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いざよう月
【後編】 自分だけがそこに取り残されたみたいだった。 深い霧で辺りは覆われている。誰の声も聞こえない。 三成も兼続も慶次もねねも、みんな同じ邸内にいるはずなのに、誰も気づかない。 ただ彼らは寝てしてまっているからだろうか?だがねねは違うからこの霧が可笑しな物なら気づきそうだ。 チリンチリン。 聞こえた鈴の音。人の足が見えた。 縁側で腰掛けていた幸村はその人に懐かしさを覚える。 「幸村さま。だらしないですよ〜」 「くのいち」 武田にいた頃自分に仕えてくれた忍。とも仲が良く二人でいる姿を見ると、彼女が忍だということを 忘れてしまうくらい馴染んでいた。 だが、ある日突然姿を消した。任務の途中でのことだったので最悪の事態を思ってしまった。 「お前、なぜ・・・・ここにいる?今まで何をしていた」 「にゃはは。幸村さまのその情けない顔をが見たらなんて言いますかね〜」 「くのいち!私の問いに答えろ」 「きっと、愛想尽かしちゃいますよ。ユキさん格好悪い〜って」 くのいちは幸村の問いかけにはまったく答えない。 笑い声が聞こえても、姿ははっきり見えず、足のみだ。 「くのいち」 目の前にいるはずなのに、いまいち掴みきれない。空気のような感じ。 だが、もしかしたら・・・・ 「お前は、殿を迎えにきたのか?」 「・・・・・」 「御館様たちのもとへ、彼女を連れて行こうというのか?」 目の前にいるくのいちは幽霊で。死者の世界へとを連れて行こうとしているから。 だから幸村の問いにはまったく答える気配も見せないのだろうか。 幸村は思わず縁側から飛び出し地に頭をつける。 「頼む。連れていないでくれ。殿を・・・・私の前から連れ去らないでくれ」 「・・・・・・」 ぐぐっと土を握り締めながら懇願する。そんなこと今まで誰にもしたことがない。 まして目下のものになど、こんな姿を三成たちが見たらきっと気分を害するかもしれない。 情けない、そう簡単に頭を下げるなと。 だが、幸村はそうせざる得なかった。もし、目の前にいる(かもしれない)くのいちが 幸村の想像通りの者ならば・・・・。 「くのいち・・・・・」 頼み込んだところで、の寿命がもうここまでと決まっているのならば、自分がどうこうしても しょうがないのだが。やらずにはいられない。 まだ、自分はに何も伝えていない。伝えたかった。などと過去にはしたくないのだ。 「あたしがそんな真似するわけないじゃないですか」 幸村は顔をあげる。 「は御館様もみんなが大事にしていた子なのに。幸村さまが大切にしていた子なのに」 大事なあたしの友だちなんですよ? あたしの最初で最後の友だち。 そんな子を連れていこうなんて思いませんよ。 「くの、いち・・・・」 「は大丈夫ですよ。また幸村さまに微笑んでくれますから」 その言葉とともに霧が段々晴れていく。 くのいちは姿を完全には見せぬまま消えてしまった。 「くのいち!」 立ち上がり追いかけようと思ったのだが、どこに行けばいいのかさっぱりわからない。 仕方なく中へ戻ろうと踵をかえしたとき、どさりと何かが落ちる音がした。 目の前には小袋がひとつ。 「なんだ、これは・・・・」 幸村は拾い上げ中身を見ると丸薬がいくつか出てきた。 「御館様のお薬。に飲ませてくださいな」 「え」 くのいちの声が聞こえた。 だが気配はない。もしかして、この薬を届ける為に彼女は姿を見せたのだろうか? 御館様の薬。信玄公秘蔵のもの。これならばと幸村は急いで中へ戻った。 「ねね様!殿へこの薬を!薬を飲ませてください」 突然騒がしく開かれた障子にねねは驚く。さらにそれが滅多に声をあげない幸村だから余計にだ。 「幸村?」 「この薬ならば、きっと・・・きっと熱が下がるはずです」 どこでそんな薬を手に入れたの?などと問い返すつもりもなく ねねは疑わずににっこり笑って薬を受け取った。 「わかったよ。後で飲ませるからね。それよりも幸村・・・・」 「は、はい」 薬を受け取り飲ませてくれると約束してくれたことに安堵しつつもねねの幸村を見る顔つきが変わった。 少しばかりねねの気迫みたいなものが幸村を圧倒するので怯む。 「あんた、外で何していたの?手も足も泥だらけじゃないか。さっさと湯浴みしてきなさい!」 「は、はい!」 慌てて踵をかえす。ドタドタと室から出て行くが障子を開けっ放しにしていたことに気づき戻って閉めた。 その行動が幸村らしいとねねは小さく笑った。 湯浴みも済ませて一息つく。 ねねやまつが交代で看病をしてくれて本当に助かった。 流行り病などといえば、普通は進んで関わろうとはしないものなのに。 これもが彼女ら気に入られているからだろうか。 ねねたちだけではない、三成たちも協力してくれる。彼らだって忙しいのに。 自分ひとりだけだったら、悲嘆し続けただ時を待っていただけかもしれない。 それに大変な時になのに自分に余裕が持てるようになった。 後はの熱が下がるの待つだけだ。 「おまつ様。交代いたしましょう。私も十分休ませていただきました。次はおまつ様が休んでください」 「わかりました。後をお願いします」 日も暮れ始めた頃にまつと交代する。 退室する際にまつが足を止める。 「幸村殿。そろそろ薬をもう一度飲ませてくださいね」 「はい。わかりました」 スッと障子は閉められ、松の足音が遠のいていく。 二人きりの室内はとても静かで、たまに聞こえる音といえば火鉢の上に乗せた薬缶から沸騰している蒸気の音だろう。 「殿・・・・本当に、薬が効いたようですね」 あの薬を飲ませるまでは呼吸も荒く苦しそうだったが、今では落ち着いてきている。 その寝顔を見て安堵する。 「殿。さ。薬を飲んでください」 「・・・・・・ゆ、き・・・さん?」 幸村の声に反応する。 途切れがちの反応だったが幸村はしっかりとの手を握った。 「殿。良かった・・・・本当に良かった」 はゆっくりと幸村の手を借りながら上体を起こした。 薄手の着物を肩にかけてもらう。 「・・・・頭。ふらふらする・・・・」 「まだ無理はしないでください。ようやく熱が下がったばかりなのですから・・・っく・・・」 どのくらい寝ていたのか上手く頭が回らないと苦笑するが、ふと見れば幸村が俯き拳をギュッと握っている。 その拳が微かに震えている。 「ユキさん?」 「す、すみません・・・・情けないところをお見せして・・・・」 目をギュッと瞑り歯を食いしばるが必死で堪えていたものがポロっと零れ拳の上に落ちる。 「泣いてるの?・・・・ごめん。沢山迷惑をかけて、心配をかけちゃって・・・」 幸村の拳にそっと手を乗せる。 幸村はその手を取る。 「沢山迷惑をかけたっていいです。あなたが目を覚ましてくれたのが、嬉しいのです」 このまま、何も言えずに、何もできずに別れてしまったらと何度か思った。 そのたびにねねや三成に叱咤されて。情けないところを何度も見られて。 「ユキさん」 「殿が、また・・・・こうして・・・・・・っく・・・・良かった、本当に」 「うん。私もね。すごく苦しかった。どうでもいいとかまで思ったよ・・・でもね」 夢なのかもしれないが、聞き覚えのある声がした。 気がつくと自分はのんびり縁側に腰掛けていた。 ポカポカと暖かく、まるで春の陽気みたいで。うっかり舟をこいでしまいそうな感覚。 「おことがここに来るのはまだまだ早いよ」 「幸村が寂しがる。早くお帰り」 「私・・・」 「もう大丈夫。時期に熱にうなされることもなくなるからのう」 「・・・・・おやか」 「ほーら。帰った、帰った」 「幸た」 「またな。殿」 「あ」 すーっとどこかに引っ張られた。 遠ざかっていく暖かみのある場所。そこにはが大好きだった人たちの姿があったような気がした。 「それは御館様とおじい様でしょうか・・・」 軽く涙を拭いながら幸村は訊ねる。 「はっきりとはわからないけど。そんな気がした」 「きっと、そうです。殿の熱は中々下がらなかった。でもこの薬で・・・」 幸村は丸薬をの手に乗せる。 「御館様の薬です。朝方、くのいちらしきものが届けてくれました」 の双眸が揺れた。 「・・・い・・・いっちゃん?」 「姿は見えませんでしたが・・・・多分・・・いえ、きっとくのいちでしょう」 「いっちゃん・・・・」 生死の行方がわからない大事な友だちが。 自分の為に。じんわりとこみ上げてくるあたたかいもの。 「さ。また熱を出したら大変です。薬を飲んでください。あ、いえ。何か食べた方がいいですよね」 ほぼ寝たきりだった。 活動し始めたことできっと腹も減る。そんな時に薬を飲むのは少々危険すぎる。 「今、ねね様に頼んで何かこしらえてもらってきます」 幸村は腰を上げようとするが、その腕をに掴まれた。 「あ」 「殿?」 「・・・・あの・・・・ね。ユキさん。私がいなくなったら寂しがる?」 夢の中なのか、遠い所で言われた言葉を思わず口にしてしまう。 幸村は瞠目するが、すぐさま掴まれていたの腕を引き己の中引き込んだ。 「寂しい。などというものでは済みませんよ・・・・そんなことになどなったら私は」 「ユキさん・・・・」 「私はまだあなたに」 伝えていないことがあるのだ。 今。それを言ってしまおう。 「殿、私は「の熱が下がったと聞いた!本当か!」 スパーンと開いた障子。息を切らして駆け込んできた政宗。 「「「・・・・・」」」 政宗は一旦自分の邸へと戻っていた。 が心配だったのだが、仕事の関係で戻っていたのだ。 そして再び真田邸を訪れるとねねから、の熱が下がり始めたと教えてもらったのだ。 「・・・・・・なんじゃ、二人で」 「あ、ああの。政宗殿・・・」 政宗からの視線が痛い。 「病人相手に何しておるのだ!」 「す、すみません!そういうわけではないのですが」 「いいから離れろ!」 「は、はい!」 運が悪いとしか言いようがない。 政宗に言われてを解放する。は複雑そうな顔をしているが。 やはり、本調子でない時なのでしょうがないだろう。 政宗に詰め寄られている幸村はなんとか言い訳をするが、あまり政宗は聞いていないようだ。 「煩いぞ、政宗ぇ!」 「お。嬢ちゃん大丈夫かい?」 「何をしているのだ、お前たちは・・・・」 政宗の怒声に更に輪をかけて乗り込んできた兼続。 見物をしようとのんきにやってきた慶次と呆れ顔の三成。 「政宗殿、あの、落ち着いてください」 「落ち着いていられるか、病人相手に何しようとしていた、貴様!」 「何、幸村。それは義に反する行為か!」 政宗に突っかかろうとしたが、彼の言葉にくるっと反転し同じように幸村に詰め寄り始めた兼続。 そんな事など放っておきながら、慶次がの肩を叩く。 「嬢ちゃん。まだ無理するなよ?でも良かったなぁ」 「慶次さん」 「今回は驚いたな。意外にお前がか弱いのでな」 「ひどい、みっちゃん」 くすりと笑んだかと思うと三成は扇を開き口元を隠す。 「早く治せ。治してまた美味い飯でも食わせてくれ」 素直にそう口にするのが恥ずかしいのだろう。でも、三成の言葉は嬉しかった。 「そうそう。嬢ちゃんが元気ないと、俺らも寂しいし、何より幸村がガキみたいにピーピー泣いてな」 「慶次殿!わ、私は別に」 の前では確かに泣いてしまったが、慶次たちの前では泣いてはない。 「逃げるな、幸村」 「そうじゃ。話は最後まで聞け!」 急に室内が賑やかになってさっきまで自分が寝込んでいたなど嘘のように、今は身体が軽い。 こうして心配してくれる人がいてくれて嬉しい。 「こらっ!うるさいよ。あんたたち!」 騒ぎに気づいたねねがやってきた。 入ってくるなり、騒ぎ元。いや、以外の者の頭を一発ずつ小突いていく。 「ね、ねね様。なんで俺まで・・・・」 叩かれる覚えはないと三成はねねを睨むがねねはすっぱり言い切る。 「連帯責任!」 そう言われてしまうと、自分だけはと言いづらい。 「ほら。あんまり騒ぐとがまた倒れちゃうよ。全員室から出なさい!」 渋々と以外が室から出て行く。 「もまだ無理は駄目よ。今すぐに粥でも作ってくるから。それを食べて薬飲んでゆっくり休むこと!」 「は、はい!」 お母さんだなぁと思わず目を瞠ってしまう。 ねねが粥をこしらえてくれるまでの間、横になることにした。 身体の節々が痛い。本当どのくらい寝ていたのだろうか? 寝ていた所為で頭は妙に冴えている。 布団に包まり寝返りを打つ。 それにしてもと考える。 「殿、私は」 私は。の続きはなんだったのだろうか? それを今度聞かせてもらえたらいいな。 「その前に、身体を早く治さないとね・・・・」 真田邸に久々に賑やかな声が響いた。 そこから黒い影がスッと離れていく。 「いいのかい?黙って行っちまって」 影のそばにいつの間にか左近が近づいていた。 「ありゃ。久しぶりな人〜」 影は左近の姿に動じもせずに腕を後ろに組んだ。 「嬢ちゃんがあんたのことを心配していたよ」 「・・・・・」 影は左近に背中を向けた。 「これで最後。もうの前にも幸村さまの前にも姿を見せる気はないから」 「いいのかい、それで」 「いいの。あたしにはあたしの仕事があるの」 「仕事?」 「そう!大事な仕事。あーでも心配しないでね。 悪いことしようとか、幸村さまの邪魔をしようってわけじゃないから」 「このことは?」 「内緒にしてほしいな。じゃ」 影は姿を消した。 左近は数回頭を掻く。 「・・・・・・ま。俺が余計な真似をする必要もないか」 本当に最後なのかは、誰にもわからないのだから。 06/10/03
19/12/28再UP
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