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小さな恋のうた
長坂の戦いで劉備軍は江夏と夏口へと逃げ延びた。 そこで追って来る曹操軍との戦いの準備に追われていた。 夏口では、呉の重臣魯粛が待っていた。 この出会いにより、曹操に対抗する連合構想が実現に近づいた。 しばらくして、両国の命運を握り諸葛亮が呉への使者に立った。 そして孫権・劉備の連合軍が赤壁にて曹操が率いる大船団と戦うことになった。 を庇って傷を負った趙雲は絶対安静と言われ此度の戦には参戦することが出来なかった。 傷はたいした事ないと、趙雲は進んで戦の準備をしようとしたが劉備直々に止められ仕方なく大人しくしている。 「此度はゆっくり養生されるが良い」 戦に向かう前、孔明が趙雲の元を訪れて言ったのだった。 「後詰は関羽・張飛の両名に頼んである。それに此度は馬超殿もいる」 「申し訳ありません」 「何を謝るのですか?長坂では貴方の活躍があったからこそではありませんか」 張コウの鍵爪からを庇った後、趙雲自身は力尽きて気を失ってしまいどうなったのかまったく知らない。 張飛たちが駆けつけた時にはすべてが終わった後だったのだ。 だから、結局のところどう切り抜けたのかわからない。 「此度の戦、勝利を収めた後が大変ですよ。その時までに傷を治してください」 孔明はそう言って背を向け部屋を出て行こうとする。 だが、立ち止まりこうも言った。 「貴方でないと、彼女をどうすることも出来ないでしょう」 「諸葛亮殿、それはいったい…」 趙雲の問いに孔明は答えず行ってしまったのだった。 張飛たちに運び込まれてこの城に来た少し後には目が覚めた。 目が覚めた時、真っ先に趙雲のことを思い出した。 姜維が側にいたため、彼に安否を確かめた。 急いで趙雲の元へ行くが趙雲は目覚めていなかった。 張コウから受けた背中の傷が思ったより酷いらしく熱を出してしまったのだ。 が目覚めたと姜維から報告を受けた劉備がやってきた時、は劉備の顔を見ることが出来ず ただ、ひたすら泣いて謝った。 趙雲はこの劉備軍にとって必要な武将なのだ。 「良い、殿。趙雲なら大丈夫だ」 劉備は叱るどころか優しく宥めてくれた。 それが余計にの胸を苦しめたのだった。 劉備たちが赤壁に向かってから数日が経った。 趙雲の傷の具合も大分良くなり、ただ寝ているだけの日々に厭き始めていた。 寝台から起き、2、3肩を回してみる。 「寝ているだけというのも疲れるものだな…」 趙雲はそう言って掛けてあった薄手の衣を睡衣の上に羽織る。 少しくらいなら歩き回っても平気だろうと思い部屋を出た。 「あ!趙雲殿!何をしておいでですか!」 部屋を出た早々に孔明の弟子である姜維に見つかってしまった。 彼の手には沢山の竹簡がある。仕事の途中なのであろう。 「何って、少し散歩でもしようかと思って」 「寝てなくて平気なのですか?」 「あぁ、傷はふさがっているさ」 何に対しても一生懸命な少年軍師を趙雲は弟のように可愛がっていた。 「本当ですか?何かあってからじゃ遅いんですよ」 「信用ないな…大丈夫だ。ほんの少しだけだから」 「仕方ありませんね、でも!無理は駄目ですよ!無理は!」 まるで子どもに言い聞かせるかの言動に趙雲は苦笑してしまう。 「…はぁ…も大人しくしてくれないし…」 ため息をつきながら、ボソッと呟く姜維。 「殿がどうかしたのか?」 「えっ…あ…別にどうかしたってわけじゃ…」 さっきとは違って歯切れの悪い姜維を怪訝に思う趙雲。 そう言えば、目覚めてからも一度もの顔を見てない。 多くの仲間が見舞いに来てくれたのに、だけは姿を現さなかったのだ。 「殿もどこか怪我をされていたのか?」 「いえ、違います」 「だったら、なんだ?」 「あの…それは…」 ふと趙雲の脳裏に孔明の言葉が蘇った。 『貴方でないと、彼女をどうすることも出来ないでしょう』 孔明の言葉と姜維の態度に趙雲は不安になった。 の身に何か起こっているのではないだろうか? 「姜維、何があったんだ?頼む、教えてくれ」 「趙雲殿…殿は何処も怪我もなさっていませんよ。ただ、ずっと働きづめで…」 「働きづめ?」 「こちらです」 姜維は趙雲をがいると思われる場所に案内した。 そこには劉備軍と共にこの夏口へやってきた民たちがいた。 炊き出しなど、それぞれがいろいろ動き回っている。 その中にやはり一緒になって働いているの姿があった。 「殿は毎日炊事、洗濯等を皆と共にやっているのですよ」 「それは、別にたいしたことじゃないだろ?」 「そうなのですが…ここ数日寝てないようで心配なんです。食事もあまりとっていない様だし」 「そうか…」 ずっと働き続けるを見て姜維も、彼だけでなく劉備や孔明も皆が彼女を心配していたのだ。 「姜ちゃん!…あ…」 が姜維の姿を見つけ笑いかけた。 だが、その隣にいた趙雲の姿を見て一瞬目を曇らせた。 「趙雲さん、起きて平気なんですか?」 「えぇ、寝ていてばかりでは体が鈍ってしまうので」 そう言って趙雲はに笑いかける。 「姜ちゃん、こんなところにいてのいいの?孔明先生に頼まれたお仕事いっぱいあるんでしょ?」 「あ、そうだった…それより、ちゃんと寝ているかい?」 「…寝てるよ」 「嘘だね。皆の手伝いをしてくれるのはいいけど、無理して倒れたりしたら皆の迷惑になるからね」 「わかってるよ…」 なんとなく、二人の会話に入れない趙雲。 しかたなく最初の予定で通り散歩でもしようかと二人の側を離れた。 「あ!趙雲殿!どこにいかれるのですか!」 「散歩をするって言っただろ?」 「もう十分歩きましたよね?部屋に戻って寝てください」 姜維にそう言われ困ってしまう。 十分歩いたと言っても距離にすれば短いもので散歩の域には入らないだろう。 「じゃあ、部屋に戻るから」 趙雲はとりあえずそう言っておけばいいと思って答える。 しかし姜維にはそんなことがお見通しのようで 「では、殿。趙雲殿を部屋まで連れて行ってください」 「「え!」」 「私はまだ仕事があるのでお願いしますよ?」 姜維はにっこり笑ってその場を離れた。 その際に姜維はに耳打ちをした。 「逃げてばっかりじゃ駄目だよ」 姜維に言われるままに二人は部屋に戻った。 しかし趙雲自身は眠気などないので寝台に腰を掛ける程度にした。 「申し訳ありませんね、殿。もうここは良いですから…」 「ううん、ここにいます。私が出て行ったら趙雲さん、散歩しようとするでしょう?」 「まいったな…」 実はその通りで部屋にいてもすることがないし少しでも身体を動かしたいと思っているので が部屋を出た後、こっそり抜け出して散歩の続きでもと思っていたのだ。 「やっぱり、そうみたいですね」 「はは」 もつられて笑うが、すぐに真顔になって趙雲の側による。 「趙雲さん…背中痛いですか?」 「大丈夫ですよ。傷もふさがりましたし。けど、殿には怖い目に合わせてしまって」 「違います!私はいいんです。私は趙雲さんに守られて傷一つなくて…。 趙雲さんは劉備様の大切な部下なのに。 私なんかの所為で怪我して、危うく敵軍に連れて行かれるところだったんですよ?」 ぎゅっと拳を握り締める。 「私なんかの所為で…趙雲さんが、し、死んでしまったらって思ったら」 「そう御自分を攻めるのは良くないですよ?『私なんか』というのは違いますよ」 趙雲は自分の目の前で泣きそうになるのを、必死で我慢しながら立っているの手を引いて隣に座らせた。 「私は貴女を守りたいと思ったからしたまでのことです。あの場にいたのが私じゃなくても皆がそうしたと思いますよ」 「だったら、なおさらそんなの嫌です。甄姫さまの時みたいに…」 その名前を出した途端にの目から涙が溢れた。 「あんな別れ、もうしたくないんです。毎日不安で…眠れなくて…目を閉じたらみんな、居なくなってしまうって…」 「殿……私は本当に貴女を泣かせてばかりですね」 趙雲はそっとを抱きよせた。 「私なら平気です…ほら、ちゃんと生きています」 「趙雲さん…」 「約束しましょう。私は決して貴女を置いて死にはしない。黙っていなくなりもしません」 はその言葉を聴いて目を閉じた。 「趙雲さんの心音…心地良いなぁ…約束ですよ?急にいなくならないでくださいね…」 「はい、約束です」 「あと!やっぱり私の為に無茶をするのは駄目ですからね」 「…それは」 「駄目です…や、約、束です………」 「殿?」 趙雲の腕の中ではすやすやと寝息を立てていた。 姜維がはここ数日寝ていないと言っていた。 ずっと一生懸命働いていたので疲れも出たのであろう。 趙雲はしばらくをそのまま寝かしておくことにするのだった。 (しかし…姜ちゃん、とずいぶん仲がいいんだな…) などと姜維に対して小さな嫉妬が芽生えた趙雲だった。 *** 赤壁の戦いは、連合軍の勝利であった。 その後は孔明と呉の軍師周瑜との間で、様々なやり取りが繰り広げられたが にはあまり関係のないことだった。 政治や軍事に関してはの出る幕はないわけだし。 そして劉備の元に益州からの使者が訪れる。 周辺勢力の侵攻を恐れた劉璋が、同族である劉備を頼り加勢を求めてきたのである。 「私に同族の劉璋殿を攻めろと、そう申すのか?」 「蜀を得る事は、天下三分の絶対条件でございます」 劉備は孔明に言われるも乗り気ではない。 できれば戦いたくないと言うのが本音である。 益州は豊かな地だったが、惰弱な君主・劉璋に不安を抱くものが多かった。 そして劉備陣営でも、益州を取るべし、との声が高まったのだ。 「しかし、それでは仁の道に反するのではないか?」 弱気な劉備にホウ統が叱咤する。 「やらなきゃ、曹操にやられちまう。仁の戦にあらず、まして大義なぞない…それでも後の世のため、やらねばならんでしょう」 劉備は考え、ついに重い腰を上げたのだった… 元々戦に関してはのいる場所はない。 官渡でも赤壁でもそうだった。 唯一の例外は長坂での戦いだが、あれは逃げる途中に襲われたのだから仕方がない。 正直、もう戦などには関わりたくなかった。 今回も城で留守番……のはずだった。 (なんだろう…すごく嫌な感じがする…) 漠然とこみ上げてくる不安には思ってもみないことを劉備に頼んでいた。 「…ついてきたいだと?正気か、殿」 「はい、お願いします!理由は…うまく説明できないのですが…」 「そう申されても、戦場などに女、子どもを連れて行く気はないぞ」 には甘いと言う劉備でもこれに関しては反対のようだ。 劉備の側にいた関羽も張飛も、他の武将も皆同じ気持ちだ。 「〜危険な場所だってことぐらい、おめぇにだってわかるだろ? 長坂の時は趙雲がいたから良かったけどよ。あの時とは状況が違うぜ」 「わかってる、わかってるけど…なんて言えばいいのかな…」 初めて皆を戦に送り出した時の不安とは違う。 その違う何かがの中にあったが、上手く説明できない。 「とにかく、殿には城で待っていて欲しい。戦についてくるなど私は許さんぞ」 劉備がいつになくキツイ口調で言った。 劉備に言われてしまってはが何を言っても無理である。 自身も諦め掛けたとき、孔明が意外にの申し出を受け入れてくれた。 「良いではないですか、殿には何か思うことがあるのでしょう。連れて行きましょう、殿」 孔明の言葉に一同どよめいた。 「な、何を申されるか諸葛亮殿、を連れて行くなど、もってのほかだ」 関羽は娘のように可愛がっているを連れて行くものかと異を唱える。 「そうだぜ、軍師さんよ。こればっかりは…」 張飛も他の武将も頷く。 趙雲も声には出さないがを戦場に出すなどしたくない。 しかし、孔明は淡々と答える。 「皆さん反対のようですね……では、殿、私が連れて行って上げましょう」 「な!諸葛亮殿!」 「孔明先生…」 「責任は私が取りますよ。では殿、出発の準備をしましょうか?」 孔明はそう言ってを連れて行ってしまう。 残された劉備たちは唖然としてしまう。 だが、趙雲は急いで二人の後を追いかけた。 「兄者…いいのか?」 「…良い訳あるか!それがしは反対だ!兄者、早く諸葛亮殿を止めましょう」 関羽は劉備に言うが、当の劉備は 「いや、ここは孔明に任すことにする」 「兄者!」 「戦の準備を進めよ!」 劉備はそう言って皆を解散させた。 「諸葛亮殿!」 「どうかしましたか?」 を連れて歩く孔明に趙雲は呼び止めた。 「本気なのですか?殿を連れて行くなど」 趙雲はの身を案じているようで真剣な目で孔明を見る。 「本人が行きたいと申しています」 「だからと言って!」 孔明に今にも食って掛かりそうな趙雲には孔明の後ろに隠れる。 「心配ですか?」 「当たり前です!」 「心配なら貴方が彼女を守ってあげればいいのでは?」 「それとこれとは話が違う!」 趙雲は淡々と言う孔明の態度に思わず殴りかかろうとした。 「趙雲さん!」 「よせ!」 カッとなった趙雲を止めたのは馬超であった。 「馬超殿……」 「アンタが熱くなってどうする?軍師殿には考えがあるんだろ、好きにさせとけよ」 「そう言うことですよ。では行きましょう。殿」 「え…はい…」 孔明は再びを連れて行ってしまった。 理由を上手く説明できなかったは趙雲に申し訳なさそうに頭を下げたのだった。 「本当に中心になっているな、アンタ」 「………」 馬超が話すも趙雲は答えない。 馬超はため息を吐くが、すぐに趙雲の背中を一発強く叩いた。 「っ!何を!」 「ぐだぐだ考えてないで、守ってやれよ」 「馬超殿…」 馬超の励ましに趙雲は笑って答えた。 「言われるまでもない、殿は守って見せます」 孔明がを連れて行こうと考えたのはただ一つ。 長坂でのことだ。 張飛たちが趙雲との元へ駆けつけた時、二人は気を失っていた。 二人の周りには倒れている敵兵士の姿。 それはきっと趙雲が倒したのだろうと、張飛などは思ったらしく深く追求されることはなかった。 だが、一瞬だが孔明の目には、光り輝く『何か』が見えたのだ。 最初に劉備にを紹介されたとき、 『風とともに現れた不思議な子だ』などと冗談めいたことを言われた。 その時は気には留めなかったが、長坂で見た光を見て以来、がいる意味を考えるようになった。 (きっと何かがわかるはずでしょう…) (そして、これはこの国にとって重要なものに違いない…) 孔明はそう思うのだった。 の中の不安は成都に近づくにつれて大きくなっていった。 (なんだろう、これ…すごく気持ち悪い…) 今回、成都へは劉備、趙雲、ホウ統、張飛、孔明が軍を引いていた。 張飛は劉備の側で中央に陣を敷き、趙雲は孔明とその東側。 ホウ統は西側に陣を敷いた。 は趙雲の陣営に、趙雲と孔明の側にいた。 目の前に成都があると言うのに、深い森に囲まれ武将たちにも不安が出てきた。 「なんだ?…妙にザワついているな…」 「えぇ…いけませんね、この雰囲気は」 趙雲も孔明も危惧の念を抱くようになっている。 すると、遠くから兵士たちの喊声が上がる。 「どうやら始まったようですね」 「殿、決して我々から離れては…殿!」 趙雲が孔明の後ろにいるに声を掛けるが、その姿はない。 「殿!」 趙雲は馬を走らせようとするが、前方からやってくる敵に動くことができなかった。 「彼女は大丈夫です。それより貴方は兵を進めなくては」 「くっ、全軍行くぞ!」 何が大丈夫なのか趙雲にはわからないが、一軍を任されている以上、放っておくことはできない。 趙雲の顔は戦場での武将の顔となって行った。 (殿、無事でいてください) この綿竹の森は決して狭くはない。 広く深い森だ。 通常なら迷ってしまうようなところなのに、は知らず知らずのうちに劉備のいる本陣を抜けホウ統がいる西側の陣営へ来てしまっていた。 (こっちだ…だんだん気が重くなる…) 自身に何が起こっているのであろう。 ただ進むだけなのだった。 02/12/11UP
11/10/30加筆修正再UP
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