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花摘暦
【雨音】 季節は春から夏に変わろうとしていた。 が夏侯惇の下に身を寄せてからすでに半年が立つ。 その間に、エン州から許昌へと住む場所が変わった。 最初は夏侯惇に対してビクビクしていただが、今ではちょこちょこ夏侯惇の後ろについていく。 その様子がなんとも可愛い。 庭先で花を目出ながらお茶を飲んだり。夏侯惇からも自然と色々な話をしてくれるようになった。 いまだ声を失ったままのだが、夏侯惇と話をする時、彼の大きな手に伝えたい言葉を指でなぞることをしていた。 それだけじゃなく、夏侯惇にはの言いたいことがなんとなくわかるようになっていた。 「、今日も荀ケの元に来ていたな」 頷く。 「城は楽しいか?」 笑顔になる。 「そうか・・・ん?なんだ?」 「(やっぱり、城に行ってはご迷惑ですか?)」 「ふっ、そんな顔するな、迷惑などは思っておらん。孟徳もお前が来るのを楽しみにしているくらいだからな」 なんとなく、くすぐったい気はするが、には毎日が楽しく嬉しかった。 いつまでもこの生活が続けば良いのにと、願わずにいられなかった。 だが、所詮乱世。 夏侯惇に出陣の命が下される。 呂布が死、公孫サンも死、劉備・孫策はいまだ天下に遠く、事実上天下に近いのは曹操と袁紹である。 今まさに、2大勢力の戦いが始まろうとしていた。 「……そう早くは戻れまい。由科、白玲、を頼むぞ」 使用人である二人に夏侯惇はそう言う。 二人とも夏侯惇の前でかしこまり頷く。 出陣の事はの耳にも届いた。 は正直、夏侯惇には出陣して欲しくなかった。 それは夏侯惇だけでなく、夏侯淵や徐晃、にも行って欲しくなかった。 戦は悲しみを多く生むものだと思っている。 夏侯惇は片目を失い、 は声を失った。 もっと多くの者は家族を、大切な人を、命を失った。 もし、夏侯惇が戻らなかったら? 考えたくない。 考えたくないけど…不安で胸が張り裂けそうになる。 (なんにも、出来ないんだよね、私…) は縁側に座り込んで庭を眺める、足をぶらぶらさせて。 もうすぐ夏侯惇が出立してしまうのに何もする気がしない。 雨がしとしと降り続けている。 の気持ちを表すように… 「」 「……?」 が顔を上げると夏侯惇が立っている。 そしての隣へ腰を下ろす。 「もう時期、梅雨もあけるな…」 「………」 「夏になったら、お前を色々な所へ連れて行こうと考えていたのだがな」 夏侯惇は苦笑交じりで言い、の頭を優しく撫でる。 この大きな手に触れられるのは嫌いじゃない。 むしろ、好きなんだ。 「しばらく留守にするが、お前なら大丈夫だろう」 (大丈夫って?何が…何が大丈夫なの?) そうは思うも夏侯惇へ顔を向ける事が出来なかった。 駄々こねて、行くな、なんて言える訳がない。 戦場が夏侯惇の場所なのだから… いつものように何も投げかけては来ないに寂しさを感じるが、出立時間が迫っている。 夏侯惇は仕方なく立ち上がる。 由科が現れ夏侯惇を呼ぶ。 「元譲様!お時間です」 「あぁ」 一度夏侯惇は振り返るがはじぃっと庭を見つめている。 小さくため息を吐き歩き出す。 足音に一瞬肩を揺らすだが、夏侯惇を見ることが出来なかった。 屋敷の主がいなくなり、静けさが増してくる。 白玲たちは皆、見送るために屋敷を出てしまったらしい。 一人ぽつんと庭先で、雨はいまだ止まない。 (私、嫌な子だ…ちゃんと見送りもしないで!ちゃんと、ちゃんとしなきゃ!) はバッと立ち上がり、屋敷から飛び出した。 (無理かもしれないけど、笑顔で見送ろう!) *** 雨だと言うのに気にせず走り続ける。 (はぁ、もう行っちゃったかな?ううん、諦めるのは駄目、考えるのは後だ!) 城門近くに多くの人が立ち並んでいる。 兵士の家族が見送りにきているのだろう。皆が家族とのしばしの別れを惜しんでいる。 その波を通り抜け、は夏侯惇の姿を探す。 悠長にしてなどいられない、ぐずぐずしていたら出立してしまうだろう。 (いた!夏侯惇さん) 夏侯惇は他の武将たちと話をしている。 通常なら邪魔をしてはいけないのだが、は構わず余の輪の中に飛び込んだ。 だが、勢い余って夏侯惇の背に抱きついてしまった。 「!?」 「……・…」 笑顔で見送ろうと思っていたのに、いざとなると顔を上げることが出来ない。 夏侯惇の背に顔を埋め、腕を回した。 「どうした、。わざわざ見送りに来てくれたのか?」 頷く。 (ちゃんと、ちゃんと顔を見せなきゃ駄目だよ…駄目なのに…) この時ほど、声を失った事を悔やんでしまう。 言葉ならちゃんと伝える事が出来るのに、今の自分には伝える事も出来ない。 の手に力が入っているのが夏侯惇にも伝わる。 夏侯惇は回された腕を離しての方へ向きをかえる。 「」 それでもが顔を上げないものだから、夏侯惇は片膝を突いてと目線を合わせる。 「来てくれただけでも、俺は嬉しい」 「………」 「行ってくる」 (まだ、私何も、何も伝えてないよぉ…) 笑顔を見せようと決めたのに、考えていた事が上手くいかない。 だが、夏侯惇はフッと笑みを浮かべた。 「の言いたい事はちゃんと俺には通じている」 「!?」 「お前の下に必ず帰る。俺の居場所はの下だ。それまで待っておれ」 夏侯惇の言葉に涙が溢れ、は夏侯惇に抱きついた。 夏侯惇もを優しく抱きとめる。 声を失っても、その泣き声が遠くまで響いているかのようだった。 「すまないな…お前が声を失ったのは俺の所為なのに」 「(そんなことないです、声がなくても夏侯惇さんに気持ちが伝わったから)」 「ありがとう、」 そう言って夏侯惇はを抱く力を少しだけ強めたのだった。 出立する頃には雨も止み、雲の隙間から太陽の光が差していた。 兵士たちの後姿を人々はいつまでも見ていたのだった。 そう、も、ちゃんと笑顔で。 戦では多くのものを失う。 けれど、例外はあった。 夏侯惇とは戦の中で出会った。 始まりは最悪だが、今は違う。 二人は一緒に過ごした時間の中で互いを大切に想いはじめているのだから。 雨が不安を流してくれた。 太陽の光は希望を照らしていてくれているのかもしれない。 【夕日】 曹操と袁紹との戦い、後に官渡の戦いと呼ばれる大戦が始まってすでに5ヶ月が経っていた。 曹操自身は朝政を執るために許昌と官渡を行き来している。 だが、夏侯惇が官渡から離れる事はなかった。 前線において、袁紹軍を牽制しつつ、戦になれない新兵たちを指揮し訓練してる。 そんな毎日が続いている。 「惇兄、大分使えるようになってきたか、新兵どもは」 今日も袁紹軍との衝突がなく、訓練と見張りだけで終わってしまった。 その訓練が終わった夏侯惇の元へ夏侯淵が話しかけてきたのだ。 「中々、進まねぇな」 「あぁ、だが焦っても仕方ないことだ」 「それはわかっているが…惇兄、早く帰りたいだろ?」 「ん…いや、俺は…なんだ」 『帰る』と言う単語に少し顔が穏やかになる夏侯惇。 家に待っている人がいるだけでも少し気分はいい。 夏侯惇の屋敷には自分を世話する使用人以外は身内もいない。 ただ一人を除いて。 「と離れて過ごすのって、初めてだな惇兄」 「そうだな…」 がその一人である。 は夏侯惇が戦場で出会った少女。 自分の所為では声を失った。 だから名前以外は素性はわからない。 でもそれでもいいと思っている。 最初はどう接して良いかわからず、曹操の夫人たちへ預けようかとも思った時期もある。 だが、自身も自分に歩み寄ってくれて、夏侯惇自身が屋敷へ戻るのが、 と過ごすのを大切に思えてきたのだ。 歳の離れた少女に、夏侯惇は恋…?否、そんな簡単な一言では表せない。 家族、妹、娘、であり一番大切な女性。 「も惇兄の帰りを待ってるだろうな」 そんな言葉を聞いて夏侯惇はフッと笑みを浮かべる。 「は俺だけでなく、お前の帰りも待ってるだろう」 「そ、そうか?だとしたら嬉しいな、俺も」 頭を掻きながら笑う夏侯淵に自然と夏侯惇も釣られて笑う。 「早く袁紹の野郎なんざぶっ飛ばして、の所へ帰ろうぜ惇兄!!」 「そうだな」 夏も過ぎて、日が落ちるのが早くなっている。 昼間、頭上でまぶしく輝いてた光よりも、今、沈む夕日の方が何故だか、眩しくて目を細めてしまう。 戦に出る前、と散歩しながら見た夕日が思い出される。 また、あの頃と同じようにと見れるだろうか? 今日、明日にも落とすかもしれない命。 以前の自分なら、曹操の為に命を落としても止むえないと思っていた。 だが、に出会ったあの瞬間から 待っている者がいる、あの家に何が何でも戻ろうと思えていた。 戦に出て、怖いと感じた事はない。 だが、死ぬ事よりに会えなくなるのが嫌だった。 「惇兄、どうした?」 「いや、何でもない」 「とか言って、のこと考えてたなぁ〜」 「淵」 「イイって、本当のことだもんなぁ」 「淵」 「がははは、惇兄が怒る前に退散すっかな」 それでも笑い続けながら夏侯淵はその場を離れる。 「まったく…だが、嘘とも言えんしな…参ったな」 沈む夕日を見ながら小さく笑った。 夕日のお蔭で、少し赤く染まった顔など誰にも気づかれてないだろう。 きっと、も同じ夕日を見ているだろう。 自分はまだまだに会うことはできないけれど、が元気で過ごしていると思っている。 戦が終わり、も下へ帰れる日が来るのを、夏侯惇は願うのだった。 約束は守る。 必ず、お前の下へ帰るぞ、。 11/12/24再UP |