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ほんの少しの距離なのに。
興覇君に言われて、凌統君のことを追いかけるべきだった。 でも、いざって時に色んなことが頭の中をよぎってできなかった。 足が動かなくなった。 ごめん。 ごめんね、凌統君。 【凍つる】 甘寧は困っていた。 凌統が落とした首飾りを誰に渡そうかと。 自分の手から渡しに行けばきっと彼は物凄い剣幕で拒絶するだろう。 きっと、これはへの贈り物なのだろうとはすぐにわかった。 そんなものが自分の手にある事を知ったら、また嫌がるだろうと。 に渡そうかと思ったのだが、彼女もあの日以来まったく姿を見せなくなっていた。 よくわからないが、は何かを恐れている。 (どっちにしても俺が持っていてもしょーがねーじゃんか…) 捨てるわけにもいかない。 あぁ面倒な事になったと思った。 そして自分の行動に頭が痛くなる。 もう少し気を使うべきだった。 ちょうどそこに、凌統と同じように賊討伐から戻った陸遜とあった。 彼に渡してもらおう、そう思った。 「陸遜、頼みがあんだけどよ」 「甘寧殿。なんですか?」 「これ、凌統の奴に渡しといてくれよ」 甘寧は陸遜の前に首飾りを突き出す。 「これは、確か凌統殿が買われたもの…?なぜあなたが?」 まさか凌統が甘寧に土産だなんて・・・・ 何やら商人相手に慎重に物を選んでいた凌統が思い出される。 「誰かへの贈り物だったはずですが」 「あぁ、その相手に渡そうにも姿見せねぇし、俺から渡すわけにもいかねーし」 甘寧と凌統の間に何かあったのだろうなって陸遜にも想像がついた。 「だから俺があいつに渡すよりもいいだろ?お前の手で返しといてくれよ」 「わかりました」 陸遜は簡単に引き受けてくれた。 陸遜にも凌統がどんな態度を示すかわかっていたから。 余計な争いの種は蒔かない方が良いだろうと。 しかし… 「いらない」 「は?でも、これは凌統殿が…」 「いらないって言ってんの。陸遜にやるよ」 「…凌統殿」 凌統に突き返された。 陸遜もこれには困ってしまう。 これを購入した時の事を思うと、かなり大切なものだろうなって思えていたから。 凌統がどんな人に渡すのかなと少し気にもなったくらいだ。 かと言ってくれると言われても陸遜はもらう気にもなれなかった。 「なので、甘寧殿にお返しします」 「はあ?なんで俺に渡すんだよ」 戻ってきた首飾り。 「凌統殿は受け取ってくださらないからですよ、僕にやると言われても素直にいただけませんよ」 「俺だってそうだ」 「とりあえず、甘寧殿から本来贈られるべき方へお渡しすればいいのではありませんか?」 「なんで俺が」 「僕はその方を知りませんし、甘寧殿は知っているのでしょう?」 「…ちっ、わかったよ…」 面倒臭いと甘寧は首飾りを懐にしまった。 こうなってしまった原因は自分にあるわけだし。 *** 日ごとに寒くなってじっとしている事が多くなった。 あの日以来ピアノも弾いていない。 ただでさえ下手な自分だ。 指がなまるどころじゃないだろうなと思う。 でも、今はあの部屋に行ってもピアノを楽しく弾けないと思った。 「……凌統君…」 凌統があそこまで甘寧を嫌っているとは思わなかった。 に愚痴を軽く零すくらいだからそんなに深いものではないと思っていた。 謝った方がいいのかな? でも、謝るような事なのかな? 自分がした事は悪いこと?いけないことなのか? 凌統と甘寧が仲良くなってくれればいいなと思った。 その手助けをできたらいいなと。 でもそれは彼らから見たら余計なお世話なのだろう。 甘寧にも何度も言われた。 『これは俺とあいつの問題だ』 は部外者。 二人の事は知っているが、直接の原因は聞いただけで。 「興覇君を見てれば、そんな悪くは思えないし、でもそれは」 が知らないだけで。 戦と言うものを。 自分が同じ立場ならと言われたら、頑なに拒絶するかもしれない。 でも“かも”なんだ。 そんな事が起きるわけがないと思ってしまうから。 「やっぱ違うんだろうなぁ…」 は身体を机に突っ伏せる。 今が学校で、休み時間だ。 鍵がかかっていないのだろう、窓がカタカタと風で揺れる。 教室内で友だちが昨日見たテレビの話とか好きな人の話とかを楽しんでいる中。 一人だけ混ざらずぼーっとしている。 騒がしいはずの教室も耳に入るのは窓が揺れる音だけ。 『俺に隠れてこそこそ会ってたんだ』 「こそこそしてたわけじゃないもん…」 『……勝手にすれば……俺にはもうどうでもいいから』 「どうでもいいって何よ…凌統君の馬鹿…」 今までにも軽く拗ねた姿は見たことある。 人のことをからかったり、かと思えば急に優しい態度とったり。 でも拒絶と言うのは初めてだった。 怒鳴られたことも。 小さい頃、両親や母親にだって叱られたことはある。 でも、なんだろう。 それはの為に間違った事を正す叱り方だ。 凌統からは違う。 叱られたわけではないが、怒り、酷く言えば殺気みたいなものが伝わってきた。 怖かった。 人からあんな目を向けられたのは。 もう凌統とは前みたいに話せないのだろうか? それを壊してしまったのは自分なのだから… *** 考えるのが嫌だった。 どうでもいいことだと自分に言い聞かせて。 だから陸遜が落し物ですよ、とあの首飾りを持ってきたとき、いらないと答えた。 もうに会うつもりもない。 甘寧とだってこれ以上関わりたくない。 だから、二人を思い出させるそれはもういらない。 甘寧も軍にいる以上、仕方なく顔を合わせるだろう。 でも、彼も以前みたいに自分に突っかかってはこないだろう。 元々はここにはいない存在だ。 別世界に住む子だ。 最初からなかったことにすればいいんだ。 「今の俺がやらなくちゃいけないこと…」 それは亡き孫策と父親が望んだ孫呉の天下だろう。 孫呉の天下の為に今は働くだけだ。 やることだって沢山あるはずだ。 そんなに暇じゃない。 また孫権から命じられれば遠征や賊討伐にだって行く。 毎日忙しなく動いていればすぐに忘れるだろう。 ……。 だが、忘れるどころか元々の性格の所為だろうか。 一人になった時や何かを考えていると、いつの間にかの事を考えてしまう。 あの時、はどんな顔をしていた? 「…覚えて…ない…?」 キュッと胸が締め付けられた。 彼女の表情がまったくない。 顔が見えない。 自分に必死で理由を説明しようとしていた。 でも、何故だろう? の顔が見えない。 すぐに人の顔を忘れるなんてことはなかった。 ちゃんと父の顔も孫策の顔も覚えている。 と普通に過ごした時の顔は覚えている。 優しく笑う奴だと思った。 それが自分には居心地よく感じて。 なのに、あの日の顔だけは思い出せない。 泣かした? 悲しませた? 怒らせた? どんな顔をしていた? 「………」 もう会わないと考えたのに、凌統はいつもの場所に来ていた。 週末になれば必ずはここに来る。 ピアノを弾いて。 会ってどうしようと言うのだろう。 単に自分が落ち着きたいだけだ。 思い出せなかったの顔を思い出そうとしてどうする? いつもの笑顔は忘れていない。 嫌な表情なんて思い出してもしょうがないのに… 「………」 しかし、待てども待てどもその瞬間は訪れない。 「…………」 世界が交わることはなく時間だけが過ぎる。 自分から壊したのだ。 仕方ないじゃないか。 あんな自分に呆れてはもうここには来ないだろうな。 いや、自分よりも甘寧を選ぶんじゃないか? 自分といる時より楽しげに見えた。 もう駄目なのか? 「あの首飾り…今どこにあるんだ?…」 もう会うこともないのならば、ちゃんと渡せば良かった。 05/11/07UP
12/01/09再UP
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