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結び目。
「ひーちゃん。ひーちゃん!」 自分の後をいつも走って追いかけてきた娘。 「これ、あげる!」 「なんだ…これ、女物じゃないか…」 「ひーちゃんに似合うと思ったから!」 破顔する娘を怒るに怒れなくて、仕方なくもらった。 仕方なくだったはずなのに。 いつもそれを身につけていた。 幾年も、ずっと… 「最近、の元気がないのだ」 夏侯惇が曹操にポツリと漏らした一言。 と聞いて曹操が過剰に反応した。 「なんだ、病か?だったらすぐに医師を呼ぶが」 「いや、それとは少し違う気がするんだ」 「むぅ。悩み事か……お主が聞いてやるべきなのだろう?」 「…俺には言えぬことらしい」 「そうか…」 だったら自分が聞いても無駄だろうなと曹操は思った。 そんな父たちの会話を曹丕は偶然にも聞いてしまった。 が悩みを抱えているなど知りもしなかった。 少し前に会った時にはいつもと変わらずで、人の顔見て悪態つくぐらいだ。 幼かった頃の可愛さなど失せてしまったなどと言い返して揉めたくらいだ。 仕方ないと思いつつ、曹丕はのもとへ足を運ぶ。 「」 「ひーちゃん。珍しいね」 「その呼び方は止めろと言った」 「だってひーちゃんはひーちゃんでしょ?」 「そのように呼ばれる歳ではない」 「あはは、そうだね。で、用件は何?嫌味言いに来たの?」 最初から喧嘩腰の態度に溜め息が出てくる。 昔は、本当に可愛いとさえ思ったのに。 は昔夏侯惇が保護した子だ。 戦場で一人泣いていた幼子。 曹丕と出会った時、夏侯惇の足元で大人しくしていた。 名前が『』と言うだけで他の事が一切わからなかった。 の記憶にはちゃんとあるのだが、幼すぎて彼女は説明を出来なかったのだ。 事情を聞いたこちらもどうすることも出来ずにいたが、以来夏侯惇が娘として育てていた。 大人ばかりの生活だったから、年の近い曹丕の後をいつも懸命に追いかけてきたのが、とても印象深い。 だから、曹丕はいつも言う。 『あの頃の可愛さはどこへ行った』と。 「父と小父上の話を聞いてしまってな」 「孟徳様と父様の?」 「お前が何か悩んでいるようだと小父上が心配なさっていた」 「…そっか」 は曹丕から視線をそらす。 その態度を見て、事実なのかとわかった。 曹丕はそばにあった椅子に座る。 「小父上に言えないようなことでもしたのか」 「何よ、するわけないでしょ」 「だったら、なんだ。私はてっきり小父上が大事になさっているもので壊したのかと思ったぞ」 「そんな、子どもじゃないよ、私」 は苦笑する。 屋敷の中を暴れまわるような年頃じゃないのだぞと。 中々理由を言いたがらないに曹丕は少し苛ついてしまう。 「じゃあ、なんだ。はっきり言ってみろ」 「なんで子桓に言わなきゃいけないわけ?」 「聞いてやろうと言うのだ、ありがたく思え」 「……別に聞いてくれなんて言ってないし」 何が何でもは曹丕に言うつもりはないようだ。 曹丕にこうなのだ、きっと夏侯惇にだって言わないだろう。 苛々して、いつもみたいに皮肉でも言って帰るところだが、少しだけ我慢だ。 の強情さなど昔から知っている。 「人に話すつもりがないなら、その態度を改めろ」 「な、何よ」 「小父上が心配なさっていると言ったばかりだろ。それとも今解決策でもあるのか?」 「…解決できるような悩みじゃないもん…」 「それで話す気などないなら、小父上に心配させるような顔をするな」 「子桓は父様の味方か」 曹丕の言葉に一度は俯いてしまうだが、すぐに顔をあげて笑う。 「さぁな。これでもお前の味方をしてやっているつもりだが?」 「そうは見えないけど…でも、ありがとう」 は少し考える。 そして曹丕にぽつりぽつりと話しだした。 「最近ね、夢を見るの」 「ほぅ、夢か」 「夢の中でね、私の両親が泣いてるの…意味わかるでしょ?」 「…あぁ」 の本当の両親。 夏侯惇はあくまで育ての親。 どこかにいると思われるの両親。 「両親のもとに帰りたいって思う。ずっとずっと心配かけていると思うから」 「………」 「でも無理なんだよね。私の生まれた場所ってきっとすごく遠い場所だから」 でも一目で良いから両親に成長した姿を見せたいと思う。 「生まれ故郷に帰りたいが帰れず悩んでいたと言う事か」 夏侯惇には言えぬのもわかる気がする。 「父様のそばを離れたくない気持ちもあるし」 血の繋がりはなくとも夏侯惇を父親とは思っている。 その点は少し羨ましいと思う。 曹丕と曹操は実の親子なのだが、曹操に対して君主としての尊敬はあるが、父親としてはそこまで良くは思えない。 「ならば、良いではないか。今までどおり小父上のそばにいれば」 「うん、そうなんだよね。でもあれこれ悩んじゃう」 「そのうち熱でもだすぞ。考えても仕方ない事だ」 煩い、馬鹿! とでもいつもだったら飛んでくるだろう声がなかった。 は黙ってしまった。 の目に大粒の涙が浮かぶ。 「…子桓にはわからないよ。もう何年も両親に辛い思いさせているかと思うと…私」 「だが、どうにもできないだろ。悩むだけ無駄だ」 「子桓の馬鹿!」 はそばにあった物を曹丕に向かって投げつけた。 当たりはしなかったが、それは大きな音を立てて壊れた。 「……帰る。好きなだけ泣いていればいい」 慰めるなんて態度をとれない自分に苛つく。 何もできない自分にまた苛つく。 自身がどうしようもできない事を曹丕にだってできるわけがない。 の生まれ故郷が近辺にあれば連れて行ってやれるとは思う。 夏侯惇に黙ってだろうが、一目ならばと。 でも、出来ない場所に彼女の故郷はある。 じゃあどうすることもできない。 どうやってがここへ来たのかもわからないのに… *** 「小父上!」 「…ん?なんだ子桓。珍しいな、そんな大きな声で」 城の廊下を歩く夏侯惇を呼び止めた曹丕。 確かにガラではない行動だ。 「…はどうしていますか…」 「か?何故そのような事を聞く」 「………」 父との会話を聞いてしまったと言うべきだろうか? それでを泣かしてしまいましたと。 言ったら夏侯惇に怒られるだろうか。 この歳になって叱られるなど恥ずかしいのだが… 「その…喧嘩のようなものを…」 「あぁ、それでか」 「なんですか?」 叱られるようなことはなかった。 あの日、夏侯惇が帰るとは酷い荒れようだった。 聞いてもなんでもないと言うだけで。 「を怒らせる相手など他におらぬとは思ったしな」 「…は小父上に何か言っていませんでしたか?」 「お前の事か?別に言ってはいないぞ」 「いえ、私のことではなく…」 「なんだ?」 「いえ、いいです」 は結局、夏侯惇に夢の話も悩んでいる事も話してはいないようだ。 いや、話していても夏侯惇が曹丕に話そうとしないだけかもしれない。 このままだと、なんとなくバツが悪い。 どうすればいいだろうか? 『ひーちゃん!これあげる』 フッと蘇った幼い頃の記憶。 曹丕は駆け出した。 「、いるか」 「子桓…な、なによ」 はまだ怒っているのだろうか、それとも曹丕にまた何か言われるのだろうかと構えている。 曹丕は一直線にの前にまで進む。 「な、なに?」 「お前にやる」 半ば投げつけるようにに白い包みを渡す。 「やるって私に?」 「そうだ。他に誰がいる」 「あ、ありがとう」 この前の喧嘩の詫びかな?そんな風に思った。 本人がいる前だが、今中身を開けてみようと思い曹丕に顔を向ける。 何も言わないので開けても良いと言うことだろう。 「……あ」 中から出てきたのは桃色の髪の結い紐だ。 「お前にやる。似合うと思ったからだ…」 フッと曹丕から笑みが零れた。 「覚えているか、この台詞を。正確には少し違うがな」 「覚えてるよ。私が子桓にあげた時のだね」 幼い頃、父の期待はすぐ上の兄に向かっていた。 それでも曹家の者として周りからの目がいつも向けられていた。 大人たちにいつも囲まれてうんざりする日が多かった。 愚痴など零せるわけもなく苛々ばかり募っていた頃。 『ひーちゃん。ひーちゃん!』 『これ、あげる!』 当時、夏侯惇の養子となったが自分を追いかけてきた。 小さな手から差し出された物に溜め息が出る。 『なんだ…これ、女物じゃないか…』 桃色の髪の結い紐。 どう見ても女物だ。 『ひーちゃんに似合うと思ったから!』 『……』 『お、お父さまにもらったの。私の宝物!ひーちゃん元気ないみたいだからあげる!』 自分も子どもなのだが、思った。 大人ではわからない曹丕の事を幼いは無意識に感じたのだろう。 自分を元気つけようと思って、宝物だって言うものをくれた。 『いいのか?小父上がお前にくれたものなんだろ?』 『いいの。きっとお父さまもいいって言うよ』 曹丕はしゅるりと自分の髪を解いた。 そしてすぐにがくれた結い紐で髪を縛り、今まで使っていた方をに渡す。 『変わりにこっちをやる。小父上に何か言われたら私に取られたとでも言えばいい』 『ありがと!でも取られたなんて言わないよ。それにお父さまは怒らないよ』 それ以来、曹丕はずっとその結い紐を使っていた。 誰に何を言われようとも気にせずに。 逆には曹丕からもらった白色の結い紐を使用することが多かった。 「ひーちゃんはひーちゃんのままだね」 「よせ、馬鹿が」 その呼び方は止めろと何度も言ったはずだ。 「でも私もやっぱ私のままなんだよね」 は懐から同じような白い包みを出し曹丕に渡す。 「なんだ?」 「あげる。ひーちゃんに似合うと思ったから」 くすくすと笑うに曹丕はしわを寄せるが、とりあえず包みを開ける。 やはりと言うか髪の結い紐が出てきた。 「……でも色は桃色か」 「だってひーちゃんに似合うからさ」 にっこり笑う。 その笑みはあの頃と少しも変わらない。 散々変わったと思ったのに…笑顔だけは変わらないのだなと。 「私ね、あれから父様に話した。夢の事も全部」 「話した?」 だが夏侯惇は何も気にした様子はなかったようだが。 「薄情な話になっちゃうだろうけど、やっぱり父様のそばを離れたくないなって。 生みの親より育ての親って言うのかな?夢の中では両親だって思ったけど…」 は軽く息を吐く。 「夢の中では思ったけど、もう思い出せないんだ、両親の顔が」 「そうか」 「その代わりに思い出すのが父様だったり、子桓の憎憎しい顔だったりでね」 「そうか憎憎しいか」 「あはは。だって最近の子桓はずっと怒ったような顔だから」 「失礼な奴だ」 それにそんなのはお互い様だと思う。 「自分の良い方向に解釈することにした。きっと私の両親は元気でいるよ」 本当はそんな簡単にはいかないことをにだってわかる。 でもどうしようもないのだ。 今、が親だと頼っているのは夏侯惇なのだ。 「私の父は夏侯元譲。私はその娘の夏侯。ね?これでいいよね」 「そうか。お前がそれで良いならいいだろう。私が言う事などない」 「ありがとうね、色々子桓にも心配かけちゃってさ」 「お前は手間のかかる妹みたいなものだ。今更だ」 「あーそう。私は妹みたいなものなんだ。なんだ、残念」 「?」 は髪を解き、曹丕からもらった結い紐で髪を結んだ。 「私は子桓のことお兄ちゃんだなんてもう思ってないんだけどね」 「ひーちゃんと私」シリーズ開始ってわけでした。
まだこの頃、曹丕には嫌悪感ばかりでしたね、私はw
05/10/05
13/02/17再UP
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