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井伊家家訓!
「ダメだ、ダメすぎる」 「………」 長身の男性が、小柄な女性を前に見下ろしている。 腕を組み、真っ直ぐな目を向けて。 それに対し、女性は男性からの視線を逸らすことなく見上げている。 口をへの字に結び、真っ向から。 「は、はうぅ〜」 そんな二人を少し離れた場所で見ているもう一人の女性。 「いつも、あなたはダメ出ししかしないんですよね」 「ダメ出し?それのどこが悪い。悪い所を悪いと言って何が悪いんだ」 険悪に近い雰囲気。 「お、落ち着いて、二人とも」 これ以上はダメだとばかりに女性が間に入ったが。 「義母上は黙っていてください」 「直虎ちゃん。これは私たちの問題だから」 間髪入れずに二人から拒否られた。。 「はぅ〜…」 女性はため息を吐き項垂れた。 「義母上に対してその呼び方はなんだ?いつも言っているだろう」 「直虎ちゃんが良いっていうんだから、別にいいでしょ」 あ。ヤバい。 問題点がすり替わった。 「いや、良くない。義母上は優しいから甘んじているだけだ。目上の方に対して失礼だ」 「失礼?私は親しみを込めて言っているのに」 「虎松。いいんですよ、私が良いと言っているんですから」 「義母上。ダメです、ダメすぎます。義母上はに甘すぎます」 「はぅ!」 ぴしゃりと言われて、思わず背筋を伸ばしてしまう女性。 (はぅぅ…なんで、この二人はいつもいつも…折角のいい婚姻だと思ったのになぁ…) きっと今まで以上に楽しい生活になるだろうと期待していたのに。 実際はあまり好ましくないものだった。 男性は井伊直政。 徳川家康に仕える者だ。 直政が義母上と呼ぶのはその名の通りで現井伊家当主直虎。 女性なのだが、井伊家に跡を継ぐ男子がいなかった為に、男名を与えられて当主となったのだ。 直虎は独身の為、従兄弟直親の子である直政(幼名虎松)を養子にし、養育していた。 直政に最近嫁いで来た娘。名をと言う。 は信濃の大名真田家から嫁いで来た。 同じ頃、その真田家の長男信之に徳川から本多忠勝の娘稲が嫁いだ。 真田家の居城上田を攻めた徳川だったが、見事にやられてしまった。 信之の戦ぶりを家康に認められ、稲を娶る事になった。 その同盟というか、繋がり強化の為か、真田家からぜひにとを差し出されたのだ。 直政は徳川の中では新参で外様扱いではあるが、家康からの抜擢を受けて才能、名声を絶賛されるほどでもある。 その直政にならばと家康は、との婚姻を薦めたのだ。 常日頃から徳川の為に!と思っている直政にすれば、家康からの申し出。 断る理由がないと受けたのだが、お互い正直すぎる性格なのか、割とどうでもいいことで衝突する日々となっていた。 「どっちが…直虎ちゃんに対して甘い癖に…」 「なんだと?」 の呟きが直政に届いたらしい。 直政の声が一段と低くなる。 「もう!二人ともいい加減にしなさい!井伊家家訓!無用な争いはしてはならない!」 これ以上雰囲気が悪くなっては困ると直虎が声を上げる。 「義母上…すみません」 「………」 直政は素直に直虎に詫びるも、は無反応。 というより、直政の素直な態度にどこか呆れているようだった。 「。お前も義母上に謝るんだ」 「…ごめんなさい…」 不本意と顔が言っているようなだが、直虎には頭を下げた。 「いいんですよ。あ、でも…喧嘩はあまり良くないですからね?」 ただ、直虎にしてみると。喧嘩をするだけまだマシだろうとは思おう。 互いに無関心になってしまう方がこの先怖いから。 「真田では相当我がままに育ってきたのだろうな…」 「はあ?」 「と、虎松。また〜」 「それで厄介払いでもされたのか。だとしたら、俺も相当…っ!?」 が直政の頬を叩いた。 「私は私の意思で嫁いで来たの!勝手な事を言わないで!!」 強く直政を睨みつけるも、すぐに目は逸らされは去ってしまった。 「虎松!今のは虎松が悪いです!!さんにしてみれば、井伊家では頼れるのはあなただけなんですよ?それを突き放すよう事を言って!」 直虎も直政に非はあると叱る。 にとって直虎も味方ではいるが、一番頼りにすべきは直政だろう。 「義母上…」 「井伊家家訓!喧嘩をしたときはすぐに謝る事!!」 すぐにに謝るべきだと直政の背を押した。 「はい」 直政はすぐさまの後を追った。 *** あの場から立ち去った。 何をするわけでもなく、自室にした。 どこかへ行ける場所などないのだ、今の自分には。 「真田では相当我がままに育ってきたのだろうな」 「それで厄介払いでもされたのか」 あの直政の言葉には相当衝撃を受けた。 話には聞いていた、本音を惜しげもなくはっきり言う性格だと。 そのバカ正直とも言える発言で過去、徳川家中で浮いていたという話も。 それが家康や忠勝、直虎のお蔭で見直され改善はされたらしいが。 「違うもん…私が自分で言ったんだもん」 は唇を噛む。 別に、嫁ぎ先などどこでも良かったのだ。 真田の家を出られるならばどこでも…。 『ちん。本当に良かったの?』 『めでたい話でいいじゃない。ダメなんて事ないよ』 友達の声が思い出される。 『でもさ、ちんはずっと信之様のこと…』 『信之さまは私にとって大事な家族。お兄ちゃんのような存在だよ。信之さまだって、妹みたいに可愛がってくれたもの。真田にとって二つのおめでたい事が重なった。それだけだよ』 信之には徳川から。 は徳川に。 それぞれ嫁ぐのだから。 「ある意味…あの人の言う通り…間違っていないのかも…」 追い出されてはいないが、逃げ出したと…。 何も知らない直政に言われただけに、そう実感してしまった。 「これからどうしようかな…」 仮にも旦那様の頬を叩いた。 それだけではない、毎度毎度直政とは顔を合わせれば喧嘩をしてばかり。 夫婦というのは形ばかりのようで。 元の動機が不純だし、自分の態度は可愛げのないものばかり。 『だとしたら、俺も相当…』 あの後の言葉は、俺も相当苦労する。とか、相当運が悪い。など言われただろう。 「本当…運が悪かったね、あの人も」 自分みたいな者が嫁いできて。 信之は良かっただろう。勇ましくはあるも可愛げがあり、夫を立てる事のできる人が迎えられて。 自分は常日頃から直政に「ダメだ、ダメすぎる」とダメ出しをくらっているのだから。 これから本当にどうしようか? 嫁いできて、井伊家の印象はそう悪くはない。 何より、現当主の義母直虎の事は好きだ。 直政には小言を貰うも、直虎ちゃんと呼び仲良くやっているのだから。 けど、今の直政は自分より義母の方が大事だろう。 比べるなんて端からできない程に。 先ほども、喧嘩になっても直虎に言われれば、素直に詫びるくらいなのだから。 「離縁って奴かな…」 実家である真田に帰れと言われてもおかしくないだろう。 帰ったところで、自分には良い事など何も残っていないのだ。 「帰る場所なんて…今の私にはないもん…」 は膝を抱える。 真田に帰っても、きっと信之たちは出迎えてくれる。 優しいから気遣ってもくれる。 それは目に見えている。 だけど、そうされることはにしてみれば苦痛を感じるだけだ。 かといって、真田以外に行く場所なんてないのだ。 「ここではないないのか?の帰る場所というのは」 「え?」 ふと顔を上げれば不機嫌そうな直政がいた。 「…いや、そう思わせてしまったのは俺の所為だ。すまない」 直政はの前に座る。向かい合ってきっちりと正座して。 「さっきは俺が言い過ぎた」 「え、あの…」 「俺は、別に離縁などするつもりはない。を追い出すような真似もしない」 深く考えすぎだ。 直政はそう言う。 どうやら、の呟きを全部聞いていたようだ。 「俺は…運は悪くない…はずだ」 「………」 「そ、それだけだ」 直政は立ち上がり室を出る。 だが、すぐに立ち止まりには背を向けたまま。 「井伊家家訓!夫婦は最期まで添い遂げるべし」 「………本当に、そんな家訓あるの?」 直政は少しだけ顔を振り向かせた。 「あるんじゃないのか?井伊家にはわけのわからない家訓がいっぱいあるから」 そう言い小さく直政が笑った。 「じゃあ…井伊家に嫁いだ私はそれを守らないと」 「そうだな」 直政は今度こそ室から出て行った。 少しだけ見えた直政の笑みにも小さく笑んだ。 「多分…ないのだろうなぁ、そんな家訓」 けど、わざわざ直政が言うのだからそれを突っぱねる理由はない。 直政がは離縁も、追い出す真似もしないと言うのだから、少しは妻として認めてくれているのだろう。 「早く…いい報告できるようにしないと」 きっと真田では自分を心配してくれているだろうから。 元気にやっていますと、いい報告がしたいとは思うのだった。 15/03/14
19/12/29再UP
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