ほんの少しの距離なのに。




ドリーム小説

不思議な音色が耳に入った。
不思議な光景が目に映った。
不思議なことに出くわすとは思わなかった。

だが、悪くない。


青年は畏れずもせずに、それに近づいた。





【桜真風】





この街で、家と言うと、昔からの名家だとそこそこ名の知れた家だ。

海が見えるのどかな街。
観光で持っているようなこの街で彼女は生まれ育った。



名家と言われても本人には単に古いだけの家だと思っている。
歴史上に名を残したわけでもない、単に長く続いている家だ。

海が一番良く見える場所に一軒家が建っている。
それはの曾祖母が暮らしていた家だ。
曾祖母はとっくに亡くなっているので、今では彼女の遺品だけが残されている。
はその家を訪ねるのが好きだった。

訊ねると行っても、数メートル先にはの自宅があるのだが。

暇さえあれば鍵を持ち出し、中へ足を踏み入れる。
たまには換気をしなくてはならないと言う理由もあるが、一番にここへ来たいと思わせる理由は曾祖母自慢の古いピアノだった。

曾祖母が子どもの頃に買ってもらったと言う古びたピアノ。
まだ戦時中だった頃の話だ。
とてもすごいと思う。
それを買った曾祖母の両親もすごいが。
買った場所は日本じゃなかった。
戦時中で当時、満州帝国と呼ばれていた頃の某国でだ。
曾祖母は子どもの頃はそこで暮らしていたそうで、日本へ帰ると決まった時に無理にピアノも持ち帰ったそうだ。
子どものわがままを聞くなんて、相当な人たちだと今では笑い話になっているが。

とても大事にしていたピアノ。
が鍵盤に触れれば、今でもちゃんと音は出る。
そのピアノを気が済むまで弾くのがここへ来る理由。

誰かに習ったわけでもない、ほとんど独学で曾祖母が使っていた楽譜を見ながら弾く。

「やっぱここから見る景色は綺麗だぁ」

春休みなので、朝から曾祖母宅へと来てしまった。
お弁当持参で。
ピアノがある部屋に入り、まず最初にしたのは窓を開けること。
窓を開けたことで風が入り、ふわりと白いレースのカーテンが揺れる。

この部屋からの眺めが一番良い。
桜も咲き始めたので贅沢だと思える。

「さて、今日もよろしく」

椅子に腰を下ろす。
鍵盤に触れる一番最初がなんとなく緊張する。
の演奏など聞くものなど誰もいないというのに。

そしてゆっくりと音を奏で始めた。



***



「はーまったく周瑜殿も人使い荒いっての…」

孫呉伝来の地、呉郡を取り戻した。
先代君主であった孫堅の急死から長子孫策が継ぎ今はちょうど勢いに乗っているところだ。

呉郡を取り戻すのは案外簡単だった。
辺りを抑えていたのが寄せ集めの将だったから。
それに孫策に付き従う者も多かったのもあるだろう。
しかも、今回は太史慈と言う名のある将が孫呉に加わったので孫策も機嫌がいい。

凌統は父、凌操と共に孫家に仕えていた。
今は、取り戻した呉郡で戦後処理や今後についてのことでとても忙しい。
父は当然ながら、凌統にまで雑用が回ってくる。

そんな忙しい中で、もっとも忙しいはずの孫策がどこかへ行ってしまった。
君主となっても落ち着きのなさは変わらないらしく、周瑜は周泰や凌統に命じて孫策を探し連れてこいというのだ。

「俺は周泰殿ほど、殿の行動は知らないんだけどねぇ…」

面倒な雑務から逃れられるのは嬉しいが。
とりあえず、行きそうな場所をふらふらと歩きながら探してみる。

しばらく歩くと大きな桜の木が目に入る。

「すごいな…そういや、そんな季節なんだな…」

桜は見事に咲き誇っている。
太い幹に手をつけ、優しく撫でる。
戦が起これば場所や物など関係なく傷つく。
この桜の木は戦乱に巻き込まれずに今まで残っていたらしい。

「お前だけか?」

辺りには他に桜の木など見当たらないし。

「悪いけど、少し休ませてくれな」

凌統は幹に背をつけて座る。

「ふぅ……」

腕を枕代わりにして、少しだけ休憩しようと目を閉じる。
吹く風が少しまだ冷たいけど、少しだけなら大丈夫だろう。

凌統が眠りにおちそうになった時に、どこからともなく音が聞こえた。

「?」

聞いたこともない音。
でもとても澄んでいて聞いてて心地よさを感じる。

目を開けようと思ったのだが、心地よさが邪魔をしてこのままでいいかとそのまま眠りについてしまった。





がピアノを弾いていると、吹いた風と共に桜の花びらが部屋に入ってきたことに気づいた。
春だなぁと思って、思わず笑んでしまう。

「………?」

弾きながらだが、窓の外を見ると、見慣れない風景が広がっている気がした。
気がしたと言うのは、レースのカーテンが風で揺れている為良く見えないから。

本当ならば見えるはずの海がなく、緑の大地が見える。

「なに?」

自分は夢でも見ているのだろうか?
少し強い風が吹いたかと思うと、今度ははっきりと見えた。

「………どこ?」





心地よい音色ははっきりと耳に入る。
どのくらい寝たのだろうか?凌統は目を覚まし、軽く伸びをする。

「ん?」

ふと顔をあげれば不思議な、いや妙なものが目に映る。

「な、なんだ?」

桜の木の周りには何も建物などなかったのだが、ぼんやりと窓枠見たいのが浮かんでいる。
その奥で、少女が一人何かをしている。
凌統が見たこともないものから、ずっと心地よい音色が聞こえてくる。

とても気持ち良さそうに、楽しそうな表情をしている少女。
凌統はその窓枠に近づく。
ただ、よくわからないから触れないようにと注意して。

すると、強めの風が吹いた時に、少女がこちらに気づいた。
気づいたと同時に手を止めてしまった。

「………」

「………」

互いに目が合う。
なんとも言えない。

だが、凌統が思い切って声をかける。
話が通じるとか、届くかとか不安や疑問など気にもせず。

「なぁ」

「……!?」

「さっきまでの音、アンタか?……それから音が出ていたのか?」

長身の男性が窓の向こうに立っていて。
自分に話しかけてきた。

「なぁ?聞いてる?それとも、俺の言葉わかんないの?」

「あ、わかる。えっと……多分そう」

「へぇ。初めて見たし、初めて聞いた、んな綺麗な音」

自分のピアノが?
は少し恥ずかしくなる。
誰かに教えてもらったわけでもないから、人に聞かせるほどでもない。

「それ、なんての?」

「ぴ、ピアノ」

「ぴぴあの?」

「ピアノ!」

「ふーん」

ピアノを知らない人がいるのかと少し驚く。

「それで、アンタの」

男性が話を続けようとした時、は後ろから声をかけられた。

?」

「あ、お母さん」

の母が部屋に入ってきた。
は慌てて振り返る。

「どうしたの?いつもならばピアノに夢中なのに」

「あ、あのね!その。窓の外」

「ん?」

窓の外の風景がと説明しようとしたのだが、が再び窓に顔を向けたときさっきの不思議な風景はなくなっていた。

「あ、あれ?」

母はに窓の外と言われて、自然と足がそっちへ動く。
そして、窓枠に手をかけると気持ちいい風がちょうど入ってきたのだろう、息を吐く。

「ん〜綺麗ね。やっぱこの部屋からの眺めが一番いいわね」

「う、うん」

あれは夢だったのか?
桜が見せた白昼夢?

「まさか……」

「なに??」

「あ、なんでもない。用は何?」

その日は夕方までピアノを弾いていたが、あのような不思議な出来事は起こらなかった。





「なんだっつーの?」

話しかけた少女、と言うより向こう側の景色は消えてしまった。

「夢でも見ていたのかね……」

凌統は軽く髪を掻く。
さっきまで寝ていたわけだし。

「…消えたものはしょうがないか。さて、そろそろ帰りますか」

孫策を探す為に仕事を抜けたのだ、そろそろ戻らねば不味いだろう。
それに、孫策自身、すでに戻ってきているかもしれないし。

ただ、その場を立ち去る時、またあの音色に少女に会えないかなと数回振り返ってしまった。



***



今日もピアノを弾いていたに窓の外から声がかかった。
昨日の男性だ。
またもあの不思議現象が起こったらしい。
男性は桜の木の根元に腰掛けている。

「なぁ、アンタの名前は?それ聞こうと思ったら消えちまうからさ」

は演奏を止め身体を男性の方に向ける。

「………」

「ふーん、か」

そう言って男性は目を閉じてしまう。

「あの…普通人の名前聞く前に名乗るものじゃないの?」

「あ?あーそうだったな。俺は凌統。字は公績。好きに呼べば?」

「好きに呼べばって…」

「手、休めんなよ。ピアノっての聞かせろって」

我が侭な人だ。
こっちは何故、こう言う状況なのか聞きたいのに。
しかも凌統はよりピアノに興味があるようだ。

結構、いい男だと思ったのに、少し残念だ。
仕方なくは再び演奏を始める。

特に何かを話すわけでもなく、凌統は黙っての演奏を聞いている。
こっちは人に聞かせるほどのものではないので正直恥ずかしい。
なので、緊張からか少し音が外れた。

「あ…もう」

「下手くそ」

「…会って間もない人に言われるなんて…まだ練習中だもん、この曲」

が唇を尖らせてしまう。
それが見えているのかいないのかはわからないが、凌統がくすりと笑ったのがわかった。

「なぁ?」

「なんですか?」

「昨日もそれだった…なんての?」

「パッヘルベルのカノン」

「ふーん」

きっとわかってないな、そう思える。

「ピアノのこと知らないみたいだったけど?」

昨日、そう言っていた。
は弾きながら凌統に話しかける。

「あぁ、初めて見たし、初めてそういうの聞いた」

「へぇ。凌統さんはどこの国の人なんだろうね。ピアノを知らないって」

「あ?呉だよ」

「ご?…知らない」

「ふーん」

「と言うより、この状況が変だとか思わないの?」

「別に」

凌統は細かいことには気にしないのか、そう言う現象になれているのか?
どっちにしてもよりは楽しんでいるように思える。
それ以上は凌統は何も言わなかった。
だまっての演奏。
いや、ピアノの音色を聞いているようだった。



なんだろう、この不思議な出会いは?









凌統君のお話。加筆はしていませんが、彼の口調を若干変えました。
あ。相変わらず私には音楽の知識はないので、ツッコミはなしで。
05/04/18
12/01/09再UP