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ほのかに。
この所、ずっと引っかかっていることが甲斐姫にはあった。 「………坊主。あいつは根なし草だ。今のうちになんとか根を張らしてやれ」 それは氏康が言った言葉。 氏康が、に対して感じていることらしい。 彼の出自は謎だ。 ある日ふと、氏康の料理番としてそこにいた。 存在感があるようでなくて、ないようであって。 人から好かれているような感じはしつつも、本人はどこかで線を引いている。 甲斐姫に対しては遠慮がないようで、ズバズバ言ってくるものの…。 たまにどこかで言葉を濁され曖昧にかわされる。 「俺はな、あいつに根を張らせてやりてぇんだ」 彼の事を知っているのは氏康のみらしい。 氏康が言う意味が甲斐姫はほんの少ししか、自分なりにしか解釈できない。 だけど、甲斐姫なりに考えた結果。 「あたしがめいっぱい、水をあげるわよ」 余計なお世話だろうが、面倒を見ると決めたのだ。 「東国一の美女?………誰が?」 「あたし」 は憐れむような目で甲斐姫を見た。 わかってはいるがその反応に甲斐姫は拳を震わせる。 「信じてないようだけど、そう言われているのは事実だもの」 「自分で言うか?普通…」 呆れたとが呟く。 「う、煩いわね。言いだしっぺはあたしじゃないもの!」 「そうだったら単に自己主張の激しい奴か、自意識過剰だ」 今は休憩中のようだ。 甲斐姫は彼を見かけて話しかけた。 内容は、周辺国で言われている甲斐姫の事だ。 「戦国一の美女がお市の方だってのは聞いたことはあるけどな」 「らしいわね。彼女の子供もそうらしいし」 「それに並んで東国一の美女って…すげーなー噂って」 「噂言うな!」 「普段の甲斐を見ていると噂って思うだろ?」 「あんたや周りが普段あたしを怒らせるような事を言うからでしょ!」 美女とは程遠いような印象を持たれているから。 「怒った顔も素敵だね。…ぐらい言えないわけ?」 「………なんで、そんな事俺が言うわけ?」 「ま、まぁ…そうなんだけど…お世辞ぐらい言えないの?って話」 「お世辞で喜んでも仕方なくね?本当にそう思うのならば、素直に言葉に出るだろ」 嘆息しつつ、は背にした木の幹に体を預ける。 「誰か言ってくれる奴いねぇの?甲斐は」 「ぐっ…ち、近くにはいないわね…け、けど…これでも美女って言われているんだから、そのうち現れるんじゃないかしら?」 「ふーん」 興味ありません。 信じていません。 そんな風に見えるの態度。 「現れるねぇ…あぁ、そういや、甲斐は………」 空を見上げつつ、呟く。 だけど、言葉は途切れる。 「あたしがなによ?」 「………何を言おうとしたか忘れた」 「はぁ?」 両手を腰にやり、甲斐姫は首を傾げる。 「大したことじゃないんだ。気にするな」 「………」 これはあれだ。 また何かをはぐらかされたようだ。 少しずつではあるが、の事を甲斐姫なりにわかってきていると思っている。 それに、彼は甲斐姫だけにはそれなりに話をしてくれる方だから。 何かと気づくこともできるのだ。 残念ながらそれ以上にわかっているのは氏康なのだが…。 「ま。そこまで言うなら、そのうち権力者の目にでも止まるんじゃねぇの?」 「あたしの美貌に?そうねぇ。それもいいわね、それであたしが裏で牛耳るのもいいわね!」 「女が政に口出すと国が傾くぞ?」 「まさに傾城の美女ね!」 「甲斐が?…ははっ」 が珍しく、声に出して笑った。 笑われるのは嫌だが、普段表情をあまり変えない人だから、不覚にも息が止まりそうになった。 甲斐姫はそれを悟られまいと、慌てて話の続きに集中する。 「そ、そうよ!あたしが天下を取るかもしれないわね」 「傾城じゃ意味なくね?天下取っても傾かせるんじゃ」 「そう?あーでもこの場合、あたしはお館様を振り向かせればいいのかしら?」 一応この国は氏康のものだ。 「どうだかな…お館様は甲斐じゃ無理だろ…かみさん一筋だから」 「そうなのよね〜」 だらしなく両腕をおろし左右に振る甲斐姫。 「それに北条家が天下統一するとは限らねぇだろ?お館様、そう言うの、乗り気じゃねぇし」 「……まぁね…」 「だとしたら、豊臣秀吉が一番近いか。秀吉に迫ってみれば?」 数える程度見かけたことのある、男を思い浮かべる甲斐姫。 申し訳ないが、好みではない。 金はありそうなのだが。 「えー何よそれ」 「お前、今、顔で選んだだろ?」 「え、選んでないわよ…そ、そうね、あたしの美貌なら秀吉も悩殺されるかもね!そしたら、を秀吉とか、あたしの料理番専属にしてあげてもいいわね」 「………」 「秀吉に限らず、そのうちあたしの周りには求婚してくるようないい男が現れるだろうし!」 少し調子に乗っただろうか? そんな風に焦りもあったが、は静かに目線を甲斐姫からそらした。 「そう言う日…来るだろうな、きっと…」 「え?」 「甲斐が誰かに嫁ぐとか、天下が誰かに統一されるとかさ…」 寂しそう。 一言で表すならばそれ。 「あ、あたしは別に、今すぐとかって…」 寂しそうなのはじゃなく、自分。甲斐姫かもしれない。 「甲斐の申し出。悪いけどお断りだ」 「な、なに?」 「俺はお館様だから、ここにいるんだ。他の誰かが天下を取ってそいつに仕えろって言われても俺はその気はないからな…」 「?」 「お館様がいなくなったら、俺もそのうちどっかに行くだろうし」 なんかすぐにでもいなくなるような。 もうその未来が決まっているような。 「あいつは根なし草だ」 氏康の言葉が強く突き刺さった。 「あ、あたしは」 「殿。そろそろ夕餉の仕込みを始めるぞ」 は同じ料理番に呼ばれ立ち上がる。 「うっす。じゃあな、甲斐」 「う、うん…」 何事もなく、いつも通りの顔で行ってしまう。 残された甲斐姫は消化不良の想いが湧いてしまう。 「あたしじゃ……」 無理なのか? 彼に根を張らせてあげることは。 無理だと、変えてあげられない自分に悔しく感じる。 そもそも、なんで自分がここまで考えなくてはならないのだろうか? 氏康は甲斐姫が寂しい思いをすると言っていた。 「そんな事、ないもの…別に…」 そこまで義理立てするようなことでもない。 ないけど…。 「放っておけない…気がする…」 保護欲に駆られたか? 拾った熊と同じか? いや、あの子とはどこか違う。 あの子の方がまだ一人で生きていくことができるだろう。 「あしたが放っておけないのよ…あいつの事…」 に言えば、きっと「余計なお世話」と突き放されるだろう。 「それでも…放っておけないのよ…」 *** 「最近どうだ?」 「はい?何がっすか?」 氏康が魚釣りに行くと言いだし、はそれに無理やり付き合わされた。 釣った魚をその場で調理しろ。 みたいな形で。 二人並んで海に糸を垂らして…。 「成田の倅がお前の事を気にしていたみてぇだからな」 「成田の倅って…甲斐のことですか?俺は別になんもしてないですけど」 「そうかい?お前…この前俺が叱ったこと忘れてはいねぇだろうな?」 倅で甲斐姫だと通じるのもどうかと思ったが。 「………」 叱られた内容に関してあまり思い出したくないし、氏康が何をどう言おうが。 氏康のいない北条家には興味がない。 あまりここで根付くのは嫌だ。 「もっと外を見ろ、ど阿呆」 ごつい手が伸びてきて、の頭を小突いた。 「子犬に懐かれんのは嫌じゃねぇが、いつまでも小せぇままでいるんじゃねぇよ。どでかく生きろ」 「子犬って…」 「遅かれ早かれ俺もいずれは死んじまう。そしたらお前はどうする?」 「外に行く。いい機会じゃないっすかね…」 元々そのつもりだ。 氏康のいない北条家に何も義理はない。 氏康が言うように、世間を見るのもいいものだ。 「面がそうは言ってねぇ」 今度は叩かれた。 「言っている事可笑しくないっすか?お館様…」 「ど阿呆。何か見据えて世ん中を見るならいい。だがお前は違うだろ。 今のお前にゃ何も目的も守るもんもねぇ。そのまま世ん中出てものたれ死ぬだけだ」 「流石にそこまで無気力でもないっすけど…」 「一つでいい。小さくてもいい。帰る場所を見つけろ」 「………」 帰る場所。 そんなものはとうに消えた。 あそこへ帰る方法がわからないし、こっちにもそう未練はない。 なるようになるとしか考えていなかった。 …まだ、今なら氏康の下ならば自分の唯一の帰る場所かもしれない。 「」 「はい?」 「お前。自分じゃ気付いていねぇだろうが、一ついい場所持っているじゃねぇか」 「……はい?」 「大事にしろよ。折角お前を見てくれているんだ。そこをお前の帰る場所にしてもいいだろうよ」 氏康の言う場所がどこかわからない。 わからないのに、の脳裏にはふくれっ面の甲斐姫が浮かんだ。 「………」 何も考えてはいないのに、無性に恥ずかしくなって頭を掻いた。 そんなを見て、氏康は静かに笑ったのをは気づかなかった。 「…東国一の美女ね…普通に猪姫の方が似合いだろ…」 「あ?猪がどうしたって?」 「なんでもないっす」 ここに甲斐姫がいれば、ムキになって反論するだろう。 けど、噂のようなしとやかな姫より、少し口うるさい元気な姫のようないいなと思ったとか思わなかったとか…。 19/12/31再UP |