|
落花流水
張遼に送ってもらって、屋敷にまで帰って来たがあまり覚えていない。 ただただ、曹丕が連れていた女性が気になって。 折角めかしこんだのに、無駄になってしまった。 しばらく、気持ちの整理がつくまで曹丕と顔を会わせるのは辛い…。 【2】 「どうしたのだ?急に…具合が悪いなどと聞かされたが」 夏侯惇は城でが具合を悪くしたと張遼から知らせを受けた。 室を覗いたが、は寝台には寝ておらず、后厦に居た。 静かに椅子に腰掛けて庭を眺めていた。 「ごめんなさい。父様…ちょっと気分が悪くなっただけだから」 「そうか?」 「遼様にご迷惑をおかけしちゃった」 悪戯っぽく笑うに夏侯惇もさほど心配することはないのかと安堵する。 「そうか。あとでちゃんと礼をせねばな」 「その時は私にも声をかけてね。遼様には私もお礼を言いたいから」 「そうだな。あぁ、城で子桓には会えたのか?」 何気なく聞いたつもりだった夏侯惇。 だが、微かにの反応が遅れた。 「?」 「え?あぁごめんなさい。ううん、会えなかった。忙しいんじゃないかな」 「そうか。ではまだ今の子桓を見ていないのか」 「うん…」 「黙っているのもいいが、この言い方じゃ気になるだろう?」 夏侯惇は顎をなぞり珍しく楽しげに笑う。 「え?別に…」 「俺も驚いたぞ。なにせ、腰まであった長い髪をばっさり切ったからな」 「………」 「なんだ?」 が目をパチクリさせるので、夏侯惇は何事か聞き返す。 は慌ててかぶりを振った。 「ううん。そうなんだ、子桓…髪切ったんだ」 「あぁ。ものの見事にな。どういう経緯で切ったかは知らんがな。今度詳しく聞かせてもらえ」 「うん」 一仕事するので、城に戻ると言い夏侯惇は室を出た。 「……ふむ…何か変だな…」 扉を閉め、少しだけジッと見つめる夏侯惇。 体の具合は本当に悪くないようだが、どこかずれているような感じがした。 「あれも中々頑固だからな…俺にも言わぬだろう…」 すると頼めるのは曹丕だけだろうか? 少しだけ様子を見よう。 夏侯惇は家令に後を任せ屋敷を出た。 *** 「父様が知らないってわけ、ないよね」 キュッと膝の上で組んだ手に力が入る。 夏侯惇が曹丕の事を話そうとして、正直やめてと止めそうになった。 だけど、口から出たのは曹丕が髪を切ったという事。 城で会えなかったと口にしたが、本当はその姿を見ている。 腰まであった長い髪をばっさり切って、そばに綺麗な女性と一緒に居て。 てっきり、夏侯惇からその女性の事を聞かされるかと思ったのだが。 「でも…あの姿は…ちょっと」 悲しくなった。 長い曹丕の髪。嫌いじゃない。 幼い頃曹丕と仲良くなるきっかけはその髪を結ぶ為に結い紐だったから。 成長して喧嘩のようなものをしてしまった時も、仲直りをするきっかけはその結い紐で…。 別に切ることを反対したわけじゃないし、自分にその決定権があるわけではない。 ないけど…知らない姿の曹丕のような気がした。 そばに知らない女性がいただけに…。 「どうしよう…これから…」 聞かされるだろう事を思うと怖かった。 *** それから数日。はどこに出かけるわけもなく室で過ごした。 張遼に礼を。となったが、張遼の方がそう気にしないでくれといい、簡単に夏侯惇との間で済ませてしまったようだ。 ただ、更に気分が滅入ることは起きた。 「らしいわよ。は聞いてないの?」 「う、うん」 「わたくしも遠目から拝見しましたけど、とてもお美しい方でしたわ」 の友人達が屋敷を訪ねてきた。 聞きたい話があると。 案の定と言うか、曹丕のことだった。 「袁家縁の方のようだけど…曹丕様が奥方に迎えるようだって話で盛り上がっているのよ」 「ねー。曹操様はその奥方となられる方がとても美しい方だから残念がったって話も聞いたわ」 袁紹の息子の嫁だった女性。名を甄姫と言うようだ。 彼女を戦場で見初めた曹丕はそのまま娶るつもりで許昌に帰って来たそうだ。 曹操達にも紹介済み、承諾済み。 傾城級の美女。その肌は珠のようだと噂されて…。 「は曹丕様と幼馴染だから、もうお会いになっているかと思ったのですけど」 噂の真相はどうだ?と手っ取り早く一番真相が聞けそうなを訊ねたのだ。 は困ったように首を数回横に振った。 「残念だけど、私はほとんどその話を聞いていないの。父様も何も言っていなかったし」 「あら。それも不思議な話ね」 「まだ公表する段階じゃないから隠しているとか言わない?」 「ないよ。隠す必要ないでしょ?」 「そうよね」 「ごめんね。どちらかと言うと、今皆から聞いた話にびっくりしているんだから」 屋敷にずっと籠もっていたから仕方ないとは自分でも思う。 思うが世間に知られるくらい話は広まっているようだ。 そう思うと、ほぼ断定できる話なのだろう。 曹丕ともほとんど会わないし、彼がここを尋ねてくることもない。 「ずるいよね。子桓も…そういうおめでたい話ならばちゃんと言ってくれればいいのに」 にっこり笑ってからは茶で喉を潤す。 本当は笑うほど余裕はない。咽喉が渇いて仕方がないのだ。 「そうよね。これで曹家も。曹魏も安泰ですもの」 友だちはそんなに気づかない。 いや、気づいてほしくないのだ。 「何か詳しい事を聞いたなら教えてくださいませね」 「うん。そうする」 その後は違う話題になり楽しんだ。 楽しんだと言うより、楽しむようにしていたのかもしれない。 友だちが帰った後、一人になって酷く落ち込んだ。 やっぱりあの女性は曹丕にとってそういう女性なんだと。 「仕方ないよね…子桓は最初から、私なんか…」 彼の妹達と変わらぬ目で見たのだろうから。 *** 「あ。そうだ。子桓が戻る頃には、この前仕立てた着物ができるからね」 「まぁね。でも子桓や父様に見せられるのは少し先でしょ?」 そんな事をは言っていたのに、一向にその姿が見られる気配がない。 自分が現在戦の後処理で多忙なのも理由なのだが。 の性格ならば、城にまで押しかけて来そうなのに。 (別に…待っているわけではないが…) だけど、溜まった書翰に若干苛つく。 こういう時は気分転換をしたくなる。 にこちらから会いに行くべきだろうか。 そう思い席を立つ。 「あら。どちらかお出かけですの?」 「あぁ。少しな…」 先の戦で手に入れたと言ってもいい女性甄姫。 「折角お茶の用意を致しましたのに」 「それはすまない」 「いえ。お茶はまた後でご用意させていただきますわ」 にっこり笑う甄姫。 彼女が笑うと大輪の薔薇が咲いたように見える。 「いってらっしゃいまし」 深々と頭を下げる甄姫。 できた女性だとつくづく感心してしまう。 その甄姫を置いて室を出た。 屋敷に行かねばに会えぬかと思ったが、あっさりその姿を見つけた曹丕。 が周囲の様子を窺っていた。 「あいつ」 出向くこともなかったのかと思ったが、そうではなかった。 「遼様!」 通りかかった張遼を見つけ、笑顔で駆け寄っていく。 何やら何度も頭を下げて。 以前もこんな光景を見た。 夏侯惇に用事があるとかで城に来たが、その姿が見つけられず通りかかった張遼を呼び止めて…。 「………」 その時、一緒に居た司馬懿が、の嫁ぎ先がどうとか口にしていたなとぼんやりと思った。 声をかける間もなく、は張遼と行ってしまった。 なんとなく、癪に障ったのはが着ていたのは自分が贈ったものではない、弟が贈った方の着物だった。 *** 「遼様!」 正直、城に来たいとは思っていなかった。 だけど、やっぱり夏侯惇が簡単に済ませたとはいえ、張遼にちゃんと礼が言いたくて。 夏侯惇に言えば、屋敷に来てくれただろうが、そのようにわずらわせるわけにも行くまい。 張遼だって忙しいのだ。 「おや。殿」 戦場では恐れられる姿を見せるらしいが、昔から決まってには笑ってくれる張遼。 「どうかされましたかな?あぁお義父上をお捜しか?ならばご案内いたしますが」 「そんな。今日は遼様に用があって来たんですよ」 「私にですか?それはわざわざ申し訳ないですね。言ってくださればお伺いしましたのに」 「それじゃあダメですよー。この前のお礼をちゃんと言いたくて」 蹲っていたを運んでくれて、屋敷まで送ってくれたのは張遼だった。 「いえ。本当お気になさらず」 「でも。お礼が言いたかったんです。そんなに遠慮されちゃうと私も困るんですが」 「?」 「お菓子を焼いたんです。遼様、食べていただけませんか?」 手にした籠を張遼に見せる。 張遼は目を細めて笑う。 「それはお断りする理由はないですね。よろしければ私の室でご一緒にお茶でもどうですかな?」 「はい。喜んで」 張遼と並んで歩き出す。 視線をどこからか感じたが、にはどうでも良かった。 曹丕に会わなければいいやと思っていただけに。 張遼の執務室で作ってきた菓子を出した。 あまり得意ではないが、屋敷の料理番に教わって一生懸命に作ったものだ。 用意してくれたお茶と一緒に、張遼と食べた。 「そういえば、聞きましたか?殿」 「何をですか?」 聞いたか?と言われると心臓に悪い。 曹丕のことだろうか?と思って。 自分からはなるべく曹丕の話題をふらない様にしていたから。 「ギョウに住まいを移すようにと」 「え?」 「おや。まだのようですな」 張遼は苦笑した。 袁紹、袁家を倒し彼らの治めていた一帯は曹操のものとなった。 改めて天子から冀州牧を任じられたそうだ。 その為に一族揃ってギョウへ移り住むことになりそうだと。 曹操の本拠地をそこになるという事は、付き従う夏侯惇も当然行くだろう。 「許昌を離れるんですか…そんな…」 ここでの思い出が多いは顔を渋めた。 「友だちもいっぱいいるのにな…」 彼女らの父が全員曹操の配下と言うわけではない。 昔からここに住んでいた商人の娘だという子もいる。 「まぁ寂しいでしょうが…夏侯惇殿があなたを一人残すわけもないでしょうな」 「………」 正直嫌だ。 知らない土地へ行く怖さはある。我が侭を言っていられないこともわかるが。 考えたのは知らない土地で、曹丕とその奥方の姿を見る羽目になるのが。 だったら、このまま許昌に残って知っている人達が多くいる場所で生活をしていたい。 「これは些か早まった真似をしてしまいましたな。夏侯惇殿に叱られてしまいそうだ」 「そんな。遼様が叱られることはないですよ。寧ろ遼様なら父様を返り討ちになさるでしょう?」 「おや。失礼な事を言いますね…ですが、ふむ…負ける気はしませんね」 「もう。遼様ったら」 は口元に手をあて笑った。 「元気になられたようですな」 「え?」 「あの日、あなたが泣いた姿を見てしまったので。夏侯惇殿にも話しておりませんが」 「遼様……昔から遼様の前では隠し事とかできなかったから」 「別に私だけではないでしょう。本当は一番に泣きつきたい相手がおりますでしょうに」 は小さく唇を噛む。 何かあれば一番に泣きついた、文句を言った、色々報告した。 そんな相手。 居たけど、今回のこればかりは、その相手に何も言えない。 言って、話を聞かされるのが嫌だったから。 「本当…私って子どもですね…」 「それはそうでしょう。私から見れば、殿は子どもですよ」 励ましてくれたつもりなのだろうか? 張遼の言葉に少しだけ涙が出そうになった。 遼さんが美味しい役どころですが、曹丕夢ですw
10/03/27
13/02/17再UP
|