落花流水




ドリーム小説
「父様、あのね…」

夜、夏侯惇が帰宅し、彼が私室で休んでいた時。
が話があると入って来た。

「ん?なんだ?」

椅子に腰掛け本を読んでいた夏侯惇。
娘の姿に本を閉じ膝の上に置いた。

「遼様にお聞きしたんだけど…」

はおずおずとした様子だ。
普段、部下にはっきりしない態度を取られると苛々し怒鳴りつけるところだが。
娘相手ではそうなることなく待っていられる。

「孟徳様が天子様から冀州牧を命じられたから、許昌から移り住むって…」

「あぁその話か。それがどうかしたか?」

「………」

は俯き、指を腹の前で絡める。

?」

「孟徳様が移られるんだから、当然父様もついて行くのよね?」

「まぁそうだな。孟徳の命に従うつもりだが…」

は言いよどむ。

「……。何が言いたい?」

できるだけ待つつもりだったが、夏侯惇は待っていられなかった。

「その……私」

「?」

「私、許昌を離れたく、ない…」

「……そうか」

長いこと許昌に居たから、他所の地へ移る不安はあるのだろう。
にとってここは思い出が多そうだ。

「だからと言って、お前を置いて行くことなどできんぞ」

「………」

。どうかしたのか?最近のお前は何か変だぞ」

の肩がびくりと揺れた。

「俺には言えぬか?」

「その…」

「俺には言えずとも子桓になら話せるなら奴に話せ」

親に言えずとも、幼馴染にならば話せるだろうと、夏侯惇なりに気を使ったつもりだった。
だが、それに反しては首を横に振った。

「し、子桓に話すことなんかないもん」

?」

「と、とにかく!私、許昌に残るから!」

は逃げるように室から出て行く。

!」

夏侯惇は一度腰を浮かせるも、すぐに深々と椅子に戻る。
片肘をつき、深くため息を吐いた。

「…珍しいこともあるな、本当…」

滅多に我が侭など言わないのに。
まして夏侯惇の仕事に関わることで。
聞き分けの良すぎる面があるだから、今回の件。
正直面食らうも、あまり悪く考えなかった。
あぁこれは張遼辺りに「親馬鹿ですね」と呆れられるだろうと想像して…。





【3】





(子桓とも何かあったのか?)

翌日、ふとそんな事を思った夏侯惇。
から許昌に残ると言われたのだが、今朝顔を会わせた時その話題を口にしても。
は頑なに首を縦に振らなかった。
なんだかんだで最終的にはも諦めるだろうと、今はあえて強く言わないでいた。
だが同時に、何かあればいつもならば曹丕に何か言っていそうなのに。
今回のことは曹丕にも話すつもりはないようだ。

(まぁ…子桓も移り住むわけだから言ったところで無駄か…)

さてどうしたものかと考えながら歩いていると声をかけられた。

「将軍」

「おぅ。甄姫か。不自由なくやっているか?」

傾城級の美女と謳われる女性甄姫。
彼女が夏侯惇を呼び止めた。

「ええ。皆様とてもよくしてくださいます」

「それは良かったな」

「お聞きしたのですが、将軍にはお嬢様がおられるとか?」

「あぁ一人な。中々嫁に行く気がなさそうでな」

甄姫が小さく笑う。

「そのような日が来ると、寂しがられるのは将軍の方ではありませんの?」

「さぁどうだかな」

面倒臭そうに頭を掻くも、肯定とも否定とも取れない夏侯惇の返事。

「ぜひ、今度お嬢様に会わせていただきたいですわ」

「そうか。たまに城に来ることもあるが、普段は屋敷にいる。暇な時にも行けばいい」

「はい」

甄姫はにっこり笑った。
甄姫と別れた後、そのまま張遼の所へ向かった夏侯惇。
内容は普通に仕事に関してだ。
河北一帯を手中に治めた曹操の次の目標は南になるのだから。
それらの話をしばらくした後に、ふとのことを夏侯惇は張遼に訊ねた。

「は?殿ですか?」

「あぁ。何か様子が変なのだが…お前は何か知っているか?」

「あなたが知らない事を私が知るはずもないのですが」

可笑しな事を聞くと張遼は呆れつつも笑った。

「そうか……」

「どうかされたのですか?」

「まぁな…が許昌に残ると言い出しおってな」

「その事ですか…確かに友人と別れてしまうのが嫌だとはおっしゃっていましたよ」

だからと言ってを置いていきはしないのだろう?と張遼に言われる。
確かに、残していく理由もない。
許昌が慣れ親しんだ場所なのはわかる。
わかるが、ギョウへの移り住むにも、曹操の家族らも一緒だからそう寂しいことはないはずなのだ。
曹操に仕える武官、文官の大半も家族と移動が決まっている。
その家族らの中にはの友だちもいるだろうに。

「わからんもんだな」

夏侯惇は少し乱暴に髪を掻いた。

「子桓にでも頼むつもりだったが、子桓にも話すつもりはないとには言われた」

「曹丕殿に?そうですか」

「言ったところで子桓もギョウへ行くわけだからなぁ」

「それだけとは思えませんが…」

ぼそりと言う張遼。

「あ?」

「いえ。別に」

がそんなに許昌を気に入っているとはな…」

「ちょうど気難しい年頃なのではありませんか?女子ですしね」

「母親が居らぬからな…その辺俺にはわからぬ」

母親代わりと言える人ならば、曹操の奥方卞夫人がそうだった。
曹丕に頼めぬのならば、ここは彼女に頼むべきだろうか?

「よく殿が娘らしくお育ちになりましたね。下手をしたら猪のような娘になっていたかもしれませんのに」

「ぐっ…張遼、お前な…」

思わず拳に力が入る夏侯惇。

「褒めているのですよ?良き父親ではありませんか」

「褒めているように聞こえないんだが?」

「おやおや。人の厚意は素直に受け取った方がいいですよ」

もう少しわかりやすく言って欲しいものだ。
夏侯惇は深く息を吐いた。



***



曹丕は夏侯惇の屋敷を訪れた。

「まったく…世話の焼ける奴だ…」

思わず門戸の前で呟いてしまった曹丕。
夏侯惇に頼まれての話を聞いてくれと言われた。
聞くと言うより説得してくれと頼まれたのが近いかもしれない。

「あら。そのような言い方はよくないですわ」

「甄…」

甄姫も一緒に来た。
先日夏侯惇にと合わせて欲しいと頼んだ話を、曹丕は夏侯惇から聞かされたので。
ついでに連れてきた。
男にはわからないことでが悩んでいるのならば、甄姫が居た方がいいとも思って。
軒から下り、出迎えた家令にを呼び出すよう頼む。
だが。

「なに?会わぬだと?」

「はい…その、どなたともお会いになりたくないと…」

すまなそうに頭を下げる家令。
今までこんな事はなかった。
普段は家令に取り次ぐこともせずに勝手に中に入っていたから、あまり気にしなかったが。
今日は甄姫がいた為に、一応礼儀をわきまえて段取りを踏んだのだが。

「具合でも悪いのか?」

「いえ…。とにかく、お引取り願えますでしょうか?」

曹丕は軽く舌打ちをする。

「あの馬鹿は…」

恐らく察したのだ。
曹丕が来たことで、自分の我が侭を説得させられそうになっているのを。

「悪いができぬ。私も小父上に頼まれているのでな」

勝手に入らせてもらうと家令を押しのけて中に進んだ。



の返事を待たずに、彼女の私室に入り込んだ曹丕。

「…子桓…勝手に入らないでよ。誰とも会わないって言ったでしょ」

曹丕の姿を一瞥するも、すぐさまは曹丕に背中を向けてしまう。

「小父上から話は聞いた。許昌に居残りたいと我が侭を言って小父上を困らせているようだな」

「子桓には関係ないし」

「あぁそうだな。関係はないが、餓鬼みたいな事をするな」

「うるさい!うるさい!行きたくないものは嫌なの!放っておいて!!」

ケンカなら小さなことから大きなことまで何度もあった。
その都度仲直りはしてきたが。

「そう言って小父上を困らせるのはやめろ」

夏侯惇が曹丕に頼むくらいなのだから、よほどの事なのだろうと曹丕には思えた。

「父様は関係ない!」

「今のお前が小父上のそばを離れて一人で暮らせるわけがなかろう」

「っ!…」

「少し感情的になりすぎではありませんの?」

互いに冷静さが失っているように甄姫には見えたようで、彼女が二人の間に割って入って来た。

「甄」

「………」

「はじめまして。殿。このような形でお会いすることになるのも可笑しなことですけど」

の肩が揺れた。
だが彼女は振り向こうとしない。

「子桓様にお話しづらいならば、私がお聞きいたしますわ。将軍もご心配なさっておりますし」

「………」



「帰ってください。誰ともお話することなんかありませんから」

「それは」

硬いの声音。
絶対に顔を向ける気はないのか、二人に向けるのは背中。

「余計な真似をしてしまったようですわね。私は引き取らせていただきますわ」

甄姫は気を使ったのだろう。
知らぬ者がそばに居てはが余計に口を閉じると。
外で待つと甄姫は室から出た。



「子桓も帰って。話すことなんかないから」

「お前は…それでは何も変わらぬ。小父上を困らせるだけだと言っただろうが」

「甄姫様だっけ?待たせるの悪いから、早く帰って」

。話を聴け。いい加減顔を見せろ」

「子桓の顔なんか見たくない」

曹丕は振り向かせようとの肩に手を置こうとしたが、その手を弾かれた。

「なんだと?」

初めて。
初めて強くに拒まれたことに、曹丕は酷く胸が痛んだ。








惇父と曹丕視点。娘の我がままに見えますかね?
10/04/06
13/02/17再UP