人の噂は。



ドリーム小説
真田信之に嫁いで来たのは、徳川家康の重臣本多忠勝の娘稲。
わざわざ家康の養女となり信之に嫁いだのだから、徳川の本気度が窺える。
所謂政略結婚という奴なのだろうが、当の本人達は夫婦としてはとても良い形を気づいていた。
そんな中である噂をは耳にした。

「弟の幸村様は、兄嫁である稲姫様に懸想しているらしい」

と。
懸想。
思いをかけること。恋い慕うこと。と言う意味であり、幸村が密かに恋い慕っていると言う話なのだ。

「え。それって…信之さまの耳に入ったら不味いんじゃないですか?」

聞いたは唖然としたくらいだ。
唖然だけでなく、そうだったのかと少し切なくも感じた。
ただ、それを見透かされないようにして。

「どうなんでしょうね?ご本人にわざわざ言う者もいないとは思いますが…余計な火種を作るだけですからね」

噂を聞いたと言う女中は笑った。
古くから真田に仕えていた彼女は、その噂をあまり信じてはいないようで、笑い話としか思えないようだ。

「昔から信之様を慕っておりますから、そんな方を裏切るような真似など幸村様がするはずないですよ」

「まぁ、そうなのですが…」

誰よりも兄を慕い、尊敬している幸村。
真田の為にと尽くしている兄に対し、幸村が兄を裏切ることはないだろうとも思う。
思うし、わかるのだが。

(ユキさんの性格じゃ、黙って気持ちを隠して居そうだし…)

と言うか、噂の出所はどこなのだろうか?
結束力の高い真田家家中に置いてわざわざそのような事を言いふらす者がいるのだろうか?
だとすれば、兄弟の結束を潰そうとしている者なのだろうか?

(そうすると、信之さまの耳にもう入っていそうなんだけど…)

例え、信之が知ったとしても、逆に弟を思って身を引きそうにも思える。

(いや、それで引いちゃうのは問題だよね…)

周囲から見ても幸村が稲に対し懸想しているように見えているのだろうか?
自身はそんな風には見えなかった。
それよりも、信之と稲が夫婦として似合いだと思えたし、羨ましいなと言う気持ちが湧いたくらいだ。

(稲ちゃんにしてみれば、ユキさんは義弟なわけだし、慣れ親しんだ場所から嫁いで来た身としては不安もあるから、信之さまだけでなくユキさんも頼ることはあるだろうし…)

自身だって、稲を受け入れて少しでもその不安を拭えるようにしていたつもりだ。

(それにしても…ユキさんがねぇ…)

堅物とまではいかないが、幸村にもそう思える相手がいるのは普通だろう。
今まで武芸にしか興味がないような。兄のためにと尽くす姿しか見ていないにしてみれば、稲に懸想しているなどとは驚くばかりで。
だけど、稲が相手だからこそ。そう思うのもわかる気はする。

(私よりは話も合うだろうし…)

稲も戦場を駆ける人だ。
には興味がわかない、戦術戦略などを稲とは楽し気に話している。
自分よりは稲と居る方が楽しいだろうと思う。

(だけど…この噂。渦中の誰が聞いても関係にひびが入りそうで嫌だなぁ…)

仲が悪くなると言うより、互いに距離を置きそうな感じがする。
特に幸村辺りなどが知れば…。

(ユキさん…出家しちゃうんじゃないかな…)

少し考えてから洒落にならないとはため息を吐いた。



***



あれから、噂が広まると言うような感じはしない。
誰もがあまり信じていないのだろうか。
それにもし本当だとしても、わざわざ問題を起こすような真似はしたくないのだろう。
真田家にとって誰も得をしない。のかもしれない。

(真田と敵対関係のある大名家ならば、得はするだろうけど…今のところそんな所見当たらないないしなぁ)

あるとすれば徳川だろうか?
だが、それは下手をすれば信之との夫婦仲に亀裂が入る可能性がある。
それこそ誰も得などしないではないか。
考えるだけでも馬鹿馬鹿しいと思いつつも、どうしてもはあれこれ考えてしまう。

(ユキさんが想いを告げなかったとしても、万が一稲ちゃんがそれに気づいたらどうなるのかな…実は稲ちゃんもユキさんが〜って事になったら…ないない…それこそ…ないわぁ)

でも、とか。もしかして、とか。ないわけではないが。

(あ………やっぱり…そうなのかな…)

ふと目に入った光景。
庭で談笑している幸村と稲。
楽しそうに何かを話しているが、時折稲に何か言われて幸村が頬を赤くしている。

(ユキさん…あんなに優しく笑うんだ…)

噂は本当なのかもしれない。
それも仕方ないかと思うも、は胸に小さな痛みを感じてしまう。

(稲ちゃんに比べたら、私なんてなぁ…)

卑屈に考える事を普段はしないのに、急に自分で自分を卑下する事しか思いつかない。
そんな子だから、幸村は稲の方がいいのだろうとさえ考えてしまう。

殿。どうかされたのですか?」

「え?あ…」

さっきまで稲と喋っていたはずの幸村がの顔を覗き込んでいる。
急に我に返ったは内心焦りつつもなんでもないと返事をする。

「具合でも悪いのではないですか?」

「ううん。どこも悪くないよ」

なんでもないと否定する自分にまた胸が痛くなった。
幸村の前でいい子でいようとする自分が出て正直うんざりもする。

「そうでしょうか?なんだか…顔色が悪いように見えますが」

「悪くないって。ちょっと考え事をしていただけだよ」

考え事をしていたのは本当だから。

「考え事、ですか。どのような事ですか?」

「え!?あ、あ〜まぁ、ちょっとね」

あなたの事でした。などとは言えないだろう、は苦笑する。

「私には言えないようなことなのですか?」

(言えるわけないでしょうが…)

幸村に対しある噂があるのだよ。などとはとても。

「女の子ですからね。一応、これでも。秘密だよ、ユキさんにも」

女の子には色々悩みがあるのだとそれなりの理由をつけてみる。
それで幸村が納得するかはわからないが、それ以上切りこまれても困る。

「それは申し訳ない事をしました」

割とあっさり引いた幸村。
あっさりしすぎて拍子抜けのような気もするが。

「ですが、悩み事ならば、あまり考えすぎるのも良くないですから。誰かに相談できるならした方がいいと思いますよ」

「そうだね」

「私には無理でも、義姉上ならば話せるのではないですか?」

それもまた無理な話だ。
あなたの義弟があなたに懸想しているらしいですよ。なんて…。

「はは…そう、だね。稲ちゃんに、ね」

誰にでも言える事ではないのだ。

「………しんどい…」

殿?」

思わず呟いてしまい、は慌ててかぶりを振る。

「なんでもない!本当なんでもないから!!じゃ、じゃあね!!」

「あ!殿!」

は幸村から逃げるようにその場を去った。
今の呟きはマズイだろうと焦ってしまう。
あれでは余計に幸村に心配をかけてしまうではないか。

「……心配、してほしいのかな……」

ふと足を止め、ため息を吐いた。

「ズルい子だ、私は…」

自分でも何をどうしていいのか、わからなくなりそうだった。



***



。少し出かけないか?」

「信之さま?」

珍しく信之から城下へ行こうと誘われた。
いつもは幸村と出向くことが多かったから、珍しいなと思いつつ。
折角信之が誘ってくれたのだからと了承した。

「何か探し物でもあるんですか?」

稲に対しての贈り物とか。

「特にないが、たまにはいいじゃないか」

「はぁ」

なんとも気の抜けた返事をしてまう。

。甘味茶屋がある。何か食べたくないか?」

「信之さまは食べたいんですよね?いいですよ、お付き合いしますよ」

「それは嬉しいな。よし、休憩していこう」

入った茶屋で甘味を注文した。
なんでもない時間で、特に何も考えずにいたので、気分は落ち着いている。
城にいると、嫌でも幸村と稲が目についてしまって、色んなことを考えすぎてしまうから。
ふと思った。
信之もそうなのだろうか?
あの噂が信之の耳に届いて、弟思いの信之は自分の身をひいてしまって…。

(考えすぎか、それは)

あり得そうと思いつつも、それはないなと笑ってしまう。
とりあえず、二人は天気も良い事から外の縁台で食べることにした。

「最近、の元気がないと幸村が心配してな」

「え…」

ふと口を開いた信之。

「幸村が何を聞いても、は自分を頼ってくれないと落ち込んでいるぞ」

「………」

内容が内容だけに、それは絶対無理な話なのだが。

「城に籠っているよりはいいかと思ってな…私にも話せないようなことか?」

信之も相談に乗ってくれる。という事なのだろう。

「………」

は食べる手を止める。
信之が家族を大事に思う気持ちは知っている。
だから、信之は幸村を心配し、の事も心配してくれているのだろう。
自分の事も家族だと認めてくれている事はにしてみればとても嬉しい事だ。

(だけど、こればっかりは信之さまにも言えないよ…)

は拳を強く握ってしまう。
それを見てか、信之はの頭を数回撫でた。

「信之さま?」

「まぁ…が何を悩んでいるのか、大方の検討はついている」

「え!?」

「噂だろう?幸村の」

信之は苦笑している。

「や、あの、信之さま、それ、は…」

誰だ、一体。信之の耳にあの噂を入れた者は。
自分が口にしたわけではないのに、は急に焦りだしてしまう。
その様子を信之は諌めるわけでもなく、寧ろ豪快に笑い飛ばした。

「噂だ。あれは。がそこまで気にする必要はない」

「噂、でも。な、なんで信之さまはそんなに余裕があるんですか?信之さまの方が色々…嫌じゃないですか?」

「普通はそうだろうな。それが噂でなかった場合、きっと私と幸村は今まで通りにはいかないだろう。他所には知られてはいけない恥ずべきものだと」

まして小大名とはいえ、お家騒動にも発展しそうなネタではある。

「だが、噂は噂。実際、幸村が稲に懸想していることはないからな」

はっきり言い切った信之を見ては呆気にとられた。
その自信はどこから来るのかと。
の表情から信之はそれを悟ったのか、の頭を今度はくしゃくしゃに撫でた。

「流石に理由は言えないな」

「な、なんでですか!?」

「さあ?何故だと思う?」

質問で切り返されては返事に詰まる。

「知りたいならば、幸村に直接聞いてみればいい。答えはすぐに出るさ」

「ユキさんにって…そんなの聞けるわけないですよ」

「いや、聞いてみないとはっきりしない事だからな。ほら、幸村がを心配して追いかけてきたぞ」

ちょうどその先で辺りをキョロキョロしている幸村が居た。

「ユキさん…」

殿!兄上!」

二人の姿を見た幸村が破顔し、駆け寄ってきた。

「なんだ、幸村。私がを連れだしたのが面白くないのか?」

「い、いえ!そうではなく」

「では、邪魔はしないでほしいな。お前は稲と仲良くやっていればいいではないか。仲間外れにされた者同士で、私はと楽しくやっているのだから」

「信之さま!?」

突然、直球を幸村にぶつける信之には瞠目してしまう。
噂は噂だと言ったばかりなのに、わざわざ嫌味のようなことを信之が言うなんて。
言われた幸村だって困るだろうに。

「別に義姉上とは普通です。義姉上には、その…いろいろご相談していたことがあっただけです」

「ほう」

「兄上こそ、義姉上を放っておくのはどうかと思われますが。殿の事は私にお任せくださればよいのです」

「稲がそう言ったのか?放置していると」

「言っていませんが…」

拗ねたような物言いをする幸村に、信之はただ笑うだけだ。
嫌味と言っても、からかっている。そんな風な雰囲気にだけ着いていけないでいる。

「仕方ない。幸村に邪魔をされるとは思わなかった。何か稲に土産をこしらえながら帰るとしよう」

信之は腰を上げ一人歩いていく。

「信之さま!」

も腰を上げようとするも、信之が一言告げた。

。先ほどの話。ちゃんと幸村に聞けばいい。そうすればすんなり解決するぞ」

と。
幸村はいつの間にかの隣に腰を下ろし、自身も甘味を注文していた。

「私に何を?」

幸村がに問う。

(聞けるわけないってのに!!?…あ〜でも…なんか信之さま余裕ありすぎでしょう…)

それとも言われた幸村は嫌味と思っていないのだろうか?

殿…あ、あの。できれば。兄上よりも、私を頼ってくださいませんか。あ、兄上に比べればまったく頼りにならないと思いますが…」

急に何を言いだすのかと思い、は幸村の顔をマジマジと見てしまった。
幸村はほんのりと頬を赤くし、ぎこちなくはあるが柔らかく笑っている。
これはいつぞや見た、稲に向けて笑っていた時と同じ顔だ。

「ユキさん…の、好きな人って稲ちゃんなの?」

「ええっ!?な、何を急に言われますか!!?」

「違うの?」

「違います!!」

赤くなった顔が急に青ざめたかのように変わってしまう幸村。

「だって、皆が噂していたよ。ユキさんは稲ちゃんに懸想しているって」

「ただの噂です。本当に…勘弁してください…」

幸村は珍しく項垂れ頭を抱えた。だが、すぐさま姿勢を正す。

「そのように噂されても仕方ないとは思いますが。私は義姉上にご相談していたことがあったので。それで勘違いされたのでしょう」

「ふーん」

「興味、ないですか?」

「だって、私。武芸とかわからないもん。稲ちゃんだったらそう言うの詳しいだろうけど」

「相談内容は、武芸ではなく、あなたのことなんですよ、殿」

「は?私!?」

の反応に幸村は苦笑する。

「その…私は色々、疎い部分があるので…まして、年頃の女子のことなどわからない事も多いので、義姉上に聞いてみただけで…それに殿がどこか元気がないのも気になっていましたし…」

「…………」

「義姉上にも言われました。自分に聞くよりも殿に直接聞いた方が良いと。でないと誤解されるだけだと…確かになんか、誤解されていたようなので…はは…」

ふと先ほどの信之の言葉を思い出した。

。先ほどの話。ちゃんと幸村に聞けばいい。そうすればすんなり解決するぞ」

ここまで考えれば、自分だって気づくわけで。

「似た者同士なのかな?私とユキさん」

「え?」

「あ〜って言うか、こういう場合、みんなそうなのかなぁ。聞くに聞けないよね。でも、聞けばあっさり答えが出ちゃうみたいだけど」

は笑う。

「私は、さっき聞いた通り。ユキさんが稲ちゃんを好きなのかな?って事であれこれ考えていたんだ。だって、もしそうならば信之さまと揉めるだろうし、お家騒動に発展したらとか。あと、ユキさんは人知れず出家しちゃうんじゃないかなぁとか」

「出家、ですか…」

「真面目なお坊さんになりそうだよね。ユキさんは」

「褒められているのでしょうか?それは…」

幸村が困惑気味に言うも、の左手をそっと握った。

「ですが…私はそれを良い方向に考えても良いのですよね?殿はずっと私の事で悩まれていたと」

「……そうだね。余計な事まで考えちゃった」

「結局、お互いがお互いの事を考えていただけなんですよね?私は殿の事を」

「私はユキさんの事を」

も手を握り返した。

「私は私で…あなたの慕う方が兄上だったらと…兄上が相手では私は敵いませんので」

「そうかなぁ?ユキさんも十分頼れるし、カッコイイよ?」

「あ、ありがとうございます」

「私は最初からユキさんしか見ていなかったからなぁ。ユキさんの好きな人が稲ちゃんならば、それも仕方ないって諦めていたし」

幸村がため息を吐いた。

「全然見てくれていないではないですか。私はあなたを慕っていたのですよ?」

「ユキさん天然だから〜」

「私の所為なのですか?」

は残していた団子をパクリと食べると幸村を引き上げるように立った。

殿?」

「ユキさん。まだ時間あるならどっか行こう。デートしよう」

「でえと?」

「そ。デート。好きな人と色んな所行くの。逢引ともいうかな…逢引だとちょっと引け目を感じる言葉になるか…」

逢引と聞いて幸村の顔が赤くなる。

「じ、時間はありますので…どこ行きましょうか」

「ユキさんとならばどこでもいいよ」

「私も殿とならばどこでも」

あの噂はきっとすぐにでも消えるだろう。
その代り新しい噂が広がるのかもしれない。
とりあえず、と幸村はしっかりと手を握りそのまま歩いていくのだった。





後日談になるのだが…あの噂話。
広めたのはどうやら信之だったらしい。

「は?信之さま、なんでそんな事をするわけ?」

「幸村との様子を見ていてじれったいと思ったからな。あと、中々面白いことになりそうだと」

ニコニコと笑顔を浮かべて言われてしまった。
噂が信之の広めた事ならば、彼が終始余裕だったのも頷ける。

「いや、それだけではないぞ。元々幸村がを好いていたのは知っていたからな。幸村は稲の事など目に入っていなかっただけだ」

だから、噂が広まっても危惧する事はなったらしい。







19/12/30再UP