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野良猫娘と飼い犬男の話。
「…ずっと願っていたことがようやく叶って、私は本当に嬉しいです…」 直虎は視線を庭へと巡らす。 暖かい日差しに目を細め、満足げに。 「直虎様…」 「私はね、さん。井伊家の将来を虎松とあなた二人に託すことができればと思っていたのです」 「………」 「近い将来、あなたが井伊家に嫁いでくれることが…」 「直虎様がそんな風に思っていてくれたなんて…私は直虎様に可愛がっていただけるだけでも嬉しかったです」 直虎のすぐそばに腰を下ろしていた。 は直虎の手を取る。 「以前も言いましたよ。私はさんのことも、虎松と同じ自分の子と思っていると」 「そうでしたね…」 「でも、これで思い残すことはないです」 「直虎様!」 直虎は咳き込む。 今、直虎は寝床で横になっていた。 弱弱しくに笑いかける姿に、そばにいる竹はそっと涙を拭った。 【30】 「義母上…」 室に入って来た直政は、寝ている直虎、手を取って泣きそうになっている。 そんな二人を見ていられないと顔を背けている竹を順々に見るとため息を吐いた。 「ただの風邪で何を言っているのですか…」 「直政ひどい!風邪だって大変なんだよ!!」 は直政に抗議する。 「そうだな。辛いだろうな…が、大袈裟なことはやめてもらいたい」 「ご、ごめんなさい。虎松、そんなつもりはないのですが、つい」 直政が言う通り、直虎は単純に風邪をひき寝ていただけだ。 まるで重い病にかかり、余命もわずかのような雰囲気であったが。 「竹。お前も一緒になって何をしているんだ」 「も、申し訳ございません。笑いを堪えるのに夢中で…」 竹は泣いていたのではなく、二人のやり取りに笑いを堪えていただけだった。 主人に対し失礼なことだが、重病人でないとわかっているからのことなのだろう。 「まったく、ダメすぎる…」 直政はの隣に腰を下ろした。 「。文が届いていた」 「文?私に?」 「あぁ。稲殿からだ」 「稲ちゃん!?」 直政から文を受けとるとは目を輝かせ、その場で読み始めた。 以前のような心配はかけてはいないが、ごく普通に文のやり取りは続けていた。 中々簡単には会いに行けないので仕方あるまい。 しばらくは嬉しさを抑えきれないような顔をしていただったが、急に顔を赤くしてしまう。 「どうした?稲殿に何かあったのか?」 「な、ない。ないよ、別に…稲ちゃんも変わらずって感じだけど」 思わず、稲からの文を後ろ手に隠す。 「そうは見えないのだが…」 「あ、あはは…はあ〜」 「本当どうかしたのですか?稲さんはなんと?」 稲がを困らせる事はないと思うのだが。 体を起こし、竹から茶を淹れて貰っている直虎は首を傾げた。 「えと…」 は3人からの視線に耐え切れず顔を背けてしまう。 「?」 「い、言わないとダメ?」 「言ってくれた方がいい」 「っ〜〜…」 は押し付けるように直政に文を渡した。 直政は不審に思いながらも文に目を通す。 「あはは。稲殿にしては珍しい」 「虎松?」 直政にしては珍しく笑っている。 「えと…稲ちゃんに、直政の許婚になれた報告をしたのですが…」 その返事を今回の文にしたためてくれたようだ。 「稲ちゃんが…そのぉ…」 直政は文を閉じ、に返す。 「俺としてはその通り、今夜からでも励んでも構わないぞ?」 「そう言う事平気で言わないでよ!!直政の馬鹿!!」 「そうか?別に恥ずかしがる間柄でもないだろうが」 「そうだとしても!!」 二人のやり取りに直虎はいい加減教えてくれとせがむ。 は口を閉ざし、直政はまだ笑っている。 「稲殿と。どちらが早く子を生すか…と言う話です」 「まぁ」 「稲姫様も嫁がれて、そろそろそう言う話が届いても可笑しくありませんものね」 竹は納得している。 稲は真田信之に嫁いだ。は最近ようやく直政の許婚になった。 許婚と言っても、すでに嫁いでいるようなものだ。 「それは、本当にどちらが早いですかね?」 「楽しみではありませんか」 直虎と竹はどっちが早いとか遅いとか関係なしに楽しみだと頷いている。 にしてみば、その手の話は恥ずかしいの一点なのだ。 それに自分にはまだ早いと言うような気持ちもある。 母親になる印象が湧かないのだ。 「…と言う事は、私と忠勝さんも同じですね!」 「義母上?」 「うふふ。私と忠勝さん。どちらの方が早くおじいちゃんとおばあちゃんとなるか。ですよ」 「そうでございますね」 「はぅ〜私もおばあちゃんと呼ばれるようになるのですね」 それではまだまだ臥せってなどいられない!と直虎は拳を握った。 単に風邪をひいているだけなのだが。 だが、そう思ってくれるのはありがたい。 直虎にはまだまだそばで見守っていてほしいから。 「楽しみです〜」 これで風邪の治りが早くなるのならば問題ないだろう。 「、出かけるのか?」 外に出ようとしていたを直政が呼び止めた。 「うん。ちょっと探し物があって」 「何か落としたのか?」 「その探し物じゃないよ」 「俺も行こう」 「え?」 直政は草履を履き、の隣に並んだ。 「いいの?」 「あぁ」 珍しく直政から一緒にと言ってくれたので断る理由はない。 二人は屋敷を出る。 「で?の探し物とはなんだ?」 「あのね。多恵ちゃんと竜吉さんへのお祝いの贈り物」 「ほぅ」 稲と離れてからできた二人の友人。 竜吉は多恵を通じてからなのだが、竜吉もを友人として迎えてくれる。 「二人の祝言。良かったよね。多恵ちゃんキレイだったなぁ」 「そうだな」 二人は先日祝言を挙げた。 本当ならば当日か、その前に祝いの品を贈るつもりだったが、中々これと言って決まらずにいた。 今日は日も良いし、何かいいものはないかと探しに出ようと思ったのだ。 「多恵ちゃんには本当良くしてもらったから、喜んでもらえるものを贈りたいんだ」 「そうか」 多恵が色々叱咤くれた。 直政への想いをちゃんと認めるきっかけをくれた。 それは竜吉も同じだ。 二人には本当感謝しきれない。 ただ、きっと二人にそれを言えば、感謝されるほどではないと言うだろう。 多恵ならば。 「友達だもの」 と笑いそうだ。 「多恵ちゃんもね。最初は竜吉さんに妹のような扱いをされていたんだって」 「は?」 「私が直政に妹みたいに思われているだろうなって話をした時に、多恵ちゃんがそう言ったの」 何を人様に言っているのだ、と直政は顔を顰める。 「けどね、多恵ちゃんはそれのどこが悪いの?って。今まではそうでもこれからはわからないでしょ?って…本当にそうだよね。直政に一人の女の子として見て貰えたし」 「お前なぁ」 「いいじゃん、本当の事だし。けど、だからこそ、多恵ちゃんに良い贈り物をしたいの」 「まぁそれは反対しないが…」 「何がいいかなぁ」 歩きながらあちこちへ視線を向ける。 「多恵殿にも同じことを言われそうだな」 「ん?同じ事って?」 「稲殿と同じ事だ」 「あ…」 が直政の許婚になったと報告をした時、多恵はとても喜んでくれた。 だけど、以前の様に会う時間は減ってしまった。 多恵自身の祝言の準備もあったし、忙しかった。 だからゆっくり話せそうになったころには。 「私とちゃんどっちが早く子に恵まれるかしらね」 とでも言いそうだなと直政は思ったようだ。 「それさぁ…井伊家のような武家が重要なのはわかるけど…そんなに期待されても困るんだけど」 「まぁ井伊家の跡継ぎとなるわけだしな」 「………」 まだ正式に嫁入りしたわけではない。 それに周囲は自分を井伊家の嫁と認めてくれるだろうか?それも心配だ。 顔を俯きかけかけた時、直政の手がの頭に触れた。 「毎度毎度、後ろ向きな事ばかり考えるな、お前は」 「直政…だって」 「周りの事などどうでもいい。俺が選んだのはなんだ」 「………」 「それに家康様に認めらて、誰が反対すると言うのだ」 それこそ、無礼過ぎる話だ。 「結局…直政はそこに行きつくよね。家康様が…って」 「それがどうかしたか?」 「別に。じゃあ家康様がダメって言えばこの話はダメだったのかなぁって思うわけで」 は顔を背ける。 若干頬を膨らまし気味に。 「何を拗ねているんだ。お前も聞いただろうが、俺は切腹覚悟で家康様に申し出たんだぞ」 もし、家康に反対されれば、話が終わりどころか、自身の命運も尽きたと言うのに。 「………」 「は誰の言葉ならば信じるのだ?俺のことが信用できぬと?」 「そ、そんな事言っていないよ!」 「ならばいい。ほら、結局多恵殿には何を贈るんだ?」 「あ〜そうだね…」 何をと言われても、良いものが見つからない。 「どうしようかなぁ」 「大丈夫だ。お前の気が済むまで俺も付き合う。時間はいくらでもあるんだ、焦るな」 「うん。そうする」 最初はお互い印象が悪かっただろう。 けど、気づけば惹かれていた。 今ではとても大事な存在になった。 「お姉ちゃん!!」 振り返れば、子供が二人駆け寄って来た。 「あれ?二人だけ?」 「違うよ、父上と一緒だよ」 「こら、待たぬか、二人とも……あぁ、直政に野良猫娘か」 康政が慌ててやってきた。 子供二人は康政の子だ。 3人で散歩をしていたのだが、子供がの姿を見つけて急に駆け出したそうだ。 「二人も散歩か何か?」 「まぁそんなようなものです」 「お姉ちゃん、今から父上にお菓子を買ってもらうんだ。お姉ちゃんも一緒に食べよう」 「そうしよう!お姉ちゃんも一緒に!」 いいでしょ?と子供らは康政に同意を求める。 康政は笑って。 「父は反対せぬが、直政はどうだろうなぁ?殿を盗られては井伊の赤鬼は黙っておらぬだろうし」 赤鬼と言われて、子供らはの後ろに隠れる。 「康政殿!俺は別に」 「いや、悪い。大丈夫だぞ、二人とも。この赤鬼は母上に逆らえぬのでな。悪さすれば母上が叱ってくれるぞ」 康政の言う母上は直虎ではなく、妻の静の事だろう。 「また余計な事を…」 「じゃあお姉ちゃん行こう?」 からかわれている直政を見ては笑う。 「うん。じゃあ行こうかな」 子供二人はの手を取り歩き出す。 「すまんな、直政。折角の所を邪魔して」 「別に邪魔だとは思っていないです。それにが喜んでいるのを見て悪い気はしません」 康政とゆっくりだが、達の後を歩く直政。 「殿が変わったとよく言うが、俺はお前も変わったと思うぞ、直政」 「そうでしょうか?」 「あぁ。しかも悪くない。この先も楽しみだと思える」 「それは…俺も色々とこの先が楽しみですよ」 どんな世になろうが、自分の隣にが居てさえくれれば。 困難すらも楽しめるだろうと直政は思うのだった。 18/09/09
19/12/30再UP
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