残鶯みたいな。




ドリーム小説
曹操が、曹魏が天下統一を果たしてから三月経った。
曹操が治める天下となるだろうと誰もが思っていたのに。
玉座にその姿はない。
彼は彼のいない天下を作り上げて、一人でどこかに去ってしまった。
自分は居ずとも進んでいく道を。
彼には優秀な跡継ぎ、支えてくれる有能な部下が大勢いる。
今はその彼らによって、国は成り立っていた。

「でも。甄姫姉さんはつまらなくない?子桓が毎日忙しくて」

以前からも忙しい仕事振りではあったが、曹操の跡を継いでからの方が断然忙しい。
は甄姫の室へと足を運んでいた。
の問いかけに甄姫は微苦笑する。
淹れてくれた茶は喉を潤すし、出された菓子は香ばしくて飽きが来ない。
彼女と過ごす時間も甄姫には悪くないものなのだが?
だから少しだけ意地悪な質問で返してしまう。

「あら。は私と過ごすのはお嫌なのかしら?」

「い、イヤじゃないよー。なんでそう思うかな?」

嫌であったら自分からここへは来ないと言うものだ。

「子桓様を盗られて悔しいとか思っていたり・・・・とか?」

甄姫の唇が蠱惑的な笑みを作る。
大半の男性はそれに惑わされるかもしれない。
だけど、すぐさまの表情を見てその笑みが高らかなものへと変わった。

「ん。・・・なんて、顔をなさるんですの?・・・ふふふっ」

は本音を突かれて痛いと衝撃を受けているのではなく。
口元を引きつらせて眉間にはおもいっきり皺を寄せている。
あまり他の者に見せたい面ではない。

「だって、姉さんが変なこと言うからでしょ!なんで、よりによって子桓なのよ!」

思わず椅子から浮く腰。

「あら。それはわたくしに失礼ではありませんの?」

少々機嫌を損ねさせたかのような甄姫の顔。
はすっと腰を落ち着かせた。

「いやいや。子桓にこそ、姉さんは勿体ないよ。もっといい男いっぱいいるよー?子桓でよかったの?」

「もうったら・・・」

相変わらず我が君へは厳しい。
兄妹のような間柄、幼馴染、悪友と言っても可笑しくないそんな曹丕との関係。

「逆に子桓へそれを言うね。私から姉さんを盗ったわね!・・・って」

「あらあら」

言われた曹丕はきっと呆れた顔つきで彼女に対し、小馬鹿にした態度をとり、そこで二人は揉めるのだろう。
だがそれも二人ならではのやり取り。
お互い言いたいことを言い合える仲なのだと思うと、甄姫は羨ましさが出る。

「それで、さっきの質問。あんな奴だけど。甄姫姉さんつまらなくないの?」

「そうですわね・・・・」

甄姫は逡巡するも、優しい微笑みを浮かべる。

「つまらない。と言うよりは、我が君のお身体が心配になりますわね」

国を治める者としての心労は周囲に比べて数倍もあるだろう。

「それもそうなんだけど・・・・だから姉さんが一緒に居るじゃん」

疲れた曹丕を癒すのは甄姫の役目。
あの仏頂面が甄姫の前では優しく笑うのだ。
初めてそれを見たとき、は衝撃で手にしていた椀を落として中身をぶちまけてしまったくらいだ。

「本当。姉さんじゃなきゃ、子桓の相手は務まらないね」

「うふふ。でも、一人で寂しいときはがいますもの。こうして会いに来てくれて私は嬉しいですわよ?」

甄姫に言われては頬を染めてしまう。
美人に優しく微笑まれると弱い。先ほどの蠱惑的なものより断然いい。
えへへとこっちも釣られて笑うも、内心はすごく嬉しいのだ。

「ありがとう。甄姫姉さん。私も姉さんとの時間は楽しくて好きだよ」

普段はあまり言いもしないことだけど、たまにはちゃんと口にしないと伝わらないものだ。

「でも。どうしましたの?急にそのような事を聞いてくるなんて・・・・」

曹丕が忙しいのは昨日今日の話ではないのだ。

「え?別に・・・・どうってことじゃないけど・・・・」

たまたま思っただけだ。
そう甄姫には答えた。






たまたま。などと甄姫には答えたが、実はが今、まさに「寂しい・つまらない」と感じているのだ。
それは曹丕に対してでは、勿論ない。

「おや。殿ではありませんか」

甄姫の室から帰る途中に、張遼に呼び止められた。
振り返れば、彼だけでなく夏侯惇も一緒だった。

「あ。遼さん・・・惇兄!」

「ん??」

夏侯惇の姿に思わず駆け寄り飛びつきたくなる衝動が沸くが、それを一旦押さえる。

「お前・・・また子桓とやりあったのではないだろうな?」

「会った一言目がそれ?酷いなぁ」

普通に甄姫に会いに行っただけだと答える。
子どもみたいに頬を軽く膨らませると、夏侯惇と張遼は笑う。

「あれは昔からの名物のようなものですからな。見られない日は少々物足りなく感じますぞ?」

「もう〜遼さんまで」

名物なのか、曹丕とのあの子ども染みたやり取りは。
だが大人二人から見れば、そう思われても仕方あるまい。
日常的にくだらない事で騒いでいたのだから。

「あまり甄姫に迷惑をかけるなよ」

ぽふっとの頭に手を乗せる夏侯惇。

「迷惑なんてかけないよー姉さんは私が会いに行くと喜んでくれるんだから」

「ははっ。そうだったな」

すっと離れる手に目を細めてしまう
だがすぐさま二人には笑みを見せる。

「今、忙しくないの?」

曹操が去った後、夏侯惇と張遼は軍部を治める地位に居る。
夏侯惇はその地位を一度は辞退するも、曹丕に頭を下げられその命を受けている。
夏侯惇が1で張遼が2と言うところだ。
最近の夏侯惇の口癖は「早く引退して張遼にすべて任せたい」なのだが。
それに対し張遼は爽やかな笑みを浮かべ、

「そんな簡単に退かせる気はこちらにはありませんぞ?」

と脅しのようなものを見せる。
普通は早く邪魔者をどかしたい。などという野心があってもいいのだが。
張遼に言わせれば「そんなのは面倒臭いだけですな。有能な方を手放す方が勿体無い」だそうだ。
要は、自分は2でちょうどいい。のだろう。
出世欲がないとか言う以前に、上り詰めてしまっている以上、余計な欲などないのかもしれない。
こうして穏やかな日常が訪れるだけで満足と言うような。
そう思うと、一人でさっさと旅に出てしまった曹操が恨めしいと夏侯惇には思える。
今まで苦労もし、大変だったのもわかるが。
後は任せたぞ。などと自分は好きにしてしまったのだから。
あれが一人で旅など?とは思ったが、曹操の護衛が自分の仕事!とばかりに典韋がついていった。
だから曹操のことは心配はしないし、追おうとも思わないのだ。

「そうだな・・・・「夏侯大将軍!こちらでしたか!!」

少し時間が空けられると答えようとした夏侯惇ではあったが、残念。
一人の武官に呼ばれてしまう。
にはわからない難しい話をしている。

「わかった。では行こう。すまんな、

「ううん。いいよ、惇兄無理しないでね」

手を振ってその背中を見送る。

「・・・・・・」

「・・・・・・遼さんは何しているわけ?」

当然、夏侯惇と行くものとばかり思ったが。
彼もの隣でお茶目に手を振っている。

「いえね。傷心のお嬢さんを残しておくのも忍びなくて」

元々急用で呼ばれたのは夏侯惇で。
話の中身からも自分まで行く必要はないと判断し、休憩を選んだ。

「なに、それ・・・・」

だけど、張遼には見抜かれている。
夏侯惇の姿が見えなくなると、の表情が沈んでいく。

「まったく・・・・あなたも馬鹿ですな。言いたいことがあるならしっかり言わねば伝わりませんぞ?」

「だって・・・」

我がままを言って困らせたくない。
自分はあくまで、夏侯惇を兄と慕っているに過ぎないだろうと。

「では殿。しばし私とお茶にしませんか?」

甄姫ともお茶を飲んだが、今断る理由もない。
こういう時の張遼はの話を聞いてくれるのだから。





「でも。甄姫姉さんはつまらなくない?子桓が毎日忙しくて」

あれは甄姫にではなく、ほぼ自分にも言ったようなものだ。
夏侯惇が大将軍などという最高峰に就任してからと言うもの。
以前のような空き時間が極端に減った。
いや、曹操の右腕として軍を纏め上げていた時はある。
だがやはり曹操という男の存在が大きく、戦の時代でもあった為に。
それなりに休息の時間を得る事はできたのだ。

元々は夏侯惇の邸で暮らしている。
出会った頃から、の面倒を見てくれる。
強面かと思えば、案外世話好きで放っておけない性質なのだろう。
夏侯惇の世話になりながら、自然と彼に懐き。今ではアニキ分以上に慕っている。
一番身近にいて、一番身近に居る男性。

そして一番大好きな人。

一緒に居られる時間が減り。
会話も当然減った。
顔を見られるだけマシなような気もする。
だけど、一人ポツンと取り残されたような寂しさがある。
甄姫や張遼のように会って話をしてくれる人もいる。
曹丕とくだらない小競り合いをすることもある。
だけど、そこに、一番居て欲しい人がいないのだ。

甄姫みたいに、相手の身体を気遣えることもできず。
自分のことしか考えられない子どもに。
我がまましか言えないのは嫌だ。
大人になりきれない子ども。
今の自分はそんな存在だ。

「馬鹿じゃないですか?殿は」

「うっ・・・・遼さん、ひどい・・・・」

注いでもらったお茶を一口飲むと、張遼がそんな風に言った。
可笑しなもので、甄姫には言えなかったことが張遼にはすっきりと言えてしまう。
きっと張遼にズバッと切ってもらうのを期待しているのだろう。

「だいたい、大人でも我が侭な方は我が侭ですよ?あなただって知っているでしょう、一番の我が侭が誰かを」

そして、その我が侭な大人は今、何をしていると思う?

「・・・・それって、孟徳様?」

「他にいますか?」

元主君。と言うより、今でも曹操は張遼にとって仕えるべき人だろう。
だけど、そんな人をあっさり「我が侭な大人の代表」と言ってのける張遼。

「まぁ。あの方は今の天下に自分を当てはめなかった。だからだとも思いますが・・・」

それでも、曹操が居ないだけで目まぐるしい忙しさは残る。
なんでも一人でやってのける曹操はやはり別格なのかもしれない。
だが同時に、いつまでも曹操に甘えても居られないのだろう。
自分たちでやらねば、進まねばならぬと。

「寂しいのであれば、寂しいと素直におっしゃるといい。その方が夏侯惇殿も喜ばれる」

「そう、かな?だって・・・・迷惑かけちゃうの、嫌だよ・・・・」

「普段色んな方に迷惑をかけているあなたの台詞とも思えませんね」

「嘘!そんなに迷惑かけてるの?私!!?」

「冗談ですよ」

張遼はくつくつと笑う。

「我慢している事を。何も言われない方が寂しい時もありますよ。自分では頼りにならぬのかとね」

特に夏侯惇はそう言う性格の方だと張遼は言う。

「あの方はあの方で寂しい思いをしているでしょうしね」

意味ありげに張遼は笑う。

「遼さん?」

「あとで自慢しておきましょう。あなたとお茶を楽しみましたと」

「性格悪いよ?遼さんは・・・」

だけどその張遼に頼っている自分も、相当根性は曲がっているのかもしれない。





夜も遅く。ほぼ無音の時間。
夏侯惇の帰宅に出迎える使用人たちであったが、彼は早々に下がらせた。
彼らの仕事とはいえ、朝も早い彼らのことを気遣ってだ。

「ふぅ・・・・」

明日も早い。もう寝てしまおうと夜着に着替え寝台に寝転ぶ。
すぐに目を閉じるも、張遼に言われた言葉がやけに耳に残る。
張遼に軽い嫌味を言われた。

「楽しかったですぞ。殿と過ごした時間。羨ましいでしょう?」

そう言いきった張遼の顔は実に楽しげだった。
だけど、その後。

「でも、彼女をもっと喜ばせてあげられるのは私ではなく、あなたなんですよ?」

随分と寂しい思いをさせているようだと告げられる。
は何も言わない。
忙しい夏侯惇に対し、邪魔をしてはいけないと、その領分に入らないようにしているのだろう。
手間のかからないことだと思うが、今までが今まで。
事あるごとに「惇兄、惇兄」とよってくる姿が今では皆無なのだ。
そうか・・・寂しい思いをさせているのだな。

コンコンと控えめに扉が叩かれた。

か?」

扉を叩く習慣はだけだ。
大概は向こう側から呼ばれるに過ぎない。

「惇兄、少しいい?」

さらに控えめの声音。
夏侯惇は起き上がり扉を開ける。

「ん?なんだ?眠れぬのか?それとも起こしてしまったか・・・・済まぬことをした」

くしゃりとの頭を撫でるも、彼女は唇を噛締め上目で夏侯惇の様子を窺っている。

「えと・・・そのね。惇兄が疲れているのもわかるんだけど・・・少し話がしたくて」

「あぁ構わんぞ」

室にを招き入れる。
は安堵と喜びから破顔する。
寝台へと腰掛ると、がその隣にちょこんと並んで座る。

「少しだけ、我が侭言ってもいい?」

「我が侭?なんだ?」

我が侭と言われると少々身構えたくなる夏侯惇。
今まで散々従兄弟の我が侭に苦労してきたので。

「今度・・・惇兄の休みの時・・・・少しでいいから、一緒に居て、欲しいなって・・・」

夏侯惇は面食らい、思わず顔をから背けてしまう。

「無理なら、別にいいんだ。疲れている惇兄の邪魔はしたくないし・・・」

ダメかな?は俯き、指を絡める。
夏侯惇は何やら肩を揺らしているし、怒らせたのかもと不安になる。

「・・・・・惇兄?」

「くっ・・・・・・ははははっ・・・・・、お前・・・・・」

夏侯惇は耐えられず声を出して笑ってしまう。

「惇兄?」

「お前のそれのどこが我が侭だ」

「我が侭だよ。だって、惇兄の時間潰して・・・」

馬鹿な奴だと夏侯惇は笑いの肩を抱き寄せる。

「今まで普通にしてきたことを、今更頼み込んでくるとはな」

「だ、だって」

「頼まれなくとも、俺はそのつもりだったが?少しといわず、できる限り共に過ごしたいと」

は顔をあげ夏侯惇を見ると、光ある唯一の目が穏やかに自分を見ている。

「本当?」

「あぁ。嘘は言わぬ。と言うより。嘘など言ってどうする」

夏侯惇は何度もの頭を撫でる。

「不安にさせた、すまぬな。・・・・」

そんな事はないとは首を何度も振る。
いや、本当は寂しいし、不安でもあった。
だけど、夏侯惇は以前と変わらずすぐそばに居てくれるだけで嬉しいのだ。

「今しばらくは激務が続くが、それさえ過ぎればゆっくり休みが取れる」

「うん」

「お前の好きな場所に連れて行ってやる。美味いものも食わせてやるし、欲しいものも買ってやるぞ」

は別にいいとまたも首を横に振る。
何故だと夏侯惇が問えば。

「私は惇兄と一緒に居られるだけでいいんだ。だから普通に邸でのんびりするだけでもいい」

「・・・・・そうか」

「うん。そうなの」

は腕を伸ばし、夏侯惇の背中に回す。

「惇兄大好き」

「あぁ。俺もだ。お前が好きだ」

しっかりとを受け止める。
大事な大事な妹分・・・ではなく、大事な女性を。







残鶯は「春が過ぎても鳴いている鶯」のこと。
09/05/11
19/12/22再UP