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だけど、それでも、きみをおもう。
【8】 が買い物から戻ると、ある一角がとても賑やかだった。 趙雲が椅子に座っていて蘭玉と蓮が両脇にいてとても楽しそうだった。 楽しそうにしている理由は趙雲の腕に抱かれた子だろう。 赤子が彼の腕の中にいた。 優しい眼差しで赤子に話しかけている趙雲。 この屋敷に来て始めてみせる表情ではないか? (いいな…) 単純にそう思った。 羨ましいと。 と同時に、刻一刻と別れが近づいているのだと思った。 それは急に迫っているのだなと。 (あ、あれ?…なんか痛い) なんだかチクチクと鳩尾の辺りが痛む。 痛みだけでなくモヤモヤと気持ち悪さも出てくる。 (なんか嫌だ…) はギュッと服を掴み部屋へと駆け込んだ。 (嫌だ、嫌だ、嫌だ。なんか嫌) 寝台に転がるように飛び込みギュッと目を強く瞑る。 歯も食いしばる。 今の自分はどうしてしまったのだろう? 「?どうかしたの?」 蘭玉が扉を開け顔を覗かせる。 が帰宅したのに気づいたのだろう。 だが誰にも声をかけなかったことに不審に思い様子を見に来たようだ。 蘭玉は寝台の上で蹲っているを見て驚き急いで駆け寄る。 「!?」 「…蘭玉」 辛そうな顔をし蘭玉を見る。 「蘭玉。痛いよ」 「どこが痛むの?」 泣きそうな顔をしている。 見たところ傷があるようには見えない。 だとしたら病か? 「待ってて、今、お医者様呼ぶから」 「い、いい!」 は蘭玉の腕を掴む。 「でも。お医者様に診てもらったほうが」 「話聞いて。ね?」 「……わかったわ」 は身体を起こす。 が手で押さえている部分が蘭玉の目に入る。 蘭玉は寝台に腰を下ろす。 「あのね。急に変なの」 「どこが?」 「ここら辺が」 はその箇所を摩る。 「いつから?」 「さっき、急に…子龍さんともうお別れなんだって思ったら急に」 痛みや吐き気など様々なものが入り混じって、嫌な気分になった。 「お別れって。だってあの人は…」 「でもいなくなっちゃう人だもん」 「…」 は蘭玉に抱きつく。 「なんだろ、可笑しいよね」 「可笑しいことなどないわ。仲良くなった人との別れは誰だって寂しいものだし」 蘭玉はの背中を優しくさする。 の気持ちに蘭玉のほうが驚いてしまう。 出会ったころからずっと彼女は夏侯惇を慕っていたから。 それとは違う気持ちがには芽生えているが、本人にはわからないらしい。 「。今からそんな態度では駄目よ?」 「わ、わかっているよ。でも、でもさ…」 「んー本当にあの人はいなくなってしまう人なの?だって曹操様が」 「孟徳様が良くても、子龍さんはここにずっといる気はないよ」 「…」 「惇兄だって」 政治など小難しい事は蘭玉にはわからない。 当初、趙雲がこの屋敷へ来たのは身体の療養と夏侯惇にこれから仕える人だと思ったから。 元々敵軍にいた武将だと聞いたから。 わからない。 わからないから、蘭玉にはどうすれば良いかもわからない。 「だったら、もうそんな顔をするのは止めて、あの人のそばに行ってあげたら?」 「蘭玉」 「ずっとのことを気にしている様子だったわ」 「………」 「ね?行きましょう。は昼餉も食べていないし」 蘭玉はを放し立ち上がる。 「私には難しい事はわからないけど、が元気ないのは嫌だわ」 「……うん」 部屋を出ると赤子の泣き声が耳に入る。 何やら慌てた様子の趙雲と蓮の声もする。 「どうかしましたか?」 蘭玉が趙雲に声をかける。 二人は天の助けとばかりに蘭玉の方へ駆け寄る。 「あ、あぁ蘭玉殿。阿斗様が急に泣き出してしまって」 「まぁ」 「さっきまでは普通に笑っていたんだよ」 「失礼しますね」 蘭玉が阿斗を抱きかかえる。 「おしめではないようですね……ん。もう眠たいのかな」 蘭玉は腕を軽く揺する。 「私が寝かしつけますから」 「す、すみません」 「いいえ。、ちゃんと昼餉は食べてね」 「殿?」 「わ、わかった」 蘭玉は阿斗を連れていく。 蓮も阿斗がよほど気にいったのか蘭玉の後をついていく。 残されたのは趙雲と。 「殿。帰っていらしたのですね。中々戻らないようで皆、心配していましたよ」 「あ、うん。ごめんなさい……」 「え、い、いえ。別に怒ってはいませんから…」 「……あの子が子龍さんの言っていた赤ちゃんなんだ」 「はい。ですが、私では世話が出来ず蘭玉殿に頼らねばならず…お恥ずかしいです」 趙雲が笑うも、の顔は晴れない。 やはり先ほど見てしまった穏やかな表情が引っかかっている。 自分には向けられない笑顔だから。 「殿?」 「なんでもない。私、お昼食べてくる」 「あ、はい。ごゆっくりどうぞ」 は趙雲に背を向けてしまった。 *** 阿斗がいる生活になって、夏侯惇の屋敷は賑やかさが増した。 夏侯惇自身、赤子の泣き声で目が覚める日が来るとは思っていなかった。 「………………いつもならばまだ寝ている時間ではないか」 もう一度寝ようかと思ったのだが、そうすると今度は起きれないような気がして仕方なく寝台から降りる。 厨房を覘けば蘭玉が朝餉の仕度をしている。 背中に阿斗を背負って。 「朝から騒々しいな…」 「元譲様。おはようございます。あ、起こしてしまったのですね、申し訳ありません」 「いや、いい。気にするな。俺よりお前の方が大変だろう」 「私は慣れていますから」 「そうか」 「子龍様もすでに起きていらっしゃいますよ」 「ほぅ」 彼はこの所、暇があれば身体を鍛えているようだ。 恐らく今、その最中だろうと思い見に行く事にした。 庭から聞こえる趙雲の掛け声。 厨房から漏れる赤子の泣き声。 周りは静かなのに、ここだけはまったくの別世界のようだと思う。 昼間になればそこにと蓮の声も加わり一層賑やかになるのだろう。 趙雲の姿が目に入る。 いつから始めていたのだろうか? すでに彼の身体からは汗が流れ湯気が出ている。 相当身体を慣らしているらしい。 趙雲も夏侯惇の姿に気づき、手を止めた。 「おはようございます、夏侯惇殿。今日はお早いですね」 「あぁ。まぁな。なんと言うか赤子の声がな」 「ははっ起きてしまったのですか。私も同じです」 起きたのは良いが何も出来ずこうやって身体を動かしていた。 「蘭玉殿に任せっぱなしで…」 「お前が世話をするより良いだろう」 「そうなのですが」 「ここも随分賑やかになったものだ。昼間は煩い位なのだろう?」 夏侯惇は拱手する。 趙雲は汗を拭いながら答える。 「賑やかですね。蓮が友だちも連れてくるようですし」 「フッ。本当、変わった。以前は俺の屋敷などには子どもが近寄る事などなかったのだがな」 「そう、なのですか?」 「この顔を見れば当然だろう」 来るとすれば精々従兄弟の子たちくらいだ。 それも親と一緒にではないと来る事はない。 「が来てからだ。ここが変わったのは」 「……殿ですか……」 と聞いて趙雲は目をそらす。 「なんだ、どうかしたのか?」 「い、いえ。何も」 慌てて首を横に振り俯く趙雲。 少しその顔が赤くなっているのは気のせいだろうか? 「お前、戦の時は違うが、嘘がつけない性質だろう?」 「え、あ、その…か、顔洗ってきます!」 趙雲は逃げるように行ってしまう。 「……何かあったのだな」 しょうがないと夏侯惇は溜め息をついた。 だが、だからと言ってどうしようとは思わない。 多少を突付いてみようとは思うが、基本的には見守るつもりだ。 いや、単に面倒臭いとしか思っていないのかもしれない。 「惇兄ーおはよ。朝餉の時間だよ〜」 一度私室に戻り着替えをしていた夏侯惇。 そこへが顔を覗かせる。 「すまぬな…。ちょっと来い」 部屋の入り口にいたを手招きする夏侯惇。 「ん?なに?」 は中に入る。 「お前、趙雲と何かあったのか?」 「…ないよ、別に」 は横を向いてしまう。 これは先ほどの趙雲の態度と変わらない。 「あったのだな。あやつの態度も可笑しかったわ」 「ない、別に」 「」 「だって、子龍さんとあまり話しをしていないだけだもん」 「しておるではないか」 今まで仲良さそうに話してた二人が話さなくなれば誰だって不思議に思う。 当人の方が倍に思うだろう。 「………だって」 「なんだ?」 「………話すことないし」 「お前は人と話す時にわざわざ話題を考えねばならぬのか?」 「そうじゃないけど」 は唇を尖らせる。 まるで親が子どもを叱るような構図だ。 「………でもさ……だって」 「先ほどからそればかりだな」 「だって……子龍さん……」 「お前が嫌がるようなことでもされたのか?」 は首を横に振る。 「では、なんだ」 「子龍さん…もうすぐここからいなくなるでしょ?これ以上仲良くなったら嫌だもん」 別れが辛くなるから? 趙雲が自分の仕える君主の下へ帰れば二度と会うことはできないと思う。 それに前に少しだけ思ったが、これから起こるだろう戦で夏侯惇と対峙するかと思うと… 「だから距離を置くか…お前がそう決めたならば俺はもう何も言わぬ」 趙雲を曹操に仕えさせる気はないと 劉備のもとへ逃がすつもりだと考えているのは自分。 にもここには残らないだろうと言ってしまったのだから。 「蘭玉たちを待たせてしまっているな。行くぞ、」 「う、うん……」 部屋を出た際に夏侯惇はポツリと呟いた一言にの頬は一気に赤く染まった。 「俺はてっきり赤子にあやつをとられて妬いているのかと思ったわ」 急に別れを意識してしまった彼女。趙雲はそんな事に気づいていませんよ。
05/09/26
12/11/04再UP
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