう。 なのに。 好きになった女の父親に手をかけたのが自分だと知ったとき、暗く重いものがずしりと両肩に圧し掛かった。 都合のいい話、彼女に対してだけ、後悔や後ろめたい気持ちが出た。 こんな俺のことなど、嫌いになるだろう。突き放すだろう。忌み嫌うだろう。 当然だ。それが普通の反応だ。 最悪、目の前で「父上を帰せ!」と言われるのを覚悟していた。 彼女の兄である凌統には孫呉に降った頃、毎日と言っていいほどに殺気を飛ばされていたのだ。 孫権に止められなければ、今頃殺傷沙汰になっただろうなと思う。 だから、に同じことをされてもしょうがないと思った。 今まで馬鹿馬鹿しいと思っていた事を彼女からなら受けてもいいと思った。 思っていたのに、から出た言葉は予想と違っていた。 「…できません。私は、興覇のこと嫌いになどなれません」 だから、どうすればいいのだ? 今までどおりなんてできるはずがない。 今の所凌統の耳には入っていない自分との関係。 呂蒙や陸遜から聞けば、凌統は馬鹿が着くほどの妹思いの兄で、妹のこととなると目の色が変わるそうだ。 父の仇が溺愛する妹を奪えばどうなるかは甘寧でもわかる。 面倒。なんて一言では済みそうもない。 凌兄妹の父をこの手にかけたの紛れもない真実。消せない事実。 だったら、このまま凌統の耳に入らないうちに、を遠ざければいいのだ。 もう関係ない。 何もない。 終わったことだ。 なのに、の言葉は甘寧の気持ちをぐらつかせる。 のことを嫌いになったから別れを言った訳ではない。 「わかってくれよ、マジでさ…俺もどうしていいかわかんねーんだよ」 がしがしと乱暴に頭を掻く。 このまま一緒になったところで、唯一の身内が反対するに決まっている。 そんなことは、だって悲しく思うだろう。 家族って言うのは切っても切れない縁で繋がっているのだから。 だったら自分が身を引いたほうがいい。 そうに決まっている。 *** は夕餉の材料を買いに市場に来ていた。 色々考えることはあってもやることもある。 今日のおかずは何にしようかと考えながら歩いていると、前方に見た事のある男たちがいるのに気づいた。 「…嫌だわ…こんなところで」 往来のど真ん中を偉そうに肩を揺らして歩いている。 道行く人は関わりたくないと眉を顰めながらもそ知らぬ顔をしている。 自分もあまり関わりたくないと思っていたので踵を返す。 彼らは以前自分に絡んできた破落戸だ。 孫権が治める比較的治安がいい場所でもああいう輩はごくたまに現れるらしい。 何もしなければタダ態度がでかい輩なのだが。 「お。お前、前にあった事のあるやつだよなあ」 背を向けていたのに気づかれた。 ぐいっと強引に肩を捕まれ振り向かせられた。 「なにか」 「なにかじゃないよ?あんたのおかげでこっちは痛い目に遭ったしなあ」 ニヤニヤと笑みを浮かべる破落戸たちに気味悪さを感じる。 「あなた方が悪いのではありませんか。いい加減この手を離してください」 肩に置かれた手をぴしゃりと払うとあからさまに気分を害したと男たちの顔に出る。 「ちょっと遊んでほしいなって思っただけなんだけど」 「私は暇ではありませんので」 「つれないこと言わずによ」 の手首を強引に掴む。 逃げられないようにしようと言うのだろう。 そして道行く人に余計な真似をさせないように睨みを利かせている。 自分では何もできないと周囲も感じスタスタと足早に散っていく。 「離してください!」 なんとか振りほどこうとするが中々上手く行かない。 こんな奴等、兄ならば、甘寧ならばすぐに倒してくれるのに。 喚くことしかできない自分がすごく情けない。 このままだと、後でどうなるのだろうか、怖くなる。 「は、離して…こ、興覇」 呼んでもきっと助けには来ないだろう。 あれ日以来街中で甘寧を見かけることはなかったのだから。 でも咄嗟に、兄ではなく彼の名前が出たということは。心の奥底で願っているのかもしれない。 「誰を呼んでも来ないものは来ねーよ。皆俺らにびびっちまってんだ」 「情けないっすよねぇ」 声をあげて笑う破落戸たちに悔しさをこめて睨みつけるが効果はない。 最後の手段として上手い事役人の耳に入って駆けつけてくれるといいのだが。 いつまでも破落戸たちも同じ場所に留まることはないだろう。どこかに連れて行かれたら終わりだ。 「情けねーのはおめぇらの方だろ。懲りずに手ぇだしやがって」 「あん?」 「…興覇」 「俺の女に手ぇ出すんだ、それなりに覚悟してもらおうじゃねーか」 破落戸たちは腹の底に響いた怒りの声にびくついた。 甘寧はきつく破落戸たちを睨みつけて立っている。 「おめぇらみてーなのを放っておくと後々厄介だよな…面倒だけど一人一人ぶっ潰してやる」 「一応彼らから受けた被害届けが数件出ていますから捕まえておきましょう。逃がしませんよ」 「伯言様」 いつの間にいたのだろう陸遜が甘寧の隣で数枚の料紙を見て言った。 を見てもう大丈夫だとにっこり笑う。 「おう。おめーら。一人残らず捕まえろよ」 「うっす!」 甘寧配下の者たちが豪快に気合を入れる。 「ま、待てこっちに来るとこの女を」 「ああん?そいつに手ぇ出したらつったよな、俺はよ」 素直に解放しろと甘寧の目が言っている。 甘寧の睨みにあっけなく破落戸たちはを解放した。 同時に破落戸たちは甘寧たちによって一網打尽にされた。 急に色々なことが起こっては瞠目してしまうが、急いで息を整える。 陸遜が心配そうにに声をかける。 「大丈夫ですか?殿」 「は、はい。大丈夫です。ありがとうございました」 「いえ、お礼はいりませんよ。僕らはちょうど見回りをしていたのですから、それより遅くなって申し訳ないと」 以前から城下で暴れまわる輩がいると民からの苦情が役所に届いていた。 普通ならば下級の役人でなんとかなるはずだったが、呂蒙の耳に届いていたのでこちらでもなんとかしようと思ったらしい。 と言うのは建前で。あまりに物騒で危険だからと奥方にどうにかしてくれと呂蒙は叱られたそうだ。 そこら辺のことは呂蒙も周囲には黙っていたが。 呂蒙から甘寧に見回りながら探ってくれと頼まれた。色々な時間見回るが収穫なし。 今日も諦めて帰ろうかとしたときに騒ぎを起こしている場に出くわした。 一人の女性が絡まれていると通報してきた者もいたので早くにそこへ行くことができた。 行ってみれば、いつか甘寧が伸した破落戸たちで、絡まれている女性はだった。 そこからの甘寧の行動は早く怖かったと陸遜は笑って答えた。 「おめぇら。そいつらしっかり連れて役所に届けろ。あとで向こうが詳しく調べてくれるだろ」 「うぃーす!」 破落戸たちはようやく相手にした人物が悪かったことに気づいて素直に引っ立てられていった。 「詐欺まがいのこともやっていたようですね、彼らは」 「ああ。私、変な因縁をつけられましたもの」 「…まさかと思いますが、二度目ですか?」 「お恥ずかしながら…」 「それ、凌統殿は…」 「絡まれたことしか言わなかったです。そのあとちゃんと助けてもらったことも伝えましたから」 「でしょうねぇ」 でなければ、今頃あの破落戸たちは凌統の手によって簀巻きにされているだろうから。 その様子がすぐに脳裏に浮かんでしまい陸遜とはくすりと笑んだ。 「陸遜」 甘寧が背を向けたまま陸遜を呼ぶ。 「はい。なんですか?」 「俺はもう帰る。おっさんへ報告もあるだろ。そいつ邸まで送ってやれよ」 決しての方は見もしない。 陸遜はやれやれと首の後ろを軽くかいた。 「呂蒙殿への報告は僕がやりますよ。この件以外にもいくつかありますしね。あなたが殿を送ってあげてください」 では。殿また。陸遜はに会釈しその場を立ち去る。 「お、おい!陸遜!」 「僕は忙しいんですよ。あ、早くしないと日が暮れますよ〜」 「伯言様」 二人はその場に取り残された。 甘寧はやり場のない手を何度か持て余すが、先ほどと同じように背中を向けたまま一言告げて歩き出した。 「行くぞ」 このまま一人で帰すと言うのは甘寧も心配なのだろう。歩き出した甘寧の後を小走りでは追いかけた。 「アンタの邸。遠いのか?」 そう言えばがどの辺りに住んでいるのか知らなかった。 「遠くはないですが、少しだけ歩きますよ」 「そうか」 無言のままかと思ったのだが甘寧が声をかけてくれたのが嬉しかった。 「助けてくださりありがとうございました。あなた様のお名前をお聞かせくださいませ」 「あ?」 突然何を言うのだと甘寧は振り返った。 名前なんて知っているのに。はようやくまともに合わせた顔に微笑む。 「興覇に。最初に助けてもらった時に尋ねようと思った言葉です。でも上手く聞けなくて」 「…ああ。そういや頓珍漢なこと言ってたな」 破落戸たちに絡まれて助け出した時に言った言葉。 『空って青いのですね』 『不思議なものですね、屋敷にいる時より今のほうがとても澄んで見えます』 変な女。第一印象がそれだ。甘寧は思い出して小さく吹いた。 「頓珍漢だなんて酷いですよ。本当にあの時はそう感じたんですから」 「はあ?意味わかんね。なんだよそれ」 「興覇と出会った瞬間に目の前が開けたような感じがしたんです。綺麗な青い空が目の前いっぱいに広がって」 「やっぱわかんねぇ」 「わかりませんか?普通はわからないか」 わからないと言われてもはさほど気にした様子もなくくすくすと笑っている。 思えば可笑しいことだらけだ。 甘寧はに別れを告げて遠ざけた。陸遜に送って行けと言われたがこうして会話をしているのが可笑しい。 かと言って冷たい態度を取ることができない甘い奴だと認識してしまう。 「一目惚れだったんです。あの時、興覇に」 「…は?」 「まだわかりませんか?何度でも言いますよ、私は。一目惚れしちゃったんです、興覇に」 「………」 思わず足を止めてしまう。 「子明様から父とあなたのことを聞きちゃんと考えました」 甘寧は逃げ出したい気持ちになる。だが足が動かない。 格好悪いと感じつつもの言葉に何もできずに動けずにいる。 は眼差しをまっすぐ自分に向ける。 「理由がどうあれ。私は興覇がいいのです。興覇のそばにいたいのです。誰が反対しようとも」 それが正直な気持ち。 家族が、誰かが断固反対、拒否しようとも願う気持ちがただ一つ。 甘寧は息を呑んだ。 「あんた…馬鹿だ」 ようやく出た言葉がそれだった。 はそうかもしれないと頷いた。 「馬鹿かもしれませんね、本当。薄情だとも思いました。 でも……父が亡くなったと聞かされた時も兄が詳しく話さなかったから酷く考え込むこともなくて」 ただ父上が死んだ。としか凌統は言わなかった。 どうしてとか何故とか。兄は父と共に戦に出た。それは知っていたので、ああそうか。とだけ思った。 甘寧は目元を軽く擦り顔を俯かせ何度か首を振った。パッと顔をあげ軽く息を吸う。 「今更、言うのもなんだけどよ…アンタ、俺みてぇなのと一緒にいてもいいのか?」 その言葉には覚えがあった。 甘寧と同じ時間を過ごすようになって甘寧がに言った言葉だ。 はあの時とは違い言葉の意味を汲んで答える。 「可笑しなことを言いますね、興覇は」 「アンタが嫌な思いしたらさ…謝ってすみそうにねーし」 「興覇と一緒にいて嫌な思いなどしたことはないです」 「周りが、何か言うかもしれねーだろ」 「言われたことないです」 「影で言っているかもしれねぇ」 「そのようなことを言う方たちとは、私の方から縁を切ります」 一言一言、あの日と同じようにやり取りをする。 身長差のある二人。甘寧はを見下ろしは甘寧を見上げる。 「本当にいいのか?」 「はい」 「アンタみたいな女、嫌いじゃねぇ。やっぱり何考えているのかわかんねー女って思ったけどよ」 「酷いです。興覇」 「それでも、やっぱりアンタが好きだ」 興覇は恐る恐る手を伸ばしの手を握る。も優しく握りかえす。 「私も興覇が好きです」 ほら、やはり。 はすごく嬉しそうに微笑み、懐から甘寧がくれたつげ櫛を取り出した。 「それ、俺があげた…」 「…つげ櫛。興覇。櫛を贈ると二人の間に揉め事が起こっても、櫛が何事もなかったように綺麗にときほぐしてくれるんですって」 「………」 「櫛のおかげかはわからないけど、なんか嬉しくて」 「そっか」 甘寧は数回頷きの手を引いたまま歩きだした。 「邸まで送ってやる約束だったな。行くぞ」 「はい」 きっと何があっても大丈夫だ。 それと。気づいていましたか? 甘寧は破落戸たちに絡まれたを助けた時に「俺の女」ってはっきり言っていた。 咄嗟の出来事とはいえ、は甘寧に嫌われていたわけではないのだと安堵したのだ。 とりあえず、元鞘に収まりました。次はお兄ちゃん次第さ。
06/08/19
13/04/05再UP
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