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お見舞い。
暦の上では秋になろうとしているのだが、体に感じるのは夏の暑さ。 まだまだ夏は終わらないようだ。と額から噴き出る汗を拭いながら思った。 だけど、なんだかいつもと違う。 何が違うのだろうか? 自分は、いつもと変わりない生活をしていると言うのに…。 「」 氏康に呼ばれた。 彼の昼餉が終わった頃だ。 御膳を片づけていたは振り返る。 「なんですか?お館様」 「ちと用事を頼まれてくれねぇか?」 「俺に…ですか?」 「あぁ。お前にだ」 氏康には沢山の配下がいると言うのに、ただの料理番の自分に何を頼もうと言うのだろうか? 物事を頼むならば、自分よりも風魔の小太郎にでも頼んだ方が早いだろうに。 「成田の倅が風邪をひいて寝込んでいるんだと」 「………あぁ…」 が納得したように頷いた。 「なんだ?」 「いえ…最近なんか静かだなと思っていたんで、甲斐の姿を見なかったからかと」 甲斐が聞けば「あたしはそんなに騒いじゃいないわよ!」と反論されそうだが、その反論もやっぱり煩いと思ってしまった。 「とにかく。俺がお前に頼みてえ用事ってのはそれだ」 「?」 「成田の倅に見舞いを持っていって欲しいんだ」 「見舞い…」 部下の健康を気遣ういい上司だなと思うが、だったら自分で見舞えばいいんじゃないだろうか? 正直、なんで俺が?とは面倒くさそうに考えた。 甲斐だって、自分よりも氏康が見舞った方が嬉しいだろうに。 「あ?俺は忙しいんだよ」 まだ返事もしていないのに、表情だけで読み取られてしまったのか? 「いいから、こいつを渡してきてくれ」 「はあ…」 文のようなものを氏康から渡されてしまった。 受け取った以上は氏康の使いとして行かねばならないだろう。 しかし、思う。 この程度のこと。自分ではなく小太郎に頼めば一瞬で済んでしまいそうなのに。 小太郎は小太郎で忙しいのだろうか? それは仕方ない。 ただの料理番と比べてはならぬほど、小太郎は多忙なのだろう。 「じゃあ頼んだぜ」 そう言い立ち上がる氏康。 「お館様、どちらへ?」 「海だ。ちょっと釣りに行ってくる」 「………」 思いっきり暇じゃないかと突っ込みたくなるが、氏康は釣りに忙しいのだろうと思う事にした。 *** 「はあ〜だるう〜」 甲斐は布団でごろごろしていた。 数日前に熱をだし、風邪だと診断されて。 今は夏だから、多少の熱があっても仕方ないように見えたが、熱が下がり始めると今度は咳き込み始めた。 普段病気とは無縁と言っていいほどだから、療養生活が苦痛で仕方ない。 だけど、動き回るほど元気でもない。 「あいつも呆れているんでしょうね…」 あいつ。 。 戦でも氏康専属の料理番として着いてくるため、長期で離ればなれになることはまずない。 だから数日とはいえ、顔を合わせないのは初めてだ。 「の作ったお菓子が食べたいなぁ…」 ほぼ日課のようになっていた事。 それが止まってしまったことで、出た思わぬ呟き。 「姫様。お客様でございます」 「ひぃ!」 障子の向こう側から聞こえた声に、思わず悲鳴が出た。 だらだらしつつ、ぼんやりとした呟きを聞かれたと思って。 「ちょ、ちょっと待って!お、お客って何!?」 自分は一応病人だ。 お客だと言われても外に出るのも、人と会うのもどうかと思う。 「氏康様の使いの者だと。氏康様からのお見舞いだそうです」 「お館様の…」 不覚にも感動してしまった。 普段成田の倅だとか、坊主だとか女扱いしない氏康が、自分を気遣って見舞いをくれるなんて。 「い、いいわ。通してちょうだい」 体をお越し素早く身なりを整える。 布団の上だから起き上がった状態で十分だろう。 普通ならば門前でのやり取りで十分なのだが、氏康からの使いとなれば別だ。 自分の手で氏康からの見舞いを受け取りたい。 「どうぞ、こちらです」 「あ。ども」 女中が客人を甲斐の室前に通した。 障子が開き、やって来た人物を見て甲斐は唖然とした。 「な、なんであんたが!!?」 思わず人差し指で指して声を出してしまった。 「……お館様に頼まれたから」 「そ、そう…」 使いの者と聞いてもっと堅苦しい重臣などを想像したが、そう言えばそうだ。 使いっパシリにできそうな、お手軽な人物がいたのだ。 だが、まさかがやって来るとは思わなかった。 「あぁ、風邪だってな。大丈夫なのか?」 「な、なんとか。熱は下がったし、少しまだ咳き込むけど、ちょっと体がだるいくらいで…」 は室内を物珍しそうに見ている。 「な、なによ。乙女の室をじろじろ見ないでよ」 「乙女ね…まぁ、思っていたより普通でびっくりした」 先程の女中がに茶を出した。は促されるままに座る。 「普通って何よ」 「ん?もっと漢らしい室かと思っていたから、鎧兜とか、甲冑とか飾ってあるような。掛け軸もさ、男気!みたいな言葉が書いてあるようなものかと」 相変わらず失礼な奴だ。 「あ。そうだ。見舞い。お館様に渡された奴」 は懐から文を取り出し、甲斐に手渡す。 「ついでに、これもやるよ」 竹籠に入ったものも付け加えて。 「え?」 「心太。これなら食が細くても食えるかと思ってさ」 「が作ったもの!?」 「いや、そこで買ってきた」 「なによ、それ〜」 がっかりした。 いや、待て。なぜ自分はそこまで落ち込む。 まぁ…ほんの少し前まで、の手作り菓子が食べたいと思っていたから。 思わぬところでそれが食べられると思ったからだ、きっと。 「作ってくれればいいのに」 「そんな暇ねえよ。俺、お前が風邪ひいて寝込んでいたの知らなかったし」 「は?」 「やけに城内が静かなと思っていたら、甲斐が風邪だって聞いて納得した」 甲斐は拳を握る。 あたしはそんなに騒がしい奴なのかと。 「まぁいいわ。あんたってどうせそう言う奴よ…」 それよりも氏康からの見舞いだ。 何が贈られているのか気になる。 「だけど、文のようなって…」 開けてみれば、やはり文で。 は出された茶をのんびり啜っている。 「……お、お館様…」 氏康からの文を読み、無性に恥ずかしくなった。 「なに?どうした?」 「え…えと…」 「熱がまた上がったのか?顔赤いぞ」 「大丈夫!大丈夫!!」 甲斐はかぶりを振る。 「あれか?お館様からの文が感動するような内容だったのか?」 「そ、そうね。感動ものよね…まったくお館様ったら似合わない事しちゃって〜」 感動と言うより、照れだ。 いそいそと文を閉じ布団の下に隠す甲斐。 「あ。心太食べようかな。折角が持ってきてくれたんだから」 変じゃないだろうか?今の自分は。 少々焦るも、いつも通りと自分で念を押す。 女中にすぐ食べられるように用意してもらう。 夜着姿ではあるが、今から着替えるのも変だし。とりあえず布団から出て縁側に腰掛けた。 「心太ってのがあんたらしいって言えばらしいわよね」 「そうか?毎日暑いし食べやすいものの方がいいかと思ったからさ」 「でも、できれば甘いものとかの方が嬉しいわけで」 くずきりとか、水ようかんとか食べやすいものは他にもあるだろう。 「太るぞ。運動できない時に、甘いものばっか食っていたら」 「…その一言が余計なのよ」 甲斐は唇を尖らせる。 でも、いい調子だ。普通だ、普通にしていられる。 用意してもらった心太を一口食べる甲斐。 酢醤油がさっぱりしていて、甘味とは違った意味でするする食べられる。 「俺さ。それが悪いとは言わないけど、黒蜜で心太食うの嫌なんだよな…」 「そうなの?美味しいじゃない」 「いや、なんかダメ。ガキの頃から酢醤油だったら。なんか先入観みたいのがあるのだろうな。 同じ理由で塩大福も好きじゃない…なんでわざわざ餡子に塩入れるんだ?って気がしてな」 「お子様ー」 「うるせー」 そっぽを向くに甲斐はくすくすと笑う。 「ま…確かにいいお見舞い品よね…」 「あ?」 「なんでもない」 調子よく心太を食べる甲斐。 氏康の見舞い品だと言う文には、甲斐を気遣う文面ではあったが、短文で、しかも簡潔に。 ---いい見舞い品を坊主に贈った。 それで少しは元気になるだろ? 数日とはいえ、と会えないと寂しがっていると思ってな。 とあった。 何が? 誰が? 疑問が頭に浮かぶも、一人寝込んでいる時寂しさがあったのは本当で。 の作った菓子が食べたいなぁと思ったのも本当だ。 それで、今も、他愛のない話をして楽しんでいる自分がいるのも本当だ。 (だけど…お館様は勘違いをなさっているのよ…別に、あたしは、こいつの事なんて…) 「何がいい?」 「え?」 顔を上げる甲斐。 が話を聞いていなかったのか?と眉を顰めている。 「な、何が?」 「甲斐が全快したら、好きなもん食わせてやるって言ったんだよ」 乙女向きでもなんでも。とは言った。 ちょっとした気遣いかもしれない。 だけど、嬉しさが湧いて、頬が緩む。 「本当に?本当になんでもいいの〜?」 「無茶振りはやめろよ?竹取物語みたいな」 「しないわよ。あれは最初から無理難題をふっかけて相手を諦めさせようとしているだけじゃない。 せっかくが言ってくれているのに、無理な事言ってダメにされたくないもの」 「ならいいけど」 なんだろう。 何がいいんだろう? 今単純に思いつくのは、この前食べさせてくれたあんぱんなるものもいいし。 揚げた芋も美味しかった。 いつだったか、食べたまよねーずもいい。 でも、基本。 「あんたが作ったものならなんでもいいわよ。あたし、どれも美味しいって思ったから」 「そ、そうか…」 珍しくが照れたように見えた。 「じゃあ…甲斐が喜びそうなものを考えておくよ」 「うん。約束だからね、」 「ああ」 買ってきてくれた心太も美味しかったが、今度食べるだろうの手作り品はきっともっと美味しいに違いない。 本当、早く風邪を治して食べたいものだ。 「復活ー!やっぱり健康が一番よね!」 翌日、ものの見事に復活した甲斐。 約束を果たしてもらおうとに会いに行こうと台所に向かった。 だけど、の姿はない。 「あり?」 「おう。坊主。元気になったか」 「お館様!はい、もう元気ですよ、あたし」 氏康が通りかかった。 氏康に見舞いの礼を言うと、彼は豪快に笑う。 「ところで、お館様。がどこにいるのか知りませんか?捜しているんですけど、姿が見えなくて」 氏康は喉の奥で笑った。 「お館様?」 「あいつ、昨日ぶっ倒れたぞ。風邪だとさ」 「ええ!!?」 「見舞いに行ってまさか菌を貰ってくるとはな。災難としかいいようがねえな…それとも、坊主が何かしたのか?」 「してませんよ!ただ心太を食べただけで、少し話をしたぐらいで…」 「ま。坊主を寝込ませるほどの風邪だ、にとっちゃ重病かもな」 「あ、あたしの所為なんですか!!って、ひどくないですか、その言い方!!」 「ま。とにかく、しばらく出てこねえよ。あいつは」 氏康は笑いながら行ってしまう。 「うそぉ〜」 肩を落とす甲斐。 しばらく、甲斐の見舞いに行ったが、甲斐に襲われて寝込んだなどとの噂が立ってしまうのだった。 19/12/31再UP |